ワタナベさんのポートレイト 後編





プロらしからぬ行為とは分かっていたが僕はもう一度ワタナベさんに電話した。

「ワタナベさん、申し訳ないんですがあと15分だけ時間をもらえませんか?」

「どうしました?何か問題でもありましたか?」

「ワタナベさん、病気との戦いの痕跡は身体にたくさん残っていますか?」

「、、、たくさんなんてものじゃありません」

「ワタナベさん、服を脱いでくれますか?戦いの痕跡を撮らせてください」

「わかりました。すぐそちらに行きます」



僕はカメラバックの中から機材を引っ張りだし、ライトスタンドを立て、あわてて撮影の準備をした。



ワタナベさんが再び部屋のドアを開けたときの顔は先ほどここに来た時の顔とは違う。
僕もワタナベさんもこの時はやるべきことをお互いに認識していたので勝負する顔になっている。

ワタナベさんは服を脱ぎはじめた。
その身体は文字通り傷だらけだった。
目の前で生身の人間の傷だらけの裸を見ればきっと誰だってショックを受けるはずだ。
先ほど話を聞いて受けた衝撃とはまったく種類の違うショック。
「見ること」とはやはり「知ること」だ。
「そんなことがあったんです」という話からはまったく見えてこない次元のピュアーな何かが伝わってくる。

先ほどの撮影は会話をしながらだったが、この時はもう会話など必要なかった。
シャイなワタナベさんはレンズを真っすぐ見据える。
その迫力に僕は圧倒されそうになるが、ここは負けられない。
やっといつもの自分の感覚が戻ってきた。

撮影が終わったあとのワタナベさんはとびきりの笑顔を見せてくれた。
ワタナベさんの身体に刻み込まれた傷はワタナベさんの戦いの証であり、人生の足跡だった。
少年が大冒険をした結果負ってしまった傷を見せる時はいつだって自慢げだ。
それはその傷が自分の挑戦の証だからだ。
こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、洋服を脱ぎ身体の傷を見せてくれたワタナベさんからも同じ匂いを感じた。
たしかに大変な目にはあっているが、どうだ見てくれ、俺はこれと真っ向から闘っているんだ、これが俺の人生なんだ、文句あるか!とでも言いたげなポジティブなオーラをワタナベさんは放っていた。

ワタナベさんと別れ、タスマニアに戻ってからも僕は彼のことをよく想った。
歯を磨きながら鏡に映る自分を見る時、子供たちの肩に手を置いて森の中を散歩するとき。
この子の胸や背中に大きな傷がついてしまったらこの子や僕たち親はどんなに苦しむだろう、と柔らかい彼らの身体に触れながら僕はワタナベさんを想った。
そして、(とても幼稚な考え方だが)例えばエクササイズなどでもう降参したい気分になっているとき。
ワタナベさんなら降参するどころかエクササイズができることを幸せに感じるだろう、というようなことをほとんど無意識に考えるようになっていた。

ワタナベさんのことをブログで紹介しようと考えていたとき写真を見たある友人は僕にこういった。
「でもさ、こういう人って、いやもっと大変な状況の人って世の中にはいっぱいいるからね」と。

もちろんだ。
それはわかっている。
でも僕がワタナベさんからもらった目には見えないけど大切なもの、もうイヤだと思ったとき背中をそっと押してくれるもの、それを誰かに伝えたいという気持ちを引き出しの隅に押し留めておくことはできない。

知っているということと、感じるということの間には大きな違いがある。


後日、ワタナベさんにお願いして彼の病歴やその時の感情をメールで送ってもらった。
その中から彼が書いた病歴を紹介したい。
皆さんにも何か感じて欲しい。

その前に一言。
ワタナベさん、いい写真を撮らせてくれてありがとう。
あなたからたくさんの勇気をもらいました。
長生きしてください。












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小学4年生(1975年) 学校の尿検査で血尿あり
           旭川市立病院にて精密検査が原因判別できず
中学1年生(1978年) 腎臓の細胞検査にて慢性腎炎と判断される。
 
特に自覚症状もなく、以後、通院はせず
 
平成元年(1989年)23歳 大学卒業後、造園工のアルバイトをして就職浪人中
          8月15日 体調悪く(体が重く、微熱が続く)     
市立札幌病院へ  検査結果、ネフローゼ症候群と診断
          7か月の治療入院となる。
         ステロイド剤の投薬でさまざまな副作用に苦しむ。
平成2年(1990年)24歳 3月退院し札幌の自宅で療養。
         人に会うのが嫌になる。
平成3年(1991年)25歳 新薬(免疫抑制剤)を試すため再入院(4か月)
         が、効果なく退院。
         9月 ○○学院(学習塾の時間講師として勤務)
         指導者としてみっちり修業
平成5年(1993年)27歳 病状悪化、慢性腎不全となり、○○学院を退職
         紋別にいる父母の元へ引っ越し、旭川赤十字病院へ転院
平成6年(1994年)28歳 人工透析導入(腹膜透析)旭川へ引っ越し
平成7年(1995年)29歳 ○○進学センター入社(○○社長に拾われる)
平成10年(1998年)32歳 原因不明の難聴となる
平成12年(2000年)34歳 腹膜透析から血管透析へ
平成14年(2002年)36歳 9月 左腎臓に悪性腫瘍(ガン)発見、摘出手術。
平成16年(2004年)38歳 12月 札幌へ転勤
平成18年(2006年)40歳 4月 右腎臓切除手術(腎臓移植の準備のため)
             旭川へ転勤
             9月 腎臓移植(父親から),脾臓摘出
             10月  感染症のため、移植腎の摘出(移植失敗)
             12月 退院
平成19年(2007年)41歳 1月 背中の痛みで再入院(検査)
             2月 胸部加行大動脈穿孔(大動脈に穴があいてる)
                および心臓弁膜症の発症(即ICUへ)
             2月8日 ステントクラフト手術→失敗
             3月14日 胸部加行大動脈置換術(大動脈を人工血管に入れ替える)
             3月28日 呼吸不全のため、気管切開
                  一般病棟へ リハビリ開始(歩く練習)
             4月11日 胸水穿刺(肺の水を抜くため)
             5月19日 退院


ワタナベさんのメールから抜粋

人間は病気では死なないものだなあと思いました。
何か気持が切れて瞬間、いともあっさり死んでしまうのではないかと感じます。
いまだに自分がなぜ今も生きているのかわからずじまいです。
何かを為せというのか、それもなんだかみえなくなっています。
今の自分の有様をあきらめるように認めてしまう自分と、今もなお認めたくないと突っ張る自分がいつも葛藤しています。
 
自分一人ががんばってきたように書きましたが、家族や周囲の人間がいなければとっくに駄目になっていたと思います。
そこだけは感謝してもし足りない気持ちです。













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by somashiona | 2009-05-14 11:15 | 人・ストーリー

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