ヨハンに会いに 前編




寒い、寒い7月のある日、数日間自由な時間ができた。
しばらく家の中で缶詰状態になっていたので、無性にどこか遠いところへ行きたかった。
「そうだ、ヨハンじいさんに会いに行こう!」お昼はもうすでにまわっていたが、車に寝袋や歯磨きセットを詰め込んだ。
もちろん、カメラも。

ヨハンの家に行くには車を時速110キロで走らせても4時間はかかる。
途中でコーヒーを飲んだり、写真を撮れば片道5、6時間コース、日常の面倒なことをひとときの間忘れるには丁度いいドライブだ。
家を出る時、ヨハンに電話をしたが、繋がらなかった。
車を約2時間走らせた地点でもう一度電話したが、やはり繋がらなかった。
これが僕と同世代の友人たちへの電話なら、まだ仕事かなとか、どこか旅行にでも行ってるのかなとか、不安要素などまったくないが、高齢で一人暮らしのヨハンが電話に出ないときはいつも様々な不安要素が頭をよぎる。
友人のことを思うとき、同時に死の可能性を考えてしまう。
僕にとってそういう友人はまだヨハンしかいないが、僕が60代、70代になったときは、きっとそれが日常的なものになるのだろう。

ヨハンが住むシェフィールまであと1時間という場所でもう一度電話をすると、やっとヨハンがつかまった。
今日泊まってもいいかと聞くと、君はいつだってウェルカムだ、と彼は答えた。
ヨハンの声を聞いてやっと安心したせいか、急に写真が撮りたくなった。
結局2時間近く寄り道をし、ヨハンの家についたときにはもう夜空に星がまたたいていた。










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ドアをノックすると、ヨハンが満面の笑みを浮かべ僕を迎えてくれる。
まるで自分の実家に帰ってきたような気持ちになる。
家の中はいい匂いが漂っていた。
いつものように、ヨハンが僕のために夕食を準備してくれているのだ。
キッチンの中を忙しそうに行ったり来たりするヨハン。
男が何かに集中しているとき、特にヨハンのような職人さんが何かを作るのに集中しているときはあまり話しかけるべきではない。
男は一度に二つのことをできないように出来ているのだ。
料理を作るヨハンを静かに眺める。
大きな鍋のかなで美味しそうに茹で上がったチキンをヨハンは細かく切り刻み始める。
以前ならそんなことをするとせっかくのキチンの食感が台無しになってしまうよ、と思ったに違いない、しかし今はそれが物をうまく噛めないヨハンの工夫だということがよくわかる。










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高齢者問題は今僕の最大の関心事だ。
一年間をかけて老人介護の勉強をし、この7月に資格をとった。
今まで僕が美味しい物を作ってあげるとヨハンに提案するたび断られていた理由がやっと分かったし、彼が直面しているであろう身体的、精神的な困難は以前より少しは理解できるはずだ。

ヨハンの家の中は相変わらず寒い。
彼の家にお邪魔してからまだダウンジャケットとマフラーを脱ぐことができないどころか、体温がどんどん下がっていくのがわかる。
鼻や耳が冷たくなり、鼻水が出てくるのは僕だけでなく、チキンを刻むヨハンの鼻からもときどき鼻水がチキンに滴り落ちる。
僕は心のなかで「大丈夫、そんなことで死にはしない。大丈夫、多分この後もう一度加熱するからバクテリアは死んでしまうに決まってる」と呪文のように自分に言い聞かせる。










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料理をするヨハンの手、指、関節は赤く腫れ上がり、ところどころ皮膚が割れ、血が滲んでいる。
さぞかし痛いだろう。

食事の準備ができた。
いつものように温めて置いてあるプレートとナプキンを膝の上に乗せ、テレビを見ながら椅子に座って食べる。
大量に作ったからお替わりするようにとすすめられ、最低一回はお替りしようと僕はまた自分に言い聞かす。










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「何かニュースはないの、ヨハン?」と彼に尋ねると、「う〜ん、そうだなぁ、、、ああ、そういえば誕生日が終わったばかりだよ」と彼が答える。

「この国の男性の平均寿命は79歳、わしもとうとう79歳、ということはだね、わしはやっと人生を全うし、これからは幸運にもまだ生きていけるということに感謝しながら生きていく毎日なのだよ。おまけの人生じゃ。わしは幸せもんさ」とヨハンは笑う。

「そっか、おめでとうヨハン。とりあえず100歳を目標に頑張ろうよ」
「ははは、勘弁してくれ。あと20年間も女性を追いかけるのは楽じゃないよ」とニヤリと笑うヨハン。










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リビングルームにはマウントしたスライドフィルムが大きなライトテーブルの上に並べられている。

「ヨハン、いったい何をしてるの?写真展でもやろうっていうの?」

「いや、いや、過去の写真を整理しようと思って写真を引っ張り出してきたんじゃが、あまりの量の多さに手間取ってな、まったく終わる気配がないのじゃよ」とヨハン。

「ねえ、ヨハン、めんどくさいことお願いするようだけど、写真見せてよ。今晩はヨハンの作品の数々をじっくりスライドで鑑賞しようよ」と僕はウキウキ気分。

「そうか、見たいのか、うん、どうしてもというのなら、私は構わんよ」とヨハンも嬉しそう。
「そうと決まれば、さっそく準備にかかろう」とヨハンはすぐにソファから立ち上がり、スライド用の白いスクリーンを広げる。
「わかった、じゃあ、僕が食器を洗うからね」と僕はキッチンへ向かう。










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食器を洗っていると知らない間に僕の背後に立っていたヨハンは僕にこう聞いた。
「マナブ、君はひょっとしていつもお湯で食器を洗っているのかね?」

「うん、そうだよ。できるだけ熱湯で洗うようにしているよ。そのほうが油汚れが落ちやすいし、乾くのも早いでしょう」と僕。

「マナブ、申し訳ないけれど、水で洗ってくれんかのう。それがわしの家のやりかたなのだよ」

そういえば、ヨハンはコーヒーやお茶に使うお湯も一度やかんで沸騰させると、すぐにそれを保温ポッドに入れ、そのお湯を一日中使う。

電気代を節約しているのだ。
そのことを悟った僕の顔を見て、「そうさ、マナブよ、そういう暮らしができないと、君がわしの歳になったとき、君はすぐに破産してしまうよ。今から節約することを覚えんとな」と言って彼はひび割れた手を僕の肩の上においた。

年をとると血の循環が悪くなり手足が異常に冷える。
皮膚は薄く乾燥し、薄い紙のようにちょっとしたことで破れてしまう。
一度手足の皮膚が破れてしまうとその傷は僕たちのようにすぐには回復しない。
糖尿病を患っていれば、その小さな傷が致命傷になり足の切断や、死に至ることもある。
少しでも電気代を節約するために、暖房をつけない寒い部屋で冷たい水を使い食器を洗うヨハン。
同じことを続ければ、僕の手だってすぐに荒れてしまうだろう。
でも、一番大切なことはヨハンがやりたいようにやること。
何を選び、どう生きるかはヨハンの自由だ。
それが彼の手を腫れ上がらせ、ひび割れさせたとしても、他人がとやかく口をはさむことではないのだ。










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スライドショーのすべりだしはかなりいい感じだった。
一枚一枚の写真に対しヨハンの丁寧な解説がある。
90%の写真は風景写真で、山に関係するものだ。
彼がどんなに山を愛しているか、写真からその熱が伝わる。
愛するものを撮るその行為は、それがポートレイトであれ、風景であれ、物撮りであれ、必ず伝わってくるものがある。
驚いたのは彼が断崖絶壁をロープを使って登る貴重な写真があったことだ。
彼が本格的なクライマーだと話には聞いていたが、こうやって実際にすごい写真を見せられると、やっぱりダダものじゃなかったんだ、という僕のフィーリングを再確認することになる。
彼は最終的には断崖絶壁で杭が抜け、10数メールの落下し首、背骨などのひどい骨折で山には二度と登れない体になった。










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カシャ、カシャと写真を切り替えるたびに、ヨハンは饒舌になる。
たまには手で犬や蝶々の影を作るサービスまでやってくれる。
ありがちな、子供たちがよくやりそうな冗談だけど、僕は笑いをこらえきれない。
楽しく進んでいたスライドショーだが、プロジェクター(映写機)から煙が上がってきた。
どうやらプロジェクターの中のファンベルトが切れてしまったらしく、電球の熱が上がり過ぎてしまったようだ。










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こういう事態に対し、職人でメカニックのヨハンはあやふやに対処することができない。
直すまでとことん原因と戦う。
それはゲストの僕がいようといまいと、退屈しようがしまいが関係ない。
とことんやるのだ。
結局、その夜ヨハンは永遠とプロジェクターと格闘し、僕はお客さん用のベッドの上に寝袋を広げて午後11時前に深い眠りに落ちた。










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by somashiona | 2010-10-08 23:24 | 人・ストーリー

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