ひとりごと







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僕がまだ18歳くらいだったっときに友人から聞いた話がなぜか忘れられない。
僕も彼も当時札幌で暮らしていたが、その友人は難しい国家試験の合格を目指し、単身東京に出て一人暮らしをはじめた。
憧れの東京。
裕福だった彼の家庭は都心にある豪華なマンションの一室を彼に用意した。
最初の数カ月は夢のような暮らしだったらしい。
勉強もはかどった。
東京に知人、友人は一人もいず、朝から昼までマンションにこもり猛勉強をし、外に出て少し散歩をしてからレストランで食事を済ませ、またマンションで夜中まで勉強をする生活が続いた。
もともと独りの時間が好きだった彼だが、毎日誰とも話さない生活が何ヶ月か続くうちに、何かが彼の中で変化していった。
試験の日は刻一刻と近づき、プレッシャーも大きくなる。
真夏の真昼間、いつものように午前中の勉強を終え、公園の道を彼は歩いていた。
頭をじりじりと焼く太陽の強い光が、真っ黒な影を彼の足元に投影し、そのとき彼は自分の歩調と合わせて動くその影の動きを、まるであかの他人を見るように眺め続けていた。
しばらくしてから、彼はふと気がついた、影を見つめながらずっとひとりごとを言っていることに。
最初は誰かがすぐそばで話をしているのだろうと思ったのだが、そのハッキリとしたかなり大きな話し声が自分のものだと知ったとき、彼はかなりショックを受けた。
すぐに札幌の実家に戻ることに決めた。













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話はまったく変わるのだが、僕がしばらく通っていたホバートの大きな病院で毎回顔を合わすスタッフがいる。
彼女はドクターでも看護婦でもなく、患者の介護やその他の雑務のようなことをその病院でやっていた。
ものすごく細身で顔や、たぶん体中にもソバカスのある50代前半と思われる白人女性だ。
彼女は僕を見るとマシンガンのように話しかけてくる。
しかも、僕が彼女の話に答えようと頭を動かしている間も続けざまに彼女は話し続け、僕が答えようとする内容はすでに今彼女が話していることとは合わなくなってしまっているので、結果的に僕は黙って頷く役に徹することになる。
話しかけられることが少しうざったい気分の時は雑誌を読んだり、本を読んだりする振りをしてみるのだが、それでも彼女はお構い無く話し続ける。
しばらくして、それが彼女のひとりごとだということに、やっと僕は気がついた。
その後からは僕も気楽に、話したくないときは無視、話したいときは彼女の話に耳を傾けるという態度に変えた。












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ある日、子供はいるのか?と聞かれ、二人いると答えた。
この国でよく知らない相手となにか話をするとき、天気の話やフットボールの話題をふるように「子供はいるのか?」というのはメジャーな切り口だ。
自分の子どもについて話すことが皆大好きだし、子供がいる人にとっては共通のテーマがたくさんある。
彼女にも同じ質問をした「で、あなたも子供はいるの?」と。
「息子が二人いたわ」と彼女は早口で言った。
息子がいた、、、いるではなく、いたという間違いなく過去形だった。
僕はしてはいけない質問を彼女にしてしまったと気がつき、何かフォローしなくてはと考えていると、彼女はいつものように早口でその話題についての話しをはじめた。












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最初の息子さんは幼い時まで他の子供達とまったく同じように明るく元気ハツラツで成長した。
ただ少し他の子どもと違ったのは、よく転ぶことだった。
まったくおっちょこちょいなんだから、と最初は笑っていたが、転ぶ頻度があまりにも多く、膝や手のひらに傷が絶えなかったので病院で検査してもらうと、筋ジストロフィー病のデュシェンヌ型だと診断された。
筋萎縮と筋力低下が徐々に進み、次第に車椅子生活を余儀なくされ、20歳前後に心不全や呼吸不全のために死んでしまう病気だ。












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彼女の息子さんも同じ道をたどった。
息子さんの闘病生活の最中、彼女は新たに生命を得た。
二人目の息子さんは彼女や病気の長男にとって希望の星だったが、この子も、成長するに従って転ぶ回数が増え、彼らの前にまた黒く分厚い雲が浮かびはじめた。
一番考えたくない事態が彼らを待ち受けていた。
長男、次男ともにまったく同じ病気だった。
長男は19歳で、そして次男は1年記録を更新し、20歳まで生きたわ、と彼女は笑った。
彼女があまりにも悲壮感なく、あっけらかんとまるで何か楽しい出来事でも教えてくれるように話すので、僕は彼女がなにか冗談を言おうとしているのか、それとも、僕の英語力のせいで、話の筋を間違って解釈しているのではないかと自分を疑っても見たが、僕の理解はやはり正しかった。
僕はすっかり彼女の話の世界に入り込んでしまい、失礼を承知で「もし僕が二人の子供たちを失ったら、その後生きていく自信がない」というと、「大丈夫、私だってそう思っていたけど、ホラ見て、こんなに楽しそうにピンピンと生きてるわ」と僕にウィンクまでしてみせた。
「でも、じわじわと自分の子どもが病気に冒されるのを見て、青春まっただ中の20歳前にその一生を終えるなんて、まるで拷問のようだよ」と僕は目の前にいる実際にそんなふうに息子たちを失った女性に、それこそ拷問のようなセリフを吐いていた。
自分が同じ状況に置かれてしまっている想像の世界に短い時間でどっぷりと漬かってしまい、相手の気持ちなど考える余裕がなかったのだ。
「でもね、私にとっては交通事故や殺人なんかである日突然息子たちを奪われるより、こっちのほうがよっぽど良かったと思っているのよ」と彼女は早口で言う。
「彼らは彼らなりに青春を謳歌したわ。わたし驚いちゃったのよ、葬式の時に。車椅子の息子がいったい何処で作ったのか、私のまったく知らない400人以上の人たちが息子のために葬儀に参列してくれたのよ。こんな歳まで生きた私が死んだって、たぶん20〜30人くらいしか集まってくれないわよ」と言って彼女は大声で笑ったが、僕は全く笑えなかった。
「でも、息子さんたちが亡くなった後、どうやってその悲しみを乗り越えたの、、、っていうか、乗り越えられないよね、そんなこと。今みたいに笑って話ができるようになるまで時間がかかったでしょう。どうすれば、そういう苦しみから這い上がることが出来るの?」と僕は相変わらずぶしつけな質問をする。
「あの頃の私はね、あんた、冗談抜きに、真っ暗闇の洞窟で膝を抱えて、ろくすっぽ食べもせず、息をするのも苦しい状態だったわ。一口でいえば、私はズタズタに破れたボロ雑巾みたいだった」
「でも今はボロ雑巾にはみえないよ」と僕。
「やっぱりね、家族よ。父や母、兄や妹、彼らがいつも私のそばにいてくれたわ。本当にいつも、いつも。そういうときって、それしかないよ」と言って僕がそういう状態を想像している間に、彼女はまたひとりごとモードに入り、違う話題へと移っていた。
看護婦さんからお呼びがかかり、僕も診察室へ移動した。












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人はどうしょうもなく辛く悲しい問題ぶち当たったとき、二つの選択肢から自分の取るべき態度を選ぶと思う。
一つはどっぷりとその悲しみに漬かってしまうこと。
もう一つは、できるだけそのことは考えないように努力すること。
いや、その二つの間を行ったり来たりするのかもしれない。
息子さんを失った後、彼女の頭の中にどれほどの言葉が流れ続けただろう?
どれほどこの出来事に飲み込まれないよう、戦ってきたのだろうか?
ああ、神様、どうしてこんな仕打ちを、こんな試練を私に与えるのですか?
私はあの子たちのために、最後まで精一杯尽くせただろうか?
ああ、もう一度会いたい、一目でいいから息子たちにあって、その体を抱きしめたい。
だめ、私はもうダメ、生きていけない、、、だいじょうぶ、私はきっと大丈夫、今は辛いけどきっといつか光が射す。
こんな言葉たちが四六時中彼女を襲ううちに、きっと頭の中でその言葉が収まりきれず、知らず知らずのうちに彼女の口から溢れ出ていたのだろう。
彼女にとってひとりごとは、自分を守る最大の防衛手段だったに違いない。












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by somashiona | 2012-09-08 14:34 | 人・ストーリー

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