父の思い出



心に残る父の思い出、古い順から

*まだ小学校に入る前だと思う。父のことがたまらなく好きだった。どうしてかわからないけど父の指をしゃぶってみたことがある。とても塩辛い味がした。父は笑って「さっきオシッコしたとき手を洗うの忘れてた」と僕に言った。それ以来、オシッコの味は塩辛いものとして記憶にインプットされた。

*小学校低学年くらいだったと思う。僕には超お気に入りのシャツがあった。うすいピンクの長袖ポロシャツのような感じで、襟が確か赤のタータンチェック。いつも着ている服とはまったくタイプの違うものだったが、そのシャツは特別だった。ほとんど僕のそのシャツと同じものを父親も持っていた。父がそのシャツを着るときだけ、僕もそのシャツを着た。誰かと一心同体になるという感覚を知ったのはその時だったと思う。

*父親は公務員で若かりし頃は出張が多かった。北海道の山を管理、測量するのが仕事で一度出張に出ると数週間単位で帰って来なかった。小学校の高学年だったとき、夏休みを利用して父の出張先について行った。測量する山の麓で民家を貸しきり、5,6人のチームでその山を測量するのだ。
民家から山の中のある地点まで父はオートバイで移動していた。「乗ってみるか?」と聞かれたとき、興奮が電流のように体中を走った。ホンダの125ccだった気がする。僕をハンドルとシートの間のタンクに乗せ、父がエンジンをかけたとき、僕は興奮でオシッコを漏らしそうだった。タンクからチャプチャプという液体の音が聞こえ、ガソリンの臭がした。父がオートバイを走らせたとき、そのスピード、顔に当たる風、すべてが最高で、僕の肩越しにある父の顔を見ながら何度も「サイコー、サイコー!」と叫び、父が笑った。

*中学生の僕、いつからそうなったのかハッキリと覚えていないが、父が嫌いで嫌いで仕方なかった。僕のやることなすことに父は批判したし、僕は父のやることなすことの反対のことをした。お互い口を開けば喧嘩になり、何度も酷い言い争いをした。ある日、その言い争いが頂点に達し、僕が何か言ってはいけないようなことを父に言ってしまった。何を言ったか覚えていないが、言った後、これはマズイと内心思ったのでやはり言ってはいけない事だったのだと思う。すぐに部屋を飛び出そうとしたが背後からものすごい勢いで父が迫ってくるのを感じた。殴られる、と思ったのと同時に振り返ると父は部屋の反対側へ吹っ飛び、タンスに頭を打って血を流していた。その頃僕は少林寺拳法の黒帯を取る直前で危険に対して頭が考える前に身体が反応するようになっていたのだ。多分僕は振り返るのと同時に父に後ろ回し蹴りかなにかを浴びせてしまったのだろう。頭から血を流した父はショック状態で僕を見つめていた。僕は物凄く怖くなって、家を飛び出し、暗くなっても家には帰れず、田舎町をあちらこちら放心状態でうろついていた。エプロンをした母が僕を見つけてくれて、僕たちは一緒に家に帰った。

*大学を卒業し、バリバリ働いていた頃、会社から父の職場に電話した。大切な話があるから会ってほしい、と父に告げると、父は嬉しそうに「そうか、いいぞ、札幌で一番美味しい寿司屋を予約するからな」といった。大人になって父と二人、差し向かいで、しかも外で会うことなど、その時がはじめてだった。父は上機嫌で、まあ、寿司食べようやといい、僕たちは寿司を食べ始めたが、これから父に話すことを考えると寿司の味など僕にはわからなかった。「で、話って何だ?ははは、わかってるぞ、ついにお前も○○ちゃんと結婚を決めたんだろう?」僕は絶体絶命だった。「いやそうじゃなくて、、、実は会社をやめようと思って、、、」。「なにっ!なんだって!で、お前、仕事やめて何やるんだ!」と父の顔色は変わる。「写真やろうと思ってさ、、、で、アメリカに行こうと思うんだ、、、」と僕。「しゃ、写真?お前、写真なんて全然知らないだろ!いったいなにバカみたいなこと言ってるんだ!まあ、何をやるにしてもな、じっくりといけ、あと2,3年考えてから決めるんだ。いいな!」と父はすでに不機嫌。「いや、会社にはもう辞表を出したし、アメリカで行く学校ももう決めたんだ、、、」
寿司はまだ半分以上残っていたが、その後のことはあまり覚えていない。

*アメリカから帰り、結婚し、ソーマが生まれ、フリーのフォトグラファーとしても十分に稼げるようになったある日、東京のマンションに父と母が遊びに来た。もちろん孫のソーマの顔を見るためだ。一日中孫と遊んで、夕食を終え、9階の大きなベランダで父と二人、食後の一服をしていた。
突然父が僕にこう言った。「ああ、お前が羨ましいよ。学校出てから公務員としてずうっと地味に働いてきただろ。冒険をしたことがないんだ。お前のような生き方がしたかったなぁ、、、」
僕は心底驚いた。父に認めてもらったのは、この時がはじめてだったからだ。あのバイクのタンクに乗せてもらった後、僕たちはずっと反発し合ってきた。とても長い間。僕と父の歴史の新しい時代が始まった気がした。

*タスマニアに父と母がはじめて遊びに来た。
もちろん、孫のソーマとシオナの顔を見るためだ。
このとき、僕と前の妻の関係はすでにかなり難しいところへ来ていた。
それでも、はるばるここまで来た両親に気まずい思いをさせまいと、僕も元妻も必死だったが、それが尚更不自然な空気を作り出していた。
数週間滞在し、いよいよ札幌へ帰る日が来た。
空港まで二人を送りだすとき、僕は何故か胸が張り裂けそうな思いだった。
遥々来てくれた両親に十分なもてなしができなかった、という思いもあったがそれだけが理由ではない。
どうしてかわからないが、これが父に会う最後だという気がした。
どうしてかわからないが、確信に近いものがあった。
いよいよ搭乗のゲートへ両親が向かうとき、父の目に涙が溢れているのを僕は見てしまった。
父もあの時何かを感じていたのかもしれない。
「じゃあね」これしか僕は言えなかった。
たくさん可愛がってくれて、反発しあって、怒鳴り合って、世話もかけて、心配させて、自由にさせてくれて、「じゃあね」より少しはマシなことを本当は言いたかったのに。

*急遽帰国した。札幌の実家の和室で寝ている父の顔には白い布がかけられていた。
顔は穏やかだったが頬に触れると物凄く冷たかった。
父に返せなかったことは、一所懸命僕の子供たちにしようと思う。
本当に極々たまに父が夢に現れるが、いつも笑っている。
2004年、2月1日に父は逝った。
父との思い出は、まだ新鮮だ。













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by somashiona | 2012-01-30 19:46 | 人・ストーリー

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