羊たちは、僕たちか?




眠れないときの定番は「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、、、羊が千二百、、、、」と羊の数を数えるという方法だが、なぜこれが効果的なのかということについては色々と説がある。

羊たちがいるのどかな風景を想像することでリラックス出来る。
単調なことを繰り返すことによって眠気を誘う。
Sheep(羊)とSleep(睡眠)の発音が似ているから。
などなど、たぶん探せばもっと出てくるだろう。

オーストラリアに住んでいると(特にタスマニア)羊は本当にそこらじゅうにいる動物で、多くの人にとっては目の前にいてもまったく目を引かず、退屈この上ない動物だ。
「好きな動物は?」と聞いて「羊です」と目を輝かせる人に、僕はまだ一度も会ったことがない。
羊と言われたら、僕の場合まずは一匹の姿を想像するだろうけど、オーストラリア人なら、いつも群れをなして行動し、一頭一頭というより塊(かたまり)として羊を想像する人のほうが多いかもしれない。
羊は英語でSheepだが、二匹以上の複数形でもSheepsにはならず、羊の複数形はSheepのままだ。
もう、語尾にSを付けるのでさえ、彼らにとっては面倒な動物なのだ。
そんな動物のことを考えるだけで、眠気に襲われるのも無理はない。
ちなみに、日本人が羊を数えるときは「Sheep」ではなく「羊が」とやるので、シープのスリープ効果は期待できない。
さらにいえば、世界の羊の家畜化の歴史は8千年前といわれているそうだが、日本に羊が本格的に入ってきたのはほんの明治以降のことで、しかも今では畜産としてほとんど採算がとれない家畜だ。ということは、日本において羊というのはかなりマイナーな動物で、退屈どころか物珍しいくらいだ。
日本の子供がライオンやキリンさんの絵を簡単に描けたとしても、羊の姿は頭に思い浮かばないかもしれない。
そんな日本人が羊を数えはじめると、想像力が頭の中を駆け巡り、眼が冴えて仕方ないだろう。












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今回、羊の毛刈りの撮影で、タップリと羊たちを観察できた。
僕は羊が好きだ。
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」に出てくる主人公の少年は羊飼いで、羊を引き連れて旅をすることに僕は憧れをもった。
トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」で主人公のFBI訓練生クラリス・スターリングが少女の頃、牧場で処理されそうな子羊の悲鳴を聞いて、一匹だけ抱き抱え必死で逃げるシーンは、まるで自分の記憶のように強烈に残っている。
村上春樹の初期三部作は羊三部作といわれるようだが、「羊をめぐる冒険」は羊マニアにはたまらない。

しかし、実際に羊たちを一日中見ていると、なんともいえない気持ちになる。
羊マニアのはずなのに、どこか悲しい気持ちになり、しまいには怒りさえ感じ始める。
こう言っちゃなんだが、彼らは食べることと、逃げることしか考えていないように見える。
顔は常に怯えた表情だ。
僕の姿を見つけると、ものすごく怯えた顔をし、一目散に逃げる。
シマウマだって、リスだって、逃げるときには、少しは考えや計算があって逃げようとする気持ちが顔に出るが、羊の場合、思考が見えない。とにかく逃げる。
羊たちは常に群れをなす。
そもそも、「群」をいう感じをよく見て欲しい。
そう、この漢字は羊たちの話をしているのだ。
動物の群れにはリーダーやボスが存在するものだが、羊の群れにはそういったものがない。
なので、だれかが動くと皆動く、誰かが逃げると皆逃げる、そこには思考も理由も何も無い、皆がそうするから私もそうする、自分の頭では考えないのだ。
群れをなすという彼らの生き方は、捕食の連鎖で底辺にある生き物が身を守る為の手段だ。
彼らは結局、人間と暮らすことで狼や他の猛獣から身を守る生き方を選んだのか?
その結果、日々の生活はむしゃむしゃと草を食べながら安定して送れるが、さて、これから寒い季節になるぞ、というときに突然犬に追いかけられて、暗く狭い小屋に閉じ込められ、怖いおじさんに引き摺り出され、身ぐるみ剥がされた上に、冷たい風が吹く大地にまた放り出されたりする。
彼らを一日中観察して、とてもい心地が悪くなるのは、そういう彼らの生き方がどことなく僕たち日本人を彷彿とさせるからだ。
渋谷のスターバックスからスクランブル交差点を眺めるとき、いつも羊の群れを思い出す。
もちろん、あそこを歩く人たち一人ひとりにはそれぞれ人生があって、生きる努力もしていて、仲間から、家族から尊敬もされ、沢山の愛に包まれているだろう。
羊も一匹、一匹を注意してみれば、たしかにハンサムな奴がいたり、可愛らしかったり、彼らもそれぞれ思うところがあるんだろう、とさえ感じる時がある。
でも、日本という国が進む方向、外交、世界の中の位置づけ、その独特な考え方、地震や原子力発電所をめぐる対処の仕方、政治家たちと彼らを選ぶ国民、そんな大きな事柄をひとまとまりに考えると、やはり「誰かが動くと皆動く」的な羊の群れを想像してしまうのだ。












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世界の国々(オーストラリア)では羊は退屈な生き物だという話をしたが、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教などでは、羊は良き物とされている。
聖書では、我々人間は迷える子羊であり、良き羊飼いに導かれるべきだと言っている。
もし僕たち日本人が迷える子羊なら、せめて良き羊飼いが現れて、僕たちの日本人の未来が光り輝く方へ向かっていけるよう、しっかりと導いて欲しいものだ。
タスマニアから生意気言うようですが、めぇぇ〜〜〜え。












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つづく(To be continued)














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by somashiona | 2012-06-13 21:03 | デジタル

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