やあ、こんにちは2011年


1月中はまだ「あけまして、おめでとう」を言ってもいいという自分の中の常識を押し通す今年第一弾のブログ更新。
皆さん、お久しぶりです。
今年もよろしくお願いします。
前回の更新からあまりにも間が空き過ぎていて、何をどこから話していいのか分かりません。
このブログは僕にとって記録的役割もあるので、とりあえずニューイヤーズイヴの夜まで記憶を巻き戻し、時系列で今年のブログをはじめたいと思います。


大晦日の夜まで続いていた仕事をとりあえず終え、手土産も持たず直接ピーターの家に行く。
大人の香りムンムンとしたアダルトなニューイヤーズイヴのパーティはすでにかなり盛り上がっていた。
「ああ、今年も一年の最後の日を親しい友人と送ることができて良かった」という思いで僕の心は満たされていた。
プライベートでは人と接することが少ない僕だが、さすがにクリスマスやニューイヤーズイヴは一人でいたくない。
都合のいい時だけ人を求める僕。
この性格、2011年は少し変えてみよう、とアルコールの酔に身を任せ踊る大人の女たちを見つめながら思った。
誰もいない裏庭では、ピアノ教師をしているという青年がカクテルグラスとタバコを手に室内から洩れる音楽に合わせて気持よさそうに一人きりで踊っていた。










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元旦は子どもたちと一緒に過ごすことができた。
オーストラリアにおいて元旦というは祭りの後的な印象がある。
クリスマスからニューイヤーズイヴにかけてはしゃぎ回った人たちが電池切れでベッドやソファに倒れこむ日だ。
家から一歩も外に出ず、家の中でテレビを見ながらだらだらと過ごすのだ。
日本人にとって大晦日から正月の三ヶ日がどんなに大切なものなのか子供たちにじっくりと話して聞かせると「じゃあ、どうしてダディはいつもそんな日にも仕事をしてるの?」と突っ込まれた。
「余裕のある日本人にとって大晦日から正月の、、、」と話を少し修正してみた。
「とにかく、今日は正月だからダディは何もしたくない、君たちが食事を作りなさい」というとその日の昼ごはんはツナとおかかのおにぎりからはじまり、夜はサーモンのフライをメインにした美味しい夕食を作ってくれた。
魚の骨抜きをするのはソーマにとってこの日がはじめて。
ちなみにサーモンのように太く、強い骨の魚は毛抜きのような骨抜きよりも写真にあるラジオペンチのようなもののほうが簡単だ。
この日、ソーマはほとんどの時間をケーキ作りに費やしていたのだが、その話は日を改めてしよう。










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僕的には元旦に一番やりたかったことは、父の写真に向かって子どもたちと一緒に手を合わせることだ。
僕の寝室にあるプチ仏壇に添えるための花を夕食の後シオナと探しに行った。
近所の林の中まで草花を求めてシオナと歩く。
父に供える植物をアレンジするのはいつもシオナの仕事だ。
ユーカリの花や葉がさり気なく入っているところに、オーストラリアを感じる。
「いいかい、昨年一年の報告と御礼をグランパ(おじいちゃん)に心の中で言うんだよ。それと今年何をするのかもちゃんと報告してね」と言うと、お線香の匂いが立ち込める部屋の中で、子供たちはプチ仏壇の前で目を閉じ、とても、とても長い時間手を合わせている。
少し後で、子供たちは僕にこう尋ねる。
「ダディはいつも人が死んだら天国も地獄もなくて、ただ全てが消えてしまうって言うでしょ。ダディは信じている神様もいないでしょ。じゃあ、グランパに手を合わせているとき誰にお話ししているの?」
オーストラリアで生活をしていると信仰の厚い人たちとよく出会う。
彼らはあたり前のこととして僕が何を信仰しているのかを聞く。
「僕は何も信仰していない」と答えると、彼らは心の底から驚く。
「神なしで、どうやって生きて行けるのか?」と。
正直いうと、僕はかなり頻繁に祈っている。
山に行って樹齢がかなりたっているような大きな木に出会うと祈り、見上げた夜空に綺麗な星が輝いていると祈り、プチ仏壇の上で笑っている父の写真を見るたびに祈る。
神社でお賽銭を投げ込んだ後はとっておきのお願いをするし、絶体絶命のピンチに陥ったときは必ず心のなかで「ああ、神様、お願いです、どうか、、、」とはじまる。
神道の国で生まれ育った僕はたぶん自然や先祖を崇拝する細胞を持っているのだろう。
そういう感覚を、子供たちに説明するのはかなり難しい作業だ。 
僕が何かに向けて頻繁に祈ること、それはいつも同じだ。
「神様、お父さん、どうか僕から子供たちを奪わないでください。彼らが健康で幸せに暮らせるよう見守ってください。母や妹のこともよろしくお願いします」
例えばクリスマスや元旦など特別な節目の時にはこの祈りも個人的なことから人類に向けて規模が大きくなる。
「どうか世界の子どもたちから笑顔が絶えないように、人々が憎しみ合わないように、戦争や紛争が一つでも減るように」と。










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近所の小学校の壁に人々が手をつなぐ絵が書かれていた。
昨年、僕はどれだけの人たちを手をつなげただろうか?
人々が手をつなぎあうこと、手に手をとって輪を作ること、そんなことが日常様々な場所で起こる世界になってほしい。
そのためには、ひとりひとりの人間の尊厳を守ること(Respect for one and all,,,)確かにそういうことからはじまるのかもしれない。
大人より、子供のほうがそういうことを知っているようだ。










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神様、皆さんが幸せに過ごせる2011年でありますように!


















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by somashiona | 2011-01-18 21:42 | ソーマとシオナ

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