27枚の写真


写真を失ってしまったフォトグラファーの話を過去に何度も聞いた。
一番多く聞くのが火災や自然災害だ。
タスマニアで最も有名な写真家のピーター・ドンブロンスキーもタスマニアの歴史上最悪のブッシュファイアー(山火事)で多くのネガを失った。
デジタル時代に入ってからはやはりミスや故障によるデータの喪失が多いだろう。
この手の話は身近なところで腐るほどあるが、殆どの場合、「バカだよなぁ、もっと気を付けていればよかったのに。まあ、僕にはそんなこと起こらないけど」と思ってすぐに忘れるだろう。 
それは写真家がもっとも恐れることであるが、一方で写真を失ってから心も体も軽くなったというフォトグラファーも決して少なくない。
自分が積みあげてきた写真たちにがんじがらめに縛られ、それが未来のより良い写真のための大きなネックになっていることに気がついていないフォトグラファーが意外に多い。
より良い写真を撮りたい、とう強迫観念にも似た思いにとり憑かれ、過去に撮った全てのネガをハサミで切り刻んでしまった話。
写真たちは写真家にとって日記のようなものでもある。自分が死んだ後、それをかってにいじくられ、知らない人間にプリントされ、写真集などにされることには耐えられない、と全てのネガを暖炉に突っ込み燃やしてしまった有名な写真家もいる。
モノをつくる人間にとって、一番情熱を注ぐ対象は、いま取り組んでいる作品だ。
どんなに過去に素晴らしいものをつくろうが、つくり手にとっては、それは単なる過去でしかない。
しかし、写真の特性は過去を積み重ねることでもある。
過去の積み重ねが自分の設定したラインを越え、まとめられ、その行き先やカタチが決まったところで、はじめて写真たちは意味を持ち、待ちかねたように羽ばたく。
未来と過去のバランス、どちらに重きをおくのかは写真家次第だ。
僕は、未来に重きを置かざるをえない。

写真を失ってから沢山に人たちに「なるほどな」と唸ってしまうような言葉を頂いた。
また、面白いエピソードも色々と教えてもらった。

「人生、死ぬこと以外は、すべてカスリ傷」(千鶴ちゃん)

「デジタルを使いはじめてから2008年まで、君は昏睡状態だったんだ。ほんの6,7年の話じゃないか。これからその時間を取り戻せばいい」(ピーター)

「家族の思い出は写真を無くしても心に残るが、未発表の自分の作品が思い出に残ってもしょうがない」(相原さん)

うん、それぞれキャラクターが表れている。

データを失ったとき、「想定外だった」という言葉が頭に浮かんだが、そんなことはやはり言ってはいけない。
東電の社長さんも。
かたちあるものは全てなくなることなど、誰もが知っている。

とにかく、こんなこと、今回の地震で大切なものをなくした人たちと比べれば、屁でもないだろう。
そう、屁でもない。(、、、号泣)































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by somashiona | 2011-05-09 20:20 | デジタル

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