坐禅#2




よく昔から、「君は考えすぎだよ」とか「そんな事考えたって仕方ないだろう」と言われるのだが、その度に「考えるのをやめたら、人間じゃないだろ!」と心の中で言い返してきた。
しかし、坐禅をはじめてからその”考え方”が少し変わってきた。

タスマニアで僕の尊敬する友人たちのほとんどが坐禅をする。
といっても彼らにとってそれは坐禅でではなく、メディテーション(瞑想)だ。
坐禅とメディテーション(瞑想)は似ているが、同じではない。
上手く説明できないが、どうしてそれをするのかという根本的な姿勢が違う。
メディテーションは宗教とは無関係で、エクササイズやヨガの延長線上にあるもの、すなわち身体に良いからやる、という感覚のものだ。
日本の坐禅は座ることに結果を求めない。
ストレス解消のため、心のやすらぎのため、と座った時点でもうそれは坐禅ではない。
ただ座る。そして限りなく無になる。何も求めず、何も期待しない。座るという行為だけで十分。それが坐禅だと思う。
あまりにも周囲の人達に勧められるので(メディテーションを)、数年前に中国仏教のお寺(ホバート)が主催する初心者のためのメディテーション・コースで半年ほど修行を積んだことがあるのだが、僕にはまったく向いていなかった。
そのコースがちょうど夕食前の時間だったこともあって、座るとすぐに食べ物のことが頭をよぎり、どうしても集中できないばかりか、毎回ものすごい勢いでお腹がぐぅ~ぐぅ~と鳴りはじまるのだ。
このコースでメディテーションをする前に、このお寺で一番偉いマスターと少しだけ話しをする時間を頂いた。
「メディテーションで一番大切なことは何ですか?」という僕の問に、「決して目を開けないことだ」と七福神のような顔をしたマスターが、神のお告げを囁くように答えてくれた。
なので僕はメディテーションの最中、何があっても決して目を開けなかった。そう、根は素直なのだ。
お寺の中の広い空間の壁には漢字で書かれた掛け軸や仏像のようなものが所狭しと置かれている。
タスマニアの中で100%アジアな空間、これがまたいい。
線香の匂いが、まるで建物に染み付いているかのように、階段を歩いていても、トイレで用を足している時も漂う。
メディテーションの時間が近づくと、「ドラゴン怒りの鉄拳」に出てきた中国拳法の門下生のような服装をした人たちが続々と集まってくる。
男も女も、老いも若きも、頭を丸めている。
時折、頭を丸めた色白の超美形な中国人女性などがいて、場違いな興奮すら感じる。
(この時点でメディテーションをやる気構えの欠落に気づくべきなのだが)
中国拳法の門下生のような人たちには階級があるらしく、位の高い人らしきお坊さんたちが広い空間の中央正面に座り、門下生たちはボーリング場のコースに立てられたピンのようにその後ろに続く。
そして一般人、スーツ姿のオフィスワーカーらしきオーストラリア人、ジーンズとTシャツ姿で髪の毛を立て身体にはタトゥの橋下氏の下では絶対に働けないタイプのオーストラリア人、どこからどう見ても専業主婦のオーストラリア人、高校生らしきオーストラリア人などが続々とやって来て、正面の位の高いお坊さんの方に向き合う形で、各々好きな場所に座る。
ゴォ~ンという鐘の音と共に目をつぶり、皆が一斉に僕にはまったく意味のわからないお経のようなものをひたすら唱え続ける。
約1時間ほどのセッションなのだが、メディテーションがはじまって10分もすると広い空間のあちらこちらから様々な雑音が何故か発生し始める。
連続してゲップをする者、オナラをする者、すすり泣く声、あえぐ声、ドタンバタンと飛び跳ねるような音、目をつぶっている僕には何が起こっているのかまったく分からず、頭の中は???がたくさん浮かぶのだが、それが浮かぶということは心を無にしていない証拠だ、と自分に言い聞かせ、雑念を振り払い、ひたすら耳コピーで覚えたお経を唱える。
「おぉ~ん まにべ~ めにほ~ん」


半年たったある日、いつものように「おぉ~ん まにべ~ めにほ~ん」と唱えながら頭をよぎるオージービーフやカルボナーラを掻き消そうと相変わらず見た目には静かな戦いを繰り広げる僕だったが、この日、まわりの人々のすすり泣く声やオナラ、そしてドタンバタンと飛び跳ねるような音はいつになく激しく、いつしか僕の頭の中の戦いは目を開けて何が起こっているのかを見るべきか否かの戦いにすり替っていた。
最高位のマスターはメディテーションへの道は絶対に目を開けないことだと言ったが、半年たっても僕は食べ物の煩悩すら追い払うことができないじゃないか、、、よし、ちょっとだけ見てみよう。
誰にも気づかれないよう、僕はうっすらと薄目を開けてみた。もう寝なさい、と親に怒られた子供時代に何度もやったように。
たぶん眼球はまつ毛に隠されているだろう、、、よし、よし、、、あ、あれぇ~、全員が座っているはずのこの空間で、、、女性が数人踊っている、、、、あ、あれぇ~、男性が転がって泣きわめいている、、、あ、あれぇ~、女性がお尻を半分上げてオナラしている、、、あ、あれぇ~、ティーンエイジャーの少年が悪魔にとり憑かれたように白目を剥いて身体を揺すっている、、、。
気がつくと、僕は目を皿のように大きく開け、火星探査機の白いアンテナのように首を右へ左へ、前へ後ろへと360度忙しく回している。
そして、お経を唱える位の高いお坊さんが僕を睨みつけているのに気が付き、慌てて目を閉じた。


この日のメディテーションが終わった後で、勇気を振り絞り、位の高いお坊さんに目を開けてしまったことを詫び、どうして皆が目をつぶり静かに座っているはずのこの空間であんなことが繰り広げられていたのか、自分を抑えられず詰め寄った。
お坊さんの説明では、長くここでメディテーションをしている人たちは完全に自分を開放状態にできるので、意思とは無関係にそれぞれの人が心に抱える状態に応じた行動をとってしまうという。


僕はこの日からここへ通わなくなり、メディテーションとも一度は縁を切った。



つづく













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タスマニア北西部、グランビルハーバーへ向かう道
















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by somashiona | 2012-06-27 09:10 | デジタル

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