父の手、母の手、僕の手、子供たちの手




珍しく、僕の家に二人の美女を招いてお食事会をした。
楽しい時間が過ぎたあと、洗い物をする僕を見て彼女たちは笑った「あら、ずいぶん手を大切にするのね」と。
それは僕がゴム手袋をして洗い物をしていたからだ。
ゴム手袋をするのは、僕がいつも熱湯で洗い物をするからなのだが、理由はそれだけでなく、僕の手は洗剤などですぐ荒れてしまうので、手を大切にしているという指摘は決して的外れではない。








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何故だかわからないが、僕の手はすぐに荒れる。
カメラを長時間持つと左の掌は荒れ、土を触ると指先が荒れ、冷たい外気にさらされるとひび、あかぎれを起こす。
おまけに僕の手は小さく、色白で、カバンより重たいものを持ったことがないような男らしさに欠ける手だ。


男の手について二人の美女たちが語りはじめた。

「やっぱり男の手って、大きくて、分厚くて、関節がごつごつしているくらいがいいわよね」とミス日本。

「そう、そう、それでね、血管が浮き出ているともっとセクシーなのよね」とミス・オーストラリア。

僕は洗い物が終わっても、なかなかゴム手袋を外す気になれなかった。



子供の頃、たしかまだ小学校の4,5年生くらいだったと思うが、ふと母親に「お父さんのどこが好きになって結婚したの?」と聞いてみたことがある。
母親の答えはこうだった。

「お父さんと出会った頃はね、お母さん恥ずかしがり屋でね、お父さんの顔をしっかりと見られなかったの。それで話をするお父さんの手をいつもお母さんは伏し目がちにじぃ〜っと見つめていてね、ああ、この人、なんて綺麗な手をしているんだろう、って心から思ったの」

「えっ、じゃあ、あ母さんはお父さんの手が好きになって結婚したの!」と小学生のマナブ少年は驚いて母親の顔を見た。

「そうよ」と言って母親は笑った。

これが高校生の時聞いたのなら、「内気なお母さんなんて死んでも想像できない!」とか、「綺麗な手で触られたらどんな感じか考えたの!」とか、いろいろ突っ込んだはずだが、なんせ初恋を経験したばかりの小学生の僕には女性が顔や足の長さ以外の外見で恋に落ちる可能性があるという事実が恐ろしいくらいの衝撃で、突っ込みを入れる余地などまるでなかった。
それどころか、それ以来、僕は自分の手が女性をしとめる強力な武器の一つになりえることを決して忘れなかった。



今年帰国したとき、北海道では実家の母の家に泊まった。
朝起きると、寝癖のついた髪の毛を立たせ、母親は庭の花に水をやったり、コーヒーを飲んだり、煙草を吸っている。
父の姿や声がなくなってしまったこの家の窓越しから母親を見つめていると、記憶の層のずっと下の方で埋もれていた子供の頃の思い出が、なぜだか急に少し色あせた8ミリフィルムの映像のように蘇る。
僕はいろいろな場所を点々としながら生きているので、古い思い出に浸る余裕があまりない。
でも、父と二人でこつこつとお金を貯め、やっと手に入れた初めてのマイホームに今なおひとりで住み続けている母は、父のことをどれくらい思い出すのだろう。
母がひとり自分の掌を見つめるとき、若かった父の手をやはり思い出すのだろうか?
僕がいつも思い出す父の姿は、テレビを観ているうちにソファで眠ってしまったあの少しだらしない姿。
メガネが少し顔からズレ落ち、テレビのリモコンはお腹の中央に乗っかったままのあの姿。
僕がチャンネルを変えると、おい、おい、観てるんだからそのままにしておいてくれ、と寝ぼけた顔を僕に向ける。
ソファで眠る母を見つめていると、まるでそんな父の姿を僕が忘れないようにと父が意図的に演出しているかのようにも見える。








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僕は父の手も、ソファで眠る姿もきっちり写真に収めていなかった。
あまりにも日常的で、あまりにも当たり前で、それらを2度とこの目で見ることができなくなるなんて考えもしなかった。
写真を撮る人間としての注意力の甘さ、思想のぬるさは今後悔しても遅すぎる。
その埋め合わせをするかのように、僕は子供たちの日常に目を向ける。
取っ組み合いをするときの力がだんだん強くなってきたソーマの手。
信号待ちのときにふと僕の手を握り締めるシオナの手。
僕のためにおにぎりを作ったり、巻き寿司を巻いたりする子供たちの手。
このとき僕の目の前で忙しく、時にはぎこちなく、そして一所懸命に動いている彼らの手が父親に対する純粋な愛に突き動かされていることを忘れないように写真に収めておかなくてはいけない。
写真は造形美や色の美しさを未来に残すのではなく、その時にはよく見えない愛というものをあとになって「ああ、そうだったのか、そういうことだったのか」と確認し、自分が幸せだったことに気がつくためにあるのだから。








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8月8日、今日は母の誕生日。
いつまでも元気で長生きして欲しい。


















話は唐突に変わるが、日本の皆さん、もし子供たちの泣き声、叫び声、何かしら不審に感じることがあったのなら是非躊躇せず警察や児童相談所に連絡して欲しい。
他人のことに口出しするなんて余計なお世話など考えないで欲しい。
それが誤解や何かの間違だったのなら、それはそれでいいじゃないか。
見て見ぬふり、聞こえるのに無視をしたりしないでほしい。
もしかすると僕たちの通報が子供や親たちを救うきっかけになるかもしれないのだから。
















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by somashiona | 2010-08-08 15:32 | ソーマとシオナ

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