ヨハンの朝



朝の撮影を終えヨハンの家に戻るとベッドメイキングの最中だった。
オーストラリアに住みはじめたから気がついたことの一つにベッドメイキング大切さがある。
とくにお年寄りたちのベッドメイキングにそそぐ情熱は半端じゃない。
シーツやブランケットにシワが寄っていたり、枕が綺麗に重なりあっていなかったり、ベッドのコーナーがきっちりと折り込まれていなかったりすると納得がいくまで何度でもやり直す。
たぶん、子供の頃から親にしっかりとしつけられた習慣なのだろう、一度それがスタンダードになると、それを崩すことは生理的に受け付けないのだ。
人一倍整理整頓に厳しいヨハン、朝の冷たい空気が張り詰めた部屋の中でパジャマをたたみ、ベッドメイキングに移る作業はまるで宗教的儀式のように厳かだ。
ヨハンの家ではすべてのものがきちんと並べられている。
木工作業用の工具、様々な実用書(小説は一切なし。ヨハンにとって読書は実用的でなければならない)、登山に関わるバッチや薬の容器にいたるまで、整然と並べられたモノたちからヨハンの意思が伝わっている。
いつ見ても同じ時間を指している壊れた時計ですらまるでヨハンの命令によって再び動き出す時を健気に待っているようだ。










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ベッドメイキングを終えるとすぐにリヴィングルームに戻り、朝の音楽を慎重に選ぶ。
別に僕がいるから特別慎重に選んでいるのではなく、一日のはじまりにどんな曲を聞くかがヨハンにはとても大切な事なのだ。
ある意味、これはその時の自分がどんな気分なのかを客観的に見つめる行為である。
一日のはじまりに自分の内面と真剣に向き合う時間を持っているなんて、素晴らしいことじゃないか。
僕の朝にはまったくそんな余裕が無い。










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「マナブ、お腹が空いただろう。今朝食を用意するからちょっとそこに座って待っておくれ」
ヨハンの定番の朝食はオートミールのポリッジ(粥)だ。
オーツ麦に熱いお湯を注ぎ、粥状にしてから蜂蜜やミルクを混ぜて食べる。
日本に住んでいたとき、オートミールといえばレイモンド・チャンドラーの小説に出てくる私立探偵が朝食として半分食べかけ、あとはトイレの便器に流してしまう、外国ならではのカッコイイ食べ物だと思っていたのだが、オーストラリアに住みはじめて、これがお年寄りの定番朝食のひとつだということに気がついた。
若い人で朝食にオートミールを食べるという人に、僕はまだ出会ったことがない。
今回、ヨハンは僕のためにナシの缶詰をジューサーでペーストにして、それをオートミールに入れてくれた。
ヨハンは普段、砂糖、塩などの調味料を一切使わない。
せいぜいハチミツや果物の甘味、もしくは食材が持つ塩分を利用するだけだ。
砂糖、塩などが体に良くないと信じているからそうするのだ。
肉類も一度必ず茹でて、そこから出た脂身は徹底的に排除する。
老人ホームなどでお年寄りたちが珈琲や紅茶に入れる砂糖の量やお皿に盛られた料理にふりかける塩の量を見ると驚く。
味覚がどんどん鈍くなってくるので適正量では満足できないのだ。
部屋の温度もしかり。
皮膚のメカニズムがどんどん後退する。
例えば、毛根がどんどん小さくなり、汗腺の機能も落ちる。
なので彼らは身体の温度調整が上手くできなくなり、特に寒さに弱くなる。
ほとんどのお年寄りたちが常に寒さを訴える。
老人たちの肌はまるで薄い紙で出来ているように乾き、脆い。
僕たちには想像できないほどの軽い接触でもその肌の皮はベロリと剥がれ、血が吹き出す。
その皮膚が回復するにも僕たちの何倍もの時間がかかる。
ヨハンの手や腕にいつも傷があるのはそのせいだ。
身体の機能が落ちるからといって痛みに鈍感になるわけではない。
身体に傷が出来れば、僕たち同様、その傷の痛みが彼らを常に不快な気分にさせる。
ヨハンの家で僕のダウンジャケットを脱いだ記憶は殆どない。
ヨハンの家の中では吐く息は常に白いし、冷たい空気のせいで常に鼻水がでる。
彼は一般的老人たちが持つ弱点に、まるで敢えて挑むかのように食べ物や部屋の暖房、その他の全てにおいて驚くほどストイックだ。
彼が今、誰の手も借りずに生活しているのはそのストイックさに負うところが大きいだろう。
体が求める欲に身を任せ、食べたいものを食べ、部屋の中のヒーターをごんごんと使い、歩くこともろくにせずソファの上でテレビばかり観ていたのなら、今彼が手にしている自由はとっくの昔になかったかもしれない。
ヨハンに限らず、僕が今まで出会った自由を感じる人達は自分に課している厳しい制約を驚くほど持っている。
楽な道を選べばえらぶほど、結局は自分を弱くし、誰かを頼らずに生きてはいけなくなるのだろう。

ヨハンがスプーンでオートミールをかき混ぜ、口に運び、それが喉を通って身体に流れ込む様子を眺める。
この光景はもう何度となく撮っているのだが、いつ見てもいい。
どういう訳か、茶色い地面から数センチほど顔を出した黄緑色の新芽にジョウロで水をかけたとき、水を吸い込んだ地面が黒くなり、新芽から水滴が滴り落ちるイメージがいつも頭に浮かぶ。
このそっけない朝食が彼の生命を支えている。










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僕が毎日ベッドから這い出て、仕事をし、家賃や電気代を払いながらもなんとか生きていけるのは、常に未来にやりたいことがあるからだ。
それが僕を動かす原動力になっている。
自分は明日死んでしまうかもしれない人間だから、未来の具体的な夢はなにもない、とヨハンは言う。
今日という日を淡々と生き、ああ、よかった、今日も無事に一日を過ごせた、幸せだ、と思うらしい。
人は時々「未来」という言葉を使って「今」から眼を背けたがる。
明日以降の事は考えず、今日という日だけに気持ちを集中させることができたら、多分僕の人生は今とはまったく違うものになるかもしれない。
別にアリとキリギリスのキリギリスになるべきだと言っているわけではない。
具体的な日付を決め、すでに予約を入れているわけではない漠然とした未来の夢の為にどれだけ毎日の貴重な瞬間を無駄に過ごしているのかを考えるだけでゾッとするのだ。


ヨハンの未来に関して具体的な話になった。
朝からかなりヘヴィーな話だ。
すごく言いづらいことだったが、思い切って僕はヨハンに訊ねてみた。
もし彼の身に何か起こったら、いったい僕はどうやってそれを知ることができるのかと。
彼に電話をして繋がらないたびに胸が絞めつけられる思いをするのは、決していい気分じゃない。
彼が倒れて病院に担ぎ込まれたり、3日間連絡が取れないようなとき、僕は一体誰に連絡をとればいいのかヨハンに尋ねた。
やはりそれは、彼の唯一の身内である娘さんだとヨハンは答えた。
そして、話題は娘さんの事へとシフトしていった。
話が進むにつれ、ヨハンの表情がどんどん厳しくなっていった。
ヨハンが自分の抱える心配事の類を僕に語って聞かせることなど、今まではなかった。
もちろん、「親しき仲にも礼儀あり」ではないが、一人暮らしの老人にあまりプライベートな質問、特に経済的なことや家族の軋轢など、をすることを僕は今まで避けていた。
一つ間違えると誤解を招きかねない立場に追い込まれる可能性も無きにしろあらずだ。
今回の訪問でヨハンの心に常にずっしりと重く横たわる彼の気がかりを知った。
オーストラリアにおける彼の唯一の肉親である娘さんのことだ。
シドニーに住む娘さんは僕と同じ年齢だ。
何年か前に結婚したと聞いていたが、結局上手くいかなかったらしい。
英語の教師として必死に働いているが、物価の高いシドニーでは生活を維持するのが精一杯で、蓄えなど何もない。
もしも病気や怪我などに見舞われたら、彼女の人生は坂を転げ落ちるように暗転するだろう、とヨハンは考えている。
彼が質素な生活を続けているのは、少しでも娘さんにお金を残したいからだ。
いってみれば、僕の生活もヨハンの娘さんと何ら変わりない。
独り者で、生活を維持するのに精一杯、まったくその通り。
少し違うのは僕には子供たちがいることだが、それだけに彼女よりリスクが高いとも言える。
それでも僕が自分の親(母)に対していつも思うことは、何も残さなくていいから、自分の持っているお金はすべて自分の楽しみのために使って欲しい、ということ。
僕の妹も同じ意見だと思うし、友人たちとこの手の話をするとき、ほとんどの友人たちも同じことを考えているのだとわかる。
自分は何とでもなるから、お父さん、お母さん、どうか残りの人生を有意義に生きてください、というのが子供側の心情だろう。
しかし、自分の未来をまったく思い描けないヨハンにとって、唯一思い描ける未来が娘の姿だとすれば、僕の意見をヨハンに押し付けるわけにはいかない。
人は自分だけのためには強くはいられないが、愛する人のためには自分を犠牲にしてでも頑張り続けられる生き物だから。

娘さんのことを話すヨハンはいつになく不安げな表情だ。
一度、僕は娘さんに会うべきだと思った。
たくさんのものを削ぎ落したヨハンの人生の中で一番大切な人、それが娘さんだとすれば、彼をもっと知るためにも会わなくてはいけない。
それが僕とヨハンの奇妙な友情にさらなる深みを与えるだろうから。










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by somashiona | 2011-07-12 16:44 | 人・ストーリー

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