おかしいのは、僕の方?






久しぶりに日本に帰ったとき僕がとても驚いたことは、電車の中の人たちが皆、本当に皆、携帯電話をいじっていることだった。
昔はスポーツ新聞や漫画を読んでいる人が多かったのに。(浦島太郎)
最近、オーストラリアで暮らしていて驚いていることは誰も彼もがFacebookやTwitterをやっていること。
こういう世界のことはよくわからないのだが、これらもmixiのようなソーシャル・ネットワーク・サービスのカテゴリーに属するのだと思う。
誰かと新しい出会いがあると携帯電話の番号を交換するのと同時に必ずといっていいほどfacebookのアドレスを聞かれる。
自分はやっていないというと、あたかもそれが当たり前のことのように、じゃすぐに入って「友達に追加」しておいてね、と言われる。
友達ってどれくらいいる?と聞けば人はfacebookに登録している友達の数を言うかもしれない。
多い人は何百人単位だ。
友達と言える人などほんの数人しかいない僕は、友達の数など聞かれたときは顔を赤らめ、もじもじ君になってしまう。

僕は一週間誰とも話をしなくてもまったく平気だ。
さすがに今の生活でそれを実現するのは難しいが、昔はそんなことがよくあった。
1週間暗室にこもって黙々とプリント作業をするというようなことが。
僕はボォ〜っとしている時間が好きだ。
車で遠出するときも音楽やラジオはいらない。
目の前を流れる風景を見ながらひたすら考え事をする。(夢想する)
歩くときなどは特に耳にイヤフォンやヘッドフォンなど絶対に付けたくない。
街のざわめき、林の中で風が木々の間を駆け抜ける音を聞きたい。

今、人々はどうしてこんなにいつも外からの情報に漬かっていたいのだろうか?
どうしていつでも誰かと繋がっていたいのだろうか?
広く浅く垂れ流される外からの情報より何十年もかけて書かれた一冊の本を読む時間、自分の心の奥底で眠っている声に耳を傾ける時間の方が楽しくはないか?
そういうことをするには自分一人の静かな時間が必要だと思う。

僕が普段使っているgmailにBuzzという新機能がついた。
FacebookとTwitterを合わせたような機能というだけでなく、自分の居場所さえも人々に発信できるという。
iPhoneなどでBuzzを使えば人々は僕がどこで何をやっているのか常に追いかけられるらしい。
これって便利なのか?
これは僕には首輪を付けられているとしか感じようがない。
ストリートでスナップショットを撮るとプライバシーが、肖像権が、人権が、と人々はすぐに鬼のような顔になるのに、自分たちに首輪を付けられることに危機感を感じないのは一体どういうことなんだろうか?
自由だ、自由だといいながら人と繋がっていなければ安心できない状況に不自由を感じないのはどうしてか?

という僕も一種のソーシャル・ネットワーク・サービスであるブログをやっているし、今日のテキストなどまさに長めのつぶやき(twitter)だ。
実生活でもFacebookやTwitterをこれ以上無視していると社交や仕事に支障が出る状況に陥っている。
こういう矛盾が自分の立ち位置をあやふやにする。
ああ、世の中どうしてこんなに複雑なのだろう?

あれ、ひょっとして、おかしいのは、僕の方?














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テキストの内容と写真は無関係
写真は自宅で煙草をふかすトニー。

















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by somashiona | 2010-02-16 07:29 | デジタル

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