ポートレイトを撮るうえでの一番の敵



「友だちでいてくれて、ありがとう」プロジェクトで撮った写真をじっくり、じっくり見ていると、自分の弱点が浮かび上がる。
仕事でなく、誰かに頼まれたわけでもなく、自分のよく知る人たちを好き勝手に撮っていい写真。
さぞかし自由奔放な自分らしい写真が撮れるだろうと思っていたが、それはまったくの期待はずれだった。
よく知っている人だけに、三脚を立て、レリーズを持ち、あらたまって写真を撮ろうとすると、お互いに大いに照れる。
照れながら撮っているので、構図も引いていいのか、寄るべきなのかハッキリとした自分の見方が定まらず、どこか迫力に欠ける。
そこで、もう一度自分に言い聞かせなければいけないのは、ポートレイトとはいったいなんぞや?ということになる。
もちろん、人によって様々な考え方があるだろうが、少なくても、自分にとっての定義だけはハッキリとさせたい。
相原さんと一緒にオーストラリアの果て、世界の地の果て、バングルバングルを訪れたとき、乾いた大地に広がる褐色の岩肌に魅せられた。
岩肌に見える地層に指を這わすとき、何億年もの地球の歴史を確かに感じた。
もし僕たちの住む地球が大きな顔だとすれば、その表面には確かにその顔がたどってきた歴史が存在し、それをもっと見ようとすればするほど、目の前の風景はたくさんの言葉を語り出す。
人の顔には僕たち人間の歴史や生きている証がしっかりと刻み込まれている。
日本人、オーストラリア人、黒人、白人、仏教徒、カソリック、イスラム、全部ひっくるめて人間だ。
表情の中にいつの時代でも、どんな人種でも、全ての人間が共感できる、もしくはどこかで僕たちが経験したことのある感情を呼び起こすようなポートレイトを撮りたいと思う。
着飾った人形を撮るわけでなく、すぐに唇を固く突き出そうとする日本人の若い女性を撮りたいわけでなく、この人は何が楽しくてそんなに大笑いをしているんだろうとか、この人、この時よっぽど機嫌が悪かったんだろうなとか、こんなにかわいい赤ちゃんを抱いているのに、このお母さんの笑顔、どこか悲しげだなぁとか、顔を見てついつい色々なことを考えてしまうようなポートレイトを撮りたい。

なぜ、撮りたいポートレイトをストレートに撮れないのか?
それを邪魔する一番の敵は人に気に入られる写真、特に撮られているモデルさんが喜んでくれる写真を撮ろうとする僕の心だ。
被写体を前に自分が直感的に感じたイメージは必ずしも被写体が欲しいと思っているイメージと一致するとは限らない。
仕事の写真で悩む表情を取って欲しいとか、嬉しさいっぱいの絵が欲しいなどのハッキリとした目的が決まっているのであればとことんそれを狙うが、パーソナルな写真であれば何を撮ろうが本来僕の自由だ。
しかし、自分の欲求に忠実になれない。
アメリカでもオーストラリアでも、写真用の自分のポーズや顔の作り方を心得ている人が多い。
学校のアルバムなど見ると、子供ながらに皆自分を表現する方法を知っているな、と感心する。
ポートレイト写真を撮る時、彼らのそういう決めのポーズや表情を崩すことに苦労する。
僕が撮りたいのは学校なアルバム写真やパスポート写真ではないからだ。
人間、他人のことは客観的に細かく分析できるが、自分のことになると思い込みや思い過ごしが勝ってしまうように、自分の印象や姿を自分では分からないだけでなく、本当の姿には多くの場合拒否反応を示す。
せっかく写真を撮るのだからモデルさんに喜んでもらいたい、という気持ちと、せっかくこの機会を与えられているのだから目をつぶっていようが、顔をしかめていようが、不安そうな表情であろうが、ポートレイトとして光るものがる写真を撮りたい、という気持ちの狭間で揺れ、多くの場合は前者を選び、モデルさんに喜ばれたとしても自分としては納得のいかない写真に落ち着く。
もし、ほんとうに光る一瞬を撮っていたのなら、写真を見せられたその時はガッカリしても、数年後、数十年後には、「ああ、そういうことだったのか」と唸る写真になるかもしれない。
ポートレイトを撮るうえでの一番の敵は相手を喜ばせようとする中途半端なサービス精神だ。
写真を撮る時はいい人である必要はない。
本当に欲しい物があるのなら、それが現われるまで辛抱強く待つべきなのだ。
















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彼女から写真を撮って欲しいと言われていたのは随分前だった。
「近いうちにね」と言っているうちに3ヶ月ほど過ぎた。
ある夜、車を運転しているときそのエリアが彼女が住む家と近いことに気が付き、突然彼女を訪れた。
彼女のことはかなり前から知っていたが、個人的に会ったことは一度もなく、ましてや家を訪れたことなどなかったものだから、家の中の、いつもとはまったく違う雰囲気の彼女を見て僕はとても驚いた。
そして、沸々と写欲が湧いた。
普段着の彼女、生活感たっぷりのキッチンに佇む彼女、笑うでもなく、かといって不機嫌というわけでもなく、ナチュラルな視線の彼女がとても魅力的だと思った。














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彼が僕の家に来ると、まずはすぐにギターを弾きはじめる。
大柄な彼が僕のギターを持つとまるでオモチャのようだが、弦に指を走らせたとたん、高級ギターへと早変わり。
彼のギターテクニックにはいつも聞き惚れる。
ギターを弾く姿は男の僕が見てもカッコイイ。
ギターを弾き終えると、これもまったくいつものように、彼は僕の写真の実験モルモットとなる。
あっち向いて、こっち向いて、立って、しゃがんで、飛んで、睨んで、僕は好き勝手に彼に注文をつけ、それがあまりにも長く続くと「いい加減にしてくれよ」という顔になる。
いい顔の写真もたくさんとったのだけど、「いい加減にしてくれよ」の彼の顔が僕的には一番良かった。
ごめんよ!










この2枚は2009年に撮った写真で、シグマのレンズを使ったものではありません。














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by somashiona | 2011-03-05 19:14 | デジタル

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