ワタナベさんのポートレイト




東京である会社のための撮影を行なう際、社長さんからこう言われた。
「今回の仕事の内容とは直接関係ないのですが、ある社員をどうしても撮って欲しいんです」と。

「どうしてその社員の写真を撮って欲しいんですか?」と僕が聞くと「彼の存在そのものが自分や他のスタッフに良い影響を及ぼし、勇気を与えるから」と社長さんは答えた。
彼の名前はワタナベさん。
この会社の学習塾部門で働くベテランの講師だ。
若い頃から重い病気を抱え、仕事の合間に腹膜透析をしながら業務を続けてきたが、やがて定期的な人工透析にかわり、度重なる手術に耐え、悪性腫瘍を取り除き、聴力を失い、手術で声帯を傷つけ声もほとんど失ってしまったため学習指導ができず、今は休職というかたちをとっている。

聞けばワタナベさん、北海道の旭川にいるとのこと。
今回のスケジュールでは北海道まで飛ぶ時間がない、と僕は社長さんに伝えた。

紀伊半島の端のそのまた端から列車を乗り継いでやっと僕は東京にたどり着き、夜少し遅い時間にその会社のスタッフと会食をしたその席にワタナベさんがいた。
社長が呼んだのだ。


ワタナベさんはシャープなオーラを放っていた。
いや、それは少し表現が違う。

彼を取り巻く空気の中に常に戦いが見える、というべきだろうか。
お座敷の座布団の上に静かに座り、お箸の先端で柔らかい湯豆腐を半分に割っている時ですら彼は身体のどこかを休みなく襲う痛みや不快感と闘っている。
穏やかに話をしている時でさえ、瞳の中には苦悩が見える。
闘い続ける人には不思議な落ち着きがある。
命をかけて闘っている人に世間のくだらない戯言など耳に入らない。
身の回りで起こるほとんどの出来事は実は命に関わることでなく、それが仮に悪い結果であったにせよ生きている限りなんとかなる、ということを知っているからだろうか。
命をかけて闘っている人はそよ風に揺れる小さな花が眼に入る。
それがただそこにあり、この瞬間生きているということに愛おしさを感じる。
命をかけて闘っている人は薄い被皮に包まれた繊細な心を持っているのだ。

会食が終わりその夜泊まるホテルに向かうワタナベさんは疲労困憊だった。
北海道の旭川から飛行機に乗り、東京の電車に揺られ、夜遅い時間に会食をする、ワタナベさんにとってはフルマラソンに臨むようなことなのかもしれない。

翌朝、僕がワタナベさんのポートレイトを撮る時間と場所は限られていた。
僕が宿泊したビジネスホテルの狭い部屋の中で簡単なセットを組みワタナベさんの携帯に電話した。
ワタナベさんの顔には昨夜の疲れがまだ残っていた。
この部屋以外はどこにも行かず、できるだけ早く撮影を終わらすのが、辛い身体に鞭打ってここまで来てくれた彼に対する礼儀だと僕は思った。

さてどう撮ろうか?僕の頭の中は真っ白だった。
撮影を依頼した社長さんが求めるもの、僕がワタナベさんに会い感じたもの、とにかく会話を進めながらワタナベさんを撮った。

話をしているうちに僕とワタナベさんが過去に同じ空間で過ごしていたことを知った。
僕たちはまったく同じ時期に同じ大学の同じキャンパスに毎日に通っていたのだ。
きっと僕たちは何度かすれ違っていたかもしれないし、同じ駅の改札で隣り合わせに切符を買っていたかもしれない。
彼と僕は同じ年齢だ。
これまでどんなふうに生きてきたかを聞くうちに僕の心は東京のホテルの小さな部屋を離れ、なぜだか分からないけど僕の生まれ故郷札幌の豊平川の水が太陽の光に輝く光景や北海道の春の雪解け時期の歩きにくい道路の感触、そして横殴りの雪が頬を突き刺すあの痛みや夏の大通り公園ビアガーデンから聞こえる人びとの笑い声や焼きとうきびの匂いに溺れていた。
そして、こういった同じ思い出を共有しているであろうワタナベさんが味わったこと ー 長い病院での生活、思い通りに生きられない悔しさ、数えきれないほど味わった針が血管を刺すあのチクっとした痛み、失ったもの、叶わなかった夢など ー が現実的なものとして僕の神経を押しつぶしはじめる。
シャッターを切るたびごとにその感覚が重くのしかかり、感情移入しすぎた眼は冷静にワタナベさんを見ることが出来ない。
狭い部屋の中で出来うることはやった、と思い撮影を終えた。


ホテルのチェックアウトの時間が近づいていたので機材の撤収作業をはじめるのだがワタナベさんが僕に語ってくれたこと、ワタナベさんの強さ、社長さんがこの写真に託したこと、僕を支配した言いようのない感覚、頭の中ではそれらのことが繰り返しぐるぐると回り、胸の中はあまりにも多くのこと引っ掛かったままで苦しかった。


プロらしからぬ行為とは分かっていたが僕はもう一度ワタナベさんに電話した。










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by somashiona | 2009-05-13 10:26 | 人・ストーリー

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