撮る人たち



写真を撮っているときは必死で、撮っている自分の姿を客観視できない。
写真家の相原さんの撮影に同行した時など、彼が本気モードに入ったときの姿は以前僕がネーミングした「金剛力士像」そのものだ。
撮影が終わって、夜星空の下、テントから半分顔を出し、イビキをかいているときの顔とはぜんぜん違う。(あっ、失礼。イビキをかいてもジョージ・クルーニー)
撮っているときの相原さんの姿はまさに戦う戦士、男も惚れる。
憧れのフォトグラファーたちのドキュメンタリーフィルムなどを観ても、やはり彼らの姿はカッコイイ。
撮るときは誰しも100%脳がフル稼働し、被写体を追う目や動作は人間が研ぎ澄まされたときに見せる独特のオーラを放つ。
まるでアフリカのサバンナでライオンがじりじりとシマウマに近寄るような感じで、見ていてスリリングだ。
それにもかかわらず、ごくたまに僕が仕事をしている時などの姿を不覚にも写真に収められ、後で手渡されるとかなり、いや、相当に驚く。
めちゃ、カッコ悪いのだ。
垂れた目、ヨダレが流れそうな口元、しまらない顔、姿勢の悪さ、アングルを調整するときのへっぴり腰、、、この調子じゃ、今後いくら年を重ねても「マジソン郡の橋」でメリル・ストリープを撮るクリント・イーストウッドにはなれそうもない。
撮っているときは出来るだけ人には見られたくないものだ。
しかし、写真を撮る者として、誰かが写真を撮っている場面に出くわすと、直ぐに目が行ってしまう。
そして、誰かが写真を撮っているその場面を、僕が撮りたくなる。(その僕の姿を第三者が撮ってたなら、写真としてはもっといい。あ、くどい?)
お決まりのパターンだが、結婚式などで友達や親族が新郎新婦の写真を撮っている姿はとてもその時の様子を物語る。
誰かが写真を撮ろうとするとき、そこにはそれなりの理由やパッションがあり、人が何かに心動かされアクションを起こす姿は写真の被写体として立派に成立するのだ。
皆さんが野外で写真を撮っているとき、必ず誰かがあなたのことを見ている。
密かに近寄り、一瞬で撮ったつもりでも、その行為は目撃されている。
フォトグラファーたちよ、姿勢を正していこうじゃないか!











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by somashiona | 2012-02-04 17:45 | デジタル

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