ボブ・ブラウン

この仕事から足を洗って堅気になれない一番の理由は、写真という行為がなければたぶん一生会えなかったであろう人に会い、行けなかったであろう場所に行き、知ることができなかったであろう現実を知る、この快感だ。
特に人。
多くの違った種類の人々から彼らの人生の一部を見せてもらうたび、僕の物事に関する価値観が限りなくグレーになっていく。
歳を重ねるにつれ、物事に対してはっきりと白黒を付けられる人間になると自分に期待していたのに、、、。
世の中というものが、ますます分からなくなっている。

それでも、心洗われる人に出会うと、この世はいいところだ、と思える。
今年、The Australianというオーストラリアの新聞の仕事で出会ったボブ・ブラウン氏はまさにその典型だ。

タスマニアの、いやオーストラリア全般の、人々の環境に対する意識の高さにはよく驚かされる。
毎日使っている紙のたぐいが、あの美しい木々を切り倒してできているという、当然の事実を明確に認識しているし、汚れた水が僕たちにどういう影響を及ぼすのか7歳の僕の息子でも、はっきりと説明できる。
それも、これも、このボブ・ブラウンが率いるグリーン党という政党の影響が大きいからだ、と僕は常々思っている。
ちなみに、日本に住んでいた頃、特定の政党のおかげで人々の認識に変化が起こっている、という実感を持ったことは一度もない。
彼らの活動はまったく目に見えない。
オーストラリアの政治は僕たちが普段感じていることにダイレクトに訴えかけ、僕たちが声を挙げれば物事は変わる可能性があるということを、人々は実感として持っている。

タスマニアの森の視察を行なうボブ・ブラウンを取材するにあたって、少なくても3時間は彼と一緒に森を歩くであろう僕は、事前に何人かの友人たちにある質問をしていた。
彼にあった時に、彼をどう呼ぶか? 
他の政治家なら迷わず「Senator (議員)」と呼んでいただろう。
もしくは「Sir (男性に対する敬称)」、「Dr.Brown (彼はもともと医者)」、すくなくても「Mr.Brown」と呼ぶはずだ。
しかし、僕の友人たちはすべて、「ボブでいいよ」という。
オーストラリアという場所は、ヘタに丁寧に人と接すると、かえって余計な距離を作ってしまう。人物を撮影する時は、出会った瞬間にいかにその距離を縮めるか、に懸っている。
彼を説明するとき、多くの人が "He is down to earth."という表現を使った。
「現実的」「気取らない」と言った意味。
これは僕にとって新しいフレーズだ。

この取材で僕はプロになってから初めての失敗をしてしまった。
20分も遅刻したのだ。
取材の時はいつもかなり早めに家を出ることにしている。撮影前にいいロケーションを見つけていたいし、なんせ焦るといい写真が撮れない。
この日はジャーナリストと一緒に待ち合わせの山の中へ向かう予定だったが、急きょ僕一人で行くことになった。
山道を運転していて僕は道に迷ってしまった。
携帯も電波が届かず、林道用の地図も持っていなかったので、まったくお手上げだ。
路肩の悪い山道を砂埃をあげながら、ほとんどパリ・ダカール状態。
僕は焦りに焦っていた。
よりによって、一政党の党首を山の中で待たせるなんて、、、。

林道に立って僕に手を振る彼は、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「こんな山の中でカメラ2台ぶら下げて、汗だくになっている君は、きっとマナブだよね。僕はボブ、ボブ・ブラウンていうんだ。僕のことは知ってる?」
「多分知ってると思う。ミュージシャンでしたっけ?」
彼にあった瞬間に、僕は心が洗われる思いがした。
こんなに自然体の有名人に会ったことがない。
こんなにピュアーなオーラを放つ人に出会ったことがない。
遅刻の気後れはすぐに吹っ飛び、撮影に集中できた。
と、いうより彼の話を夢中になって聞いていた。
山の中で彼は最高に楽しいガイドさんだった。
植物を手に取ってはそれにまつわる美しいストーリーを語り、鳥の巣を見つけては木の伐採によって彼らがどんなに追いつめられているのかを教えてくれた。
僕はほとんど写真を撮るのを忘れていた。
「ところでマナブ、どんな写真が撮りたいの? 僕は昆虫と鳥たちのためならどんなことだってするよ。本当さ。」
「それじゃ、ボブ、あの木に登ってくれる?」なかば冗談だったのだけど、彼は木に登りはじめた。
そこで、カシャ!
この一枚が新聞に大きく載った。

この後、この森に住むマークとサリーの家で素敵な昼食を御馳走になった。
この家はマークが長い年月をかけて自分で造った自慢の家だ。
彼らはイギリスから自転車旅行でこの森にたどり着き、そのままこの土地を買って、住みついてしまったらしい。
タスマニアではありがちな話し。
彼は大工でもないのに自分で家を建て、農夫でもないのにたくさんの野菜を栽培する。
今もまだ家の一部は作っている最中で、この作業はエンドレスだとマークは言っていた。

突然家の中に登場したウォンバットを嬉しそうに抱きかかえるボブ・ブラウン。
その顔は、まさに少年の顔そのものだった。


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サリーさんの料理は素晴らしかった。たぶんこのキッチンが彼女の創造力をかき立てるのだろう。


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水道も電気も通っていないこの家。トイレの後は水を流すのではなく、白いバケツの中にある木屑を落とす。


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リビングで読書中のアッシン君(13)

by somashiona | 2007-03-18 10:08

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