ヨハンに会いに 後編











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ヨハンの家に泊まったときは、できるだけ早起きしてシェフィールドの朝を撮るようにしている。
一般的に老人は早起きだと言われているが、ヨハンが僕より先に起きているのをまだ見たことがない。
「寝れる」ということは「体力がある」ということ、僕はそう受け取っている。
ヨハンがこの小さな町に住み着いたのは、シェフィールドがマウントローランド山の麓にたたずんでいるからだ。
この山はいつ見ても惚れ惚れするほど自信たっぷりに立っている。
山にもオスやメスの性別があるとしたなら、この山は筋肉質で無精髭をはやした寡黙な大男という感じだろう。
シェフィールドに来たのなら、まずはこの山を撮らないと。










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肌に刺さるような冷たい朝の空気を吸いながら、斜めに差しこむ朝の光がドラマチックなうちにできるだけシャッターを切り、ヨハンの家に戻る。
彼はいつものように薬をテーブルの上に並べ、いつものようにオレンジ色のポットのお湯をかけたポリッジ(オートミール)を食べている。










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僕の朝ごはんは毎週、時には毎日違う。
きっちりおかずを作ってごはんを食べる時もあるし、パンやシリアルですませる時もある。
ヨハンのこの簡素な朝の儀式は、何十年も変わることなく繰り返されてきたに違いない宗教的な神聖さと威厳がある。
彼が全てを食べ終えるまで話しかけるべきではなく、少し距離をおいた場所から彼を眺めているべきだとさえ僕に思わせる。
ヨハンのこの朝の絵は、オーストラリアで一人孤独に生きるお年寄りたちの典型的な姿ではないかという気がする。










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この日もヨハンの家の中は寒い。
「寒いね、ヨハン」
ひょっとしたらヒーターをつけてくれるのではという希望を込めて僕が言うと
「今年は例年に比べ、ものすごく暖かいんじゃ。ほら見てご覧、マウントローランドの上に一つも雪が残っとろんじゃろ」とヨハンがこたえる。


僕とヨハンの間では話が途切れても平気だ。
他の誰かと二人きりでいるとき、5分以上話が途切れると、僕は何か話さなくっちゃと目の前の沈黙を破るのにやっきになるが、ヨハンと一緒にいると彼にはそういう時間が必要だという気がする。
マグカップを手に少し曇った窓ガラス越しからマウントローランドを静かに眺めるヨハン。
声には出さないけれど、ヨハンの心のなかでは今日も山との会話が弾んでいるのだろう。
もう山には登れない彼だが、ヨハンの家の中では常に山と関わるものを目にする。
アルプスの山々が印刷されたグラスやカップのコースター、ヨーロッパの山々から届けられた絵葉書、テーブルの上には古い山の雑誌が開かれている。
高所における高山病の記事など今更読んでも仕方がないのに、、、。
彼に数々の喜びや厳しさを教えてくれた山。
いつでもそこにいるがその懐へはもう入ることの出来ない山。
山はヨハンにとって長年の友人なのだろうか、それとも崇める神なのだろうか?

「ヨハン、今日はどこかへ写真を撮りに行こうよ、どう?」

「わしは別に構わんよ」とこたえるヨハンの顔には明らかに笑顔が広がるが、彼は平静を装うとする。

「どこに行きたい、ヨハン?」

ヨハンは運転免許を持っていない。
公共の交通機関がまったく発達していないこの土地で車の運転ができないということは、誰かに依存して生きるか、それとも極端に狭い範囲にとどまって生きるかを意味する。
誇り高いヨハン、他人に依存するくらいなら不自由をすすんで選ぶだろう。
しかし、自然を愛し、写真を愛するヨハンにとってそれはさぞかし辛いに違いない。

「デボンポートはどうじゃろう?」とヨハン。

デボンポートはヨハンの住むシェフィールドから車で北へ約40分のバス海峡に面した港町だ。

「え、どうしてデボンポートなの?山に行って写真を撮りたいんじゃないの?」彼のリクエストは僕には少し意外だった。

「わしはね、海が見たいんじゃ」と僕をまっすぐ見つめヨハンがこたえる。

「山男が海を見たいの?」と少しからかうように僕が笑うと、「妻がいても若く美しい女性に目移りするのが男というもんじゃろ」とヨハンは言って突然マグカップのコーヒーでうがいをはじめたかと思うと、リビングルームに飛んでいき、カメラやビデオカメラのチェックをはじめた。










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デボンポートではヨハンの指示通りに車を走らせ、灯台の下に車を止めた。
車から降りるとヨハンはすぐに戦闘モード、いいポジョションを求めて灯台の周りを歩き回っている。










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海に面する高い崖の上に灯台は立っているため、その姿をファインダーに収めようとすると、どこから撮っても背景は空ばかりで絵にならない。
崖の下から灯台を見上げるかたちで写真を撮るため、僕はヨハンに見つからないようゆっくりと崖を降りた。










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ヨハンはまだ僕に気がついていない。










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レンズをあちらこちらに向け、構図を探していると崖の上に立つヨハンが見えた。

「お~い、ヨハン。危ないからこっちに来ちゃダメだよー!」と僕はヨハンに向かって叫んだ。

「はははは~」と声高らかに笑うヨハン。
嫌な予感はしたが、まあ、僕のいるところまでは来ないだろうとたかをくくって、僕はまた撮影をはじめた。










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次の僕のファインダーの中でヨハンを発見したときは明らかに前より僕に近づいている。
自分の歩くラインを見極める顔は真剣そのもの。
僕でも少し怖いと思うような大きな岩の段差をヨハンは慎重に、しかし大胆に降りてくる。










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「お~い、ヨハン、ダメだったら、来ちゃダメだよ。1メートルの岩からだってもし落ちちゃったら大変なことになるんだから!ねえ、お願いだからもう降りてこないでー!何かあったら全部僕の責任なんだからさー!」

多くのお年寄りが介護抜きでは生きていけなくなるきっかけとして転倒が挙げられる事が多い。
子供なら毎日お約束のように転び、膝やおでこに絆創膏を貼って次の日はけろりとしているだろうが、お年寄りにとって一度の転倒が車椅子生活に直結してしまったりするのだ。
歩けなくなると介護が必要となる。
介護が必要となると自分の意志だけでは出来ないことがたくさん出てくる。
もちろん運動量もぐっと減り、身体も心もどんどん衰弱へ向かう。










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必死の説得にもかかわらず、ヨハンは我が道を進み、僕のいる場所までたどり着くと怒る僕に向かってべろべろばーをしてみせる。










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そしてまた鬼の形相に戻って撮影を始める。
まったく、、、。

「まったく、、、」と言いながらも僕には彼の気持ちがよくわかる。
いや、僕だけじゃないだろう。
写真を撮る者なら被写体を目の前にし、押えきれなくなる自分の衝動というものを何度も経験しているはずだ。
この衝動に駆られファインダーを覗いているひとときは頭の中に雑念などない。
ある意味、瞑想状態といってもいい。
なので撮影のあとは、撮った写真の出来はさておき、何か満足した気持ちで満たされる。
これは若者も、ヨハンのようなおじいちゃんもまったく一緒だと思う。
ヨハンの年齢でこういうふうに熱くなれるものを持ち続けられるのはとても幸運だ。
本当に好きだと言えるものがある人は、意外と少ないのだ。










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「Dignity of risk」という言葉がある。
僕はこの言葉がとても好きだ。
直訳すると「危険の尊厳」だが、これじゃなんだかわからないだろう。
守ることは親切であるが、その人から自由、喜び、達成感、可能性を奪う凶悪にもなりえる。
成人で、行動の結果起こり得る危険の可能性を予期できる人に対して、それは危険だ、やめておいた方が身のためだというのはその人の尊厳を尊重していないことになる。
80歳の老人に「タバコを吸うのは健康に悪いからよせ」「夕食にマクドナルドなど食べるべきでない」と言ってもしかたない。
好きなように、好きなことをさせてあげるべきなのだ。

という訳で、ヨハンが崖を降り、夢中で写真を撮る権利を僕は奪うことが出来ないと僕なりに判断し、もう彼の好きなようにさせた。










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写真を撮っていると彼は眩しい光でも見てしまったかのように、なんども顔をしかめ、苦しそうな顔をした。
ヨハンにどうしたの?と聞くと、ここ数カ月、目が痛み、じっと何かを見つめるということがとても辛いのだという。
それなら、もう写真を撮るのはよそう、車に戻ってドライブをしよう、と僕が言うと、「いかん!わしはここで写真を撮るんじゃ!まだ満足のいく写真が撮れてないんじゃ!」となかば叫ぶようにヨハンは言った。
この時のヨハンの顔を見たら、相原さんの金剛力士も真っ青だっただろう。
写真にかける意気込みは老若男女、プロ、アマを問わず、人を豹変させるらしい。










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向こうの岩の上からの方がいい写真が撮れると言って、またヨハンは危ない岩の上を歩き出す。
僕も腹を決めて、先回りしたり、戻ったりしながら彼の気持ちが向かう方へと足を進めた。
岩の一つ一つの安定度合いを手や足で慎重に確かめ、黙々と進むヨハン。
昨夜スライドで見た若きヨハンの姿と重なり合う。
絶壁にぶら下がる若いヨハン、山の頂上から満足気に下界を見下ろす若きヨハン、僕の目頭が熱くなってヨハンの姿がにじむと、目の前のヨハンと若き日のヨハンの姿が重なり、滲み、過去と現在を行ったり来たりする。
ああ、僕たちはどうして老いていくのだろう、当たり前のことなのに、納得できない、生まれてきた者が味あわなくてはいけない現実の意味を考えてしまう。










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彼のひび割れたしわくちゃの手は必死に岩の皺を捕まえるが、よく見ると彼の顔はとても穏やかで満ち足りて、家の中にいるときの彼の顔とはまったく違うではないか。
写真を撮っているときは、僕のことなどまったく眼中に無いヨハン。
それこそフォトグラファーというものだ。










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シェフィールドに帰ると、町のギャラリーでお茶を飲んでからこの町を出なさい、とヨハンがいう。
町の自称アーティストたちが運営するギャラリーでヨハンもそのメンバーの一人だ。
都会ならこんなスペースを自由自在に使えるなんて、なんとも羨ましく思うだろう。
娯楽の少ない僻地にはこういうギャラリーが意外と多い。
何かを創造するときに使う脳と、食欲、睡眠欲、性欲などで働く脳の場所は同じだと聞いたことがある。
田舎に住む、ある種の人たちにとって、創造できる場所はパブや教会と同じくらい大切な場所なのだろう。
ヨハンが僕をこのギャラリーに連れて行きたかったのは、ここがヨハンにとって唯一の人々とつながる場所であり、この場所でヨハンという人間が認められていることを知って欲しかったのかもしれない。
ギャラリーの壁画、ピンクのドレスを着た女性の横に立つ兵隊さんはヨハンがモデルなのだと自慢するが、全然似てないじゃないか!










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ギャラリーで絵を描く人と話をし、インスタントコーヒーを飲みながら町のアーティスト作品を一通り見て、最後に患っているというヨハンの目をじっくり見せてもらった。
確かに、目の周りが赤くなっている。

「次に会うときは、目の周り、何色になっているかな?」と僕が冗談交じりでいうと「たぶん真っ黒じゃろ、わしはパンダが好きだし」と相変わらず真面目な顔を装ってヨハンはこたえた。

シェフィールドの町を背に、世界遺産クレイドル・マウンテン方面へ向かう道で車を走らせながら、僕はヨハンのことを考え続けた。










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おわり




















<過去のヨハンのおはなし>

「ヨハンのおもてなし」

「増えてる薬」

「音楽は神聖な儀式」

「ヨハンのいる時間」






「ヨハンじいさんの情熱」

「はりきるヨハン」

「ヨハン、相原さんに会いに行く旅」

「ヨハン、相原さんとご対面!」





「ヨハンおじいさんの唄 – 1」

「ヨハンおじいさんの唄 – 2」

「ヨハンおじいさんの唄−3」

「ヨハンおじいさんの唄-4」

「ヨハンおじいさんの唄-5」

「ヨハンおじいさんの唄-最終回」



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by somashiona | 2010-10-11 20:31 | 人・ストーリー

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