儚さを写す僕の友人




東京に住んでいたとき、僕は主にプロレスや格闘技の雑誌の写真を撮っていた。
ロサンゼルスで写真を学んでいたとき、この出版社の仕事をしたのが縁だった。
ロスでは毎日死ぬほど写真を撮りプリントしていたので、写真のことはもう十分わかっているつもりでいた。
東京に来て、この雑誌社の写真部に契約カメラマンとして出入りするようになり、僕の持っている写真の技術などプロの世界ではまったく通用しないことにすぐ気がついた、というか否応なしに気がつかされた。
写真部に所属する社員と契約カメラマンたち総勢15人前後の中で、僕が一番経験がなく、プロレスについてはアントニオ猪木とジャイアント馬場しか知らず、野球は王さんと長嶋さん、格闘技に関してはアメリカでヒクソン・グレイシーを紹介されたとき、彼のことを知らなくて赤っ恥をかいたほど、この世界について無知なカメラマンだった。
この出版社の仕事は大きく3つ。
一つはプロレスの試合写真を撮ること。
二つめは頻繁にひらかれる記者会見などの写真を撮ること。
そして三つめは雑誌の中の企画物、特集ページの写真を撮ることだった。
一番需要がある仕事はやはり東京ドームや武道館などの大きな施設から地方の体育館やスポーツセンターなどの規模の小さい施設など日本全国様々な場所で開催されているプロレスの興行を撮る仕事だ。
リングサイドで撮るプロレス写真の基本装備はカメラ3台、28mm、35mm、50mm、85mmの単レンズにフラッシュ一台とバッテリーパック。
2台のカメラにタングステンフィルムを入れ、これで試合の殆どを撮る。
もう一台のカメラにデイライトフィルムを入れフラッシュを付ける。(これは場外乱闘などタングステンライトが当たらない場所に備える為)
試合の写真は少しでもシャッタスピードを稼げるよう(1/500秒を以上)絞りを固定で常にF2.8にする。
最新のプロ用カメラでもオートフォーカスはまったく追いつかないので、この雑誌社で仕事をするカメラマンは全員マニュアルフォーカスを使っていた。もちろん僕も。
単レンズをつけてF2.8の絞りで目の前を飛んだり跳ねたりする人間の顔にマニュアルフォーカスでピントを合わせるなど、人間業じゃないと思ったが、それをやるのがプロなのだ。
写真部の社員はもちろんのこと、契約カメラマンたちも、ライバル雑誌や新聞社のカメラマンたちも皆凄腕、そしていい写真を撮るための闘争心は半端じゃなかった。
いい写真が撮れなければ体育会系の編集者からガッツりと怒られるし、他のカメラマンから白い目で見られ、そして何よりも仕事の声がかからなくなる。
多くの人に教えられ、多くの人に助けられた。
僕は最後まで一番下手くそだったが、ここで学んだことはとても多く、今の僕の写真をいつも支えてくれている。
長い歴史があったこの出版社、残念ながら今はもうない。


この出版社の写真部員の一人でいつも僕の力になってくれた男がいた。
多くの凄腕カメラマンたちの中でも彼のテクニックや被写体を切り取る視線は卓越していた。
幼い頃からプロレスカメラマンを目指し、そしてその第一線で常に勝負してきた男だ。
たぶん彼の写真とは知らず、表紙を飾る彼の写真を本屋やキヨスクで見ている人は皆さんの中にもいるだろう。
以前僕のブログで少し触れたことがあるが、この出版社が無くなっていらい、彼はもうこの業界で働いていない。
彼は今、日本全国の城や銅像を撮り歩いている。
城を撮る旅に出るたび、彼はその旅日記と共にその時撮った写真たちを僕に送り続けてくれた。
城に全く興味がなかった僕だが、彼の写真にはどんどん引きこまれた。
彼の写真を見るたび、その写真たちがなぜこんなにも僕を引き込むのか、その理由をいつも考えた。
彼の写真は一見何の変哲もない絵に見えるが、その中に必ず彼の心の動きのようなものが見え、そしてなによりも時(とき)を感じるのだ。
ポートレイトにしても、風景にしても、城であっても、写真の魅力は突き詰めると時間を切り取っているというところにあると思う。
絶え間なく続く時の流れのなかの一瞬を切りとったことを感じさせる写真には何ともいえぬ儚さが漂う。
儚さというのはとても不透明な感覚だ。
受けとる側の心に波がたっていては感じられない。
そして、それはある意味、現実的でなければ入っていけない世界だ。
なので心像写真からは儚さを感じられない。
被写体、構図、タイミング、全てにおいて申し分なくても、そこに偽色や現実離れした諧調があれば、儚さはすぐに逃げ去ってしまう。
彼は撮影の前に訪れる場所についての下調べを十分にする。
特に歴史的背景についてはとことん調べる。
彼が撮る写真で僕が特に気に入っているのは、山の中や雑木林の中で僅かにその姿を見せる遺構(昔の都市や建造物の形や構造を知るための手がかりとなる残存物)の写真だ。
ただの鬱蒼とした林の中の写真。最初はその写真が何なのか見当もつかない。
じっくり見ているうちに伸びた雑草や朽ち果てた枯れ木の中に岩のような物を発見し、それが遺構だということに気がつく。
暑い中、リュックを背負い、額から汗を流し山を登り、森の中にこの遺構を見つけたときの彼の心の波動が伝わる。
何も知らずにここを通りかかった人100人の内、かつてここに大きな城があり、人々が活気を持って暮らし、そして戦い、火をかけられ、無念な思いで自害したことを知る人など一人もいないだろう。
何の変哲もない写真に遺構がちらりと姿を見せるだけで、想像力がどんどん膨らみ、写真の中の時間を浮遊し、そして儚さを感じる。
そういう写真は何度でも見たくなる。

彼が最近ブログをはじめた。
「城と銅像 写真訪問記」
元凄腕スポーツカメラマンが撮る静かな日本の歴史証拠写真、皆さんも心に波を立てずにじっくりとご覧あれ。











本日の一枚
住宅街の中、車の運転中に青、赤、ベージュの3色がチラリと目に入った。
通りすぎてしまってから気になってもう一度その場に戻り、その3色が何だったのかを確認した。
助手席にはシグマの50mmを付けたカメラが一台。
運転席からパチリと一枚切り取り、また車を走らせた。











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by somashiona | 2012-01-12 09:37 | デジタル

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