ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回

ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_023998.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0233647.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0235845.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0242395.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0243860.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0245739.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0251469.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0253322.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0255767.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0261444.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0263486.jpg




ホバート・ショウ・デイ 写真展より  — 最終回_f0137354_0265595.jpg






僕にとって写真とは、モノクロプリントだった。
カラーは、仕事だから使っている、という思いが強かった。
仕事ではない自分の写真をカラーで見せるという今回の試みは、僕にとって大きな出来事だったのだ。
しかし、この「ホバート・ショウ・デイ」の一連の写真を造るためには、どうしても色が必要だった。
現実であって、夢の中の世界、それが出る色。
深みがあって、毒々しい、そんな色が欲しかった。

全ての写真に、これでもか、というくらいPHOTOSHOPを使った。
とはいってもトーンカーブと彩度を調整しているだけなのだが、レイヤーの数が7つ8つは当たり前、という感じだ。
アンセル・アダムス大先生がいう「ネガは楽譜でプリントが演奏」という言葉は、僕の撮るほとんど全ての写真にあてはまる。
ちなみに加工した写真はPHOTOSHOPのファイルで残していないので、もう一度同じ写真を造れといわれても、完全に不可能だ。
僕はその辺の写真の管理がとてもだらしない。
フィルムからモノクロプリントするときはノートに何をどうしたか、割と細かく書き込んで記録を残すが、それでも同じプリントは造れないので、デジタルも同じことだ、と自分に言い訳をする。
その日の気分で出来る写真が微妙に異なる。
しかし今回の写真は撮っている時にハッキリとしたフィニッシュのイメージがあったのでPHOTOSHOPの作業はとても楽だった。
楽すぎて、丁寧さに欠けてしまった。
ちなみにフィルムでモノクロを撮っているときも、撮影をしながらこのロールはこう現像しよう、と考えながら撮るので、これもデジタルの写真とよく似ている。
と、いうより、こういうふうにモノクロで撮っていたので、デジタルを使うときも同じ考え方をするのだろう。
あとで加工し易い露出決定をするので、そのままの写真は見られたものじゃない。

ギャラリーのキュレーターに作品のプレゼンテーションをするためのカット約8点はすでに全ての加工を終えていたが、その他の写真は写真展の1週間前まで、まだ選んでもいなかった。
暗室作業があるわけじゃないのだから3日もあれば充分だ、と高を括っていたのだが、それが大きな過ち。
多くの苦難を生み出してしまった。

3年分のホバート・ショウ・デイの写真をちゃんと見たのはこの時が初めてだった。
3年分と言うとすごい響きだが、実際は3日分の写真だ。
でも、この3日間はノリに乗って撮りまっくっているので、やはりすごい量だ。
最初の数10カットはRAWファイルで撮っているが、CFが間に合わないと判断し、残りは全てJPEGで撮ってしまっている。
80カットに絞り込むのに1日かかり、さらにそこから35カットに絞り込むためにもう1日かかった。
写真で大切なことは撮った写真の中からどれを選ぶかだ。
撮った後にすぐこの写真選びをすると判断を誤る。
撮ったときの興奮と思い入れがあり過ぎて、見せたいもののストーリーを組めないからだ。
新聞の仕事をするときは、時間との勝負。
撮影の後、一刻も早く写真を選んでデスクに送らなくてはいけない。(この作業は苦手)
送り終わって3日くらい後にもう一度写真を見ると、もっと多くを語る写真があることに気がつき、度々頭を抱えてしまう。
そう、写真とワインは寝かせたほうがいいのだ。

写真展に出展する作品をプロに頼んで選んでもらう人がいる、と聞いたことがある。
まったくナンセンスだ。
撮っている時点で絵を造ることに夢中になり、何を語りかけたいのか考えていないのだろう。
そういう写真は伝わってこないと思う。
選ぶことこそが、主張なのだ。
(ただし、ギャラリーのキュレーターの意見には耳を傾けよう)

写真の選択を終え、後はラボにプリントを出すだけ、とリラックスムードだった。
イメージとしてはギラギラのグロッシーペーパーで下品な感じに。
いくつかのラボにテストプリントを出したのだが、どれもこれも納得できない。
ラボのプリンターのプロファイリングデータをもらってプリントし直しても、何か違う、、、。
「これじゃ、写真展に出せない、、、」という思いに血が引いた。
デジタル時代に入ってから写真をいつもモニターで見る落とし穴にハマったのだ。
「写真表現の最終段階はプリント」という当たり前のことを、デジタルになってから忘れていた。

写真展まで後5日。ここから戦いが始まった。
友人に頼んでエプソンのプリンターを借りる。
ラボに見せるための自分のプリントのイメージを造りたかったからだ。
友人のプリンターはピグメントインク(顔料)なのでしかたなくマットペーパーを使った。
期待していなかったこのプリントの結果に驚いた。
いい感じ。
欲しいプリントがそこにあった。
グロッシーよりマットペーパーのほうが作品にマッチしている。
次に違うマットペーパーをテストしはじめた。
ファインアートペーパーなど素晴らしいものをいくつか見つけたがオーダーしてももう間に合わない。
結局、エプソンアーカイブマットペーパーA3+を使うことにした。
コストもかなり抑えられ、満足できる仕上がりになった。
モニターとプリンターのイメージの違いもほとんどなく、プリント作業も予想以上に楽だった。

そして、滑り込みセーフで写真展のオープニング・パーティに間に合った。

(話しは次回に続く)


ここタスマニアは只今イースターホリデーの最中。
明日は子どもたちとべったりな時間を過ごすので、ブログはお休みします。
皆さん、僕のブログを見ていただいてありがとう。
本当に嬉しいです。




ranking banner ランキングに参加しています。応援のクリックをお願いします!


by somashiona | 2007-04-07 00:47

<< previous page << 写真展の話しをもう少し | ホバート・ショウ・デイ 写真展... >> next page >>