坐禅#最終回

久しぶりに親友のピーターを訪れた。
僕は気が滅入っていたり、自分にポジティブなエネルギーが不足していると感じる時は人に会うのを避ける。
自分のネガティブさに他人を巻き込みたくないからなのだが、そうすると自分の低エネルギー状態も続くことになる。
何をやっても満足を得られず、常に身体は痛みに蝕まれ、自分を外に向けることが段々と難しくなってきている、という話をピーターにすると、「それはね、たぶんスペースが不足しているんだよ」と彼は言った。
「スペースって、それは時間的余裕?それとも経済的余裕?心に余裕がないってこと?あのね、ピーター、経済的余裕と時間的余裕さえ僕にくれたら、僕は明日からでも常夏の島に行って、ビーチチェアの上でグアバジュースを飲みながら3ヶ月を過ごして、それから100%身も心もスペースたっぷりの健康体になってタスマニアに帰ってくるよ」とついつい僕は皮肉たっぷりに言い返す。
そう、誰もこの気持など分かってくれないのだ、と思いながら、ダダっ子のように。
「いや、スペースっていうのは、頭の中の話だよ。マナブには頭の中に自由なスペースを作ってあげることが今大切なんじゃないかと思う」とピーターは僕の皮肉にもたじろがず、続ける。
「じゃあ、どうやってスペースを作るのさ?なにか驚きのアイディアでもあるの?」と僕。
「うんあるよ。メディテーションさ」とピーター。
「ねえ、君だって知ってるだろ、僕が6ヶ月間もメディテーションに本気で取り組んだのを。もうたくさんだよ。あれはまったく僕向きじゃないもの」と僕は少し期待を裏切られたような気持ちになった。
「たぶんね、やり方が悪かったんだよ。ジョン・カバット・ジンって知っている?メディテーションをはじめて西洋医学に取り入れることに成功した学者なんだけど、彼の講演会の様子をね、YouTubeで観れるんだ。ねえ、マナブ、騙されたと思ってそれを観て、15分でいいから彼の言うとおりメディテーションをやってご覧よ。ね、これは男同士の約束だ。今晩君は必ずメディテーションをする」とピーターがいつになく熱く僕に訴えかける。
渋々、僕は男同士の約束をしてしまった。


男同士の約束をしたからには、守らねばならない。
その日の夜、ベットに入る前、正直、やれやれと思いながら、ピーターが教えてくれたYouTubeを観てみる
ドクター・ジョン・カバット・ジンがその講演会で話したことは極めてシンプル。
我々は皆、常に考え続けている。
過去のことを、今現在のこと、そしてまだ来ぬ未来のことを。
寝ている時ですらその思考は止まらなず、脳は常に考えっぱなしだ。
一日の中で、ほんの短い時間でいいから今この瞬間、いま自分がここに存在し、確かに生きているというその事実だけに目を向けてみよう、ということだ。
生きている証、それは呼吸だ。
自分の体に入る空気、出て行く空気、それだけに意識を集中してみる、それが彼がすすめる初歩的なメディテーションの方法だ。
彼の言うとおり、約15分だけやってみた。
そしてその後、僕はさっさと寝た。
翌朝、近年稀にない素晴らしい目覚めを僕は経験した。
もの凄く深い眠りと爽やかな目覚め。
夜中に一度もトイレに行くことなく、いったい何が起こったのかと考えているうちに昨夜メディテーションをしたことを思い出した。
まさかねぇ、、、と思ったのだが、あまりにも心地よい眠りだったので、この日の夜もまたやってみた。
次の朝もすごぶる快調、その晩もまたメディテーションをやってみる。
それが1週間、2週間と続き、時間も15分から20分、20分から30分と増えていった。
朝は忙しいから5分~15分、夜は30分と回数も増えた。
10分でも長く睡眠時間が欲しい時も、その時間をメディテーションに費やした。
その方がいい眠りにつけるから。1時間の良質なメディテーションは3時間分の睡眠に匹敵するらしい。

大学を卒業したあと、僕が就職した企業の会長が坐禅をとても大切にしている人で、新人研修では寺で座禅させられた。
その時もらった「参禅入門」という本をなぜだか今も大切に持っていて、なんとなく何十年ぶりにその本を読んでみて、目から鱗が落ちた。
すっごくいいことが書かれている。
それ以来、僕はメディテーションではなく、坐禅を目指している。
やっていることはほぼ同じ、いまこの瞬間、息を吸い吐くということだけにひたすら意識を集中し、それ以外の考えは排除するのだが、その座禅という行為をストレス解消のためや、身体の痛みを軽減するため、などという目的のためにやるのではなく、ただ毎日座り、無になる時間を作るということのためだけにやることにした。
座る前には壁に向かって一礼し、時計回りで反対方向にも一礼する。
線香を焚き、部屋の空気を清める。
相変わらず雑念や煩悩との戦いだが、それでも坐禅を終えた後はとても清々しい。
"考える"ということを自分の意思で止めること、その気持よさを僕ははじめて知った。

先日、アフリカのスーダン出身で難民としてオーストラリアに永住した女性と話をしていてハッとさせられた。
戦争に巻き込まれ、家族や友人たちが殺された。
命からがら何カ国かに家族がバラバラに逃げ、今はこの小さなタスマニアという島で落ち着いている。
いつもニコニコと幸せそうな彼女に、なぜあれほど悲惨な経験をたくさんして、いまだって決して良い給料とはいえない職場で毎日休む間もなく働いて、それでも自分の人生は幸せかと思うか?なぜいつもそんなにニコニコしていられるのか?と聞いてみた。

「マナブ、そんなの簡単なことよ。考えないこと!過去のことを考えたってそれはもう変わらないし、まだ起こっていない未来のことを心配してもしかたがないでしょ。今こうやって生きている瞬間瞬間を楽しむのよ。私たちは楽しむために生まれてきたのだから。人生はダンスよ、踊るのよ。」とアフリカの特有のダンスのステップを踏みながら笑って答えてくれた。
アフリカ人なのに仏教してる、、、。

坐禅をして以来、考えることは大切だが、考えることを止めることも大切だということに少しずつ気がついてきた。
仕事をしている時、今現在時間に追われてやっていることと同時に電話やメール、様々な人間の依頼や質問、ドクターへの予約、燃えないゴミの出し忘れ、友人との食事のための買い物をしなくてはいけないことなどなど、次から次へと考えが打ち寄せる波のように押し寄せる。
そういう時、一度作業の手を止め、坐禅の時の腹式呼吸を繰り返してみる。
たった今やるべき事だけに気持ちを集中させることによって、効率よく物事を運べることが分かってきた。
これも坐禅効果だ。
効果を期待せず座れば座るほど、じわりじわりとどこかで効果が現れる。

この現実世界を生きている限り、予定や計画通り物事が進まず、気持ちとは裏腹に健康や体力が低下しそれによって多くのことを断念しなければいけないことは、やはりある。
しかし、それはけっしてGive upするということではない。
リタイアしたらゆっくり旅行しようとか、この病気が治ったらあのプロジェクトを進めようとか、お金が貯まったらじっくりと動き出そうなどと思ってはいけない。
今、この時点でできることを、今、やらなければ何も起こらない。
先のことなどあてにせず、過去のことにもこだわらず、今やるべきことを精一杯やるのだ。
自分を信じて、今日もただ静かに座わり、立ち上がったら行動を起すのだ。

坐禅、皆さんも騙されたと思って、やってみては?


終わり












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自宅の窓から ウェスト・ホバート















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by somashiona | 2012-06-29 23:51 | デジタル

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