働かざるもの食うべからず




日本にいた頃、働かずして生きていく方法はないものか、暇さえあれば知恵を絞っていたが、たどり着く結論はいつだって海外のスーパー宝くじで10億を当てるという安易な夢想だった。
一度その夢想がはじまるともう止まらない。
とりあえず借金を全て返し、今まで買いたくても買えなかったキャノンの最高級の機材を全て揃えた後、もう仕事の為に撮らなくてもいいのだということに気づき、趣味のライカを購入する。そして長年の夢だった視力回復の手術をして、おまけに腫れぼったい目を綺麗な二重まぶたに整形してから半年ほど世界放浪の旅に出るのだ。
放浪の旅は仕事ではないので重たいキャノンの機材一式を持っていく必要はない。ライカのボディ2台に28mmと50mm。35mmも一本用意しておきたいところだ。フィルムで仕事をしていた時代の海外取材はデイライトやタングステンフィルム、ISO100から1600までを300本から400本用意し、空港のX線でいつもイヤな思いをさせられていたが、この世界旅行はなんてったってごく個人的な趣味の撮影旅行なのだからフィルムは30本ほどあればそれでいい。
フィルムの種類も仕事ではないのでTri-xが90%で、残りの10%はコダクローム64だったりする。普通の人はコダクローム64はもう販売中止になっているじゃないか、というだろうがなんといってもお金持ちなので普通のルートじゃないところからフィルムが手に入るのだ。まあ、一本5千円と少しばかり高くつくが、欲しいイメージの為にはそれくらいはしかたない。
趣味と言いつつも素晴らしい場所で素敵な人たちに会うとついつい本気モードで撮ってしまう。30本なんて1日で無くなってしまう本数だ。プロでやっていたときの癖がなかなか抜けないのだ。いいカットが撮れるまでとことんフィルムを使ってしまう。でも今はお金持ちなので別にいいカットがとれなくても気にしない。ただライカのシャッター音が聞きたくて、ついついシャッターボタンを押してしまう。巻き上げのため右手の親指に水ぶくれができるまでシャッターを切るのだ。
お金持ちだからクレジットカードはもちろんVIP会員。電話一本かければ誰も知らない南の島のハンモックでうたた寝しているうちにFedExのスペシャル便がその日のうちにやってきて、ホテルの部屋までフィルムを届けてくれる。
誰もいない真っ白なビーチで海に沈む夕日を撮っていると遠くのほうから黒いシルエットが僕のほうに近づいて来る。
距離が縮まるにつれそのシルエットがまるで不二子ちゃんのようだということに気がつく。あいにくシルエットの正体は不二子ちゃんではなかったが、夕暮れの砂浜を散歩していたその27歳のフランス人女性と静かだが楽しいおしゃべりの時間を過ごし、夕暮れの写真のことなどすっかり忘れてしまう。彼女、3ヶ月間の休暇を取ってこの島でバカンスを楽しんでいる。一人旅だ。この島を去った後どこにいくの?と聞かれ、別に予定はないよ、と答えると、それじゃあ私の住むコート・ダジュールに一緒に行こうと誘われる。それはいい考えだね、とかなんとかいっているうちに空には星がきらめく。でもその前に今晩の予定は?と彼女はにっこりと僕に微笑む、、、。


うぇ〜く、あぁ〜ぷっ!
こら、こら、起きなさい!
疲れているのは分かっているけど、目を覚ましなさぁ〜い!


タスマニアに住みはじめてしばらくの間、僕はまったく仕事をしていなかった。
そうあってはいけないのだが、オーストラリアでは市民権、もしくは永住権があれば仕事をしなくても生きていける。
国から生活補助金が支給されるからだ。
仕事が見つかるまで終わることなく支給される。
例えば40歳の男性の場合、月に12万円くらい支給されると思う。

このシステムを聞いた時、僕は自分の耳を疑った。
なぜって、長年の夢、仕事をしないで生活できるのだから。
タスマニアで12万円。
贅沢はできないが、とりあえず生きていける。
たまにはカフェでエスプレッソだって飲むことができる。
こんな甘い話し、あっていいの?と思った。
たぶん皆さんもそう思うだろう。
僕は怠け者を決め込むと、とことんナマケモノになれる。
これはまさにナマケモノ天国だ。
しかし、信じられない話しだが、僕はこの生活環境に馴染めなかった。
結論から言うと3ヶ月で自分を疑いはじめ、6ヶ月でもう限界だった。
何も生み出さないことがどんなに苦痛か知らされた。
何も生み出さないと自分の存在価値を疑いはじめる。
自分がいてもいなくても、この世の中は何も変わらないのだ。
この考えはまんざら間違ってはいないが、それでも仕事をしている時は自分が働かないと困る人が少なからず出て来る。そうすると少しは頑張らなくちゃと思える。しかし、仕事をしていないと何も生み出していないにも関わらず、生意気にもしっかりと食べ、飲み、それに飽き足らずガソリンを使い、電気を使い、水を使い、火を使う。そこで消費されるものを代わりに補ってくれるのは、朝早くから眠たい目をこすりながら職場に行く人たちが払ってくれた税金だ。
考えれば考えるほど、自分がゴミのように思えて来る。
自分の存在価値を疑いはじめると、自分の人格までとことん疑いはじめる旅がはじまる。そうするとやがて自分が嫌いになり、自分を取り巻く人たちが嫌いになり、世の中が嫌いになり、人生がイヤになる。
2週間に一度センタリンクというお役所のようなところに行き、一応は仕事を探したんです、みたいなコトを証明する書類にハンコをもらう。このハンコをもらうと銀行の口座にお金が振り込まれるのでホッとする。このハンコをもらう為にセンタリンクに来た人たちの列は、昔社会科の教科書で見た世界恐慌の時代の支給される食料を待つ人たちの列と人々の目が同じに見えて仕方がない。そして、自分がその列の中にいると思うと自分のことが心から情けなくなる。
タスマニアには親子三代に渡って一度も仕事をしたことがない人たちがたくさんいるらしい。自分のお父ちゃんやお母ちゃんが働いているところを見たことの子供がやがて親になり、子供も同じことを繰り返す。
児童手当のシステムを逆手に取って父親の分からない子供をどんどん産む若い女性も多い。子供がいればいるほど自分のタバコ代や酒代が増え、彼女たちの子供は必要なものを与えられず怒りと不公平感を抱きながら成長するが、多くの場合は親と同じ道をたどる。

こういう人たちをたくさん抱えるオーストラリア。
それでもこういう人たちをまかなう為の税金を払っている納税者が文句を言わないのは、仕事を辞めるたび、子供を産むたび、新しいビジネスをはじめるたび、もう一度大学に戻って勉強をし直すたび、この社会のシステムに助けられた経験が誰でも一度はあるからなのかもしれない。
僕もたくさん働いて、きちんと税金を払い、この国の人たちに何かしらのお返しをしなければいけない。

最近忙しく、自分の写真がまったく撮れない。
唯一のチャンスは金曜日の午後と子供たちを迎えにいく土曜の朝だ。
特に土曜の朝はまだ空が暗いうちから車に乗って子供たちが住むニューノーフォークの近辺に行く。
ロケハンも何もせずの行き当たりばったりだ。
別にいい写真が撮れなくてもいい。
カメラを車に詰込み、なかなか暖まらない車内のなかで冷たい手をこすりあわせながら空が白んでくるのを待つだけで自分が取り戻せたような気がして嬉しいのだ。自分の写真を撮るときは、好きな自分になれるときだ。
運が良ければいい写真が撮れるだろう。
最近、写真との付き合い方が変ってきた。
男が大人になって、今まで反発していた父親とやっと腹を割った男の話しができるようになるときのように、写真に対して意地や見栄を張らなくなってきているのかもしれない。
こんなに長く好きでいられることなのだから、もっと大切にしてあげないといけない。

そんなことを考えながら歩いていた土曜の朝、はっと我にかえり立ち止まった僕は、身を切るような冷たい空気の中、静かに佇む二本の柳の気と向かい合っていた。
水辺に映った二本の柳と僕は、父と息子のようにしばし見つめあった。







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New Norfolk, Tasmania







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by somashiona | 2007-08-14 19:52 | デジタル

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