反応する写真




さて、今日もブッシュウォーキングの話しの続きである。
筋肉痛は相変わらず、というよりも昨日より悪化している気がする。
そう言うと皆さんは「ほら、ほら、それって、もう歳だっていう証拠」とすぐにつっこみを入れたくなるだろう。
残念ながら反論の余地がない。(涙)


ブッシュウォーキングをしていて、苔むしたルートに入ると日本人の僕たちは「うぅ〜ん、いいねぇ〜」などと思わず声が出てしまう。
タスマニアで日本人観光客向けのガイドをしていたことがあるが、お客さんを短時間で満足させようと思ったときは、とにかく苔むしたレインフォレストの中を歩くように心がけた。
そうすると天気が悪く、少しご機嫌斜め気味のお客さんも「アッラァ〜、素敵ねぇ〜」という事になるのだ。
日本人は苔を見ると「情緒漂う」とか「いとおかし」の世界に入るが、驚くことに(驚かないかもしれないが)オージーはそうではない。
彼らは苔を見ると「足下が滑りやすくなるから気をつけなくては」もしくは「ここは地学的には渓谷で日光が比較的、、、」というように気持ちが展開していくようだ。
札幌で生まれ育った僕にとって、苔のある風景は決して山の中の風景と結びつくものではなかった。
苔と言えば神社、お寺、お墓、というような極めて単純な連想がはじまる。
もし神社やお寺のある風景が綺麗に刈り込まれた芝生ばかりのアメリカの庭のようだったなら、僕もオージーのように苔を捉えていたかもしれない。

カメラを持って頭の上の見えないアンテナを四方八方に動かしているとき、フォトグラファーが反応する被写体というのは、その人の生まれ育った環境や経験や体験から生まれるオブセッションのようなものがとても強く影響しているに違いない。
写真家の相原さんと一緒にカメラを持って歩いていても、反応する被写体がまったく僕とは違うことに純粋に驚く。
僕は相原さんの写真が好きだ。でも僕が撮りたいものはまったく同じ場所に立って、同じく前を見ていても、やはり相原さんとは違うのだ。
それは一流の写真家と僕の感性が同じであっては相原さんも困ってしまうと思うが、僕ではなく、巨匠アンセル・アダムスと相原さんが一緒に撮影に出かけても、やはりフレームに収めるものはまったく違うのだろうという気がする。(でも見てみたい)
ロスにいた頃、同じ風景を前に、がちっと硬いモノクロで正統派のアンセル・アダムス風に、次はぬめっとちょっとセクシーで無機質のヘルムート・ニュートン風に、フレームを傾けてマリー・エレンマーク風で、、、というような遊びをよくしたものだ。
悲しいのは、そういうことを何度やっても、「次はマナブ風で」というのが見つからないところだ。
あれから軽く10年以上過ぎているが、いまだにこの「マナブ風」が分からない。(マナブカゼじゃないよ!)


土曜日のブッシュウォーキングでは、長い時間カメラをぶらさげて歩いていたのに、まったくまともな写真が撮れなかったのだが、ブッシュウォーキング終了間際にふつふつと写欲が沸いてきた。
理由は簡単。
全行程をちゃんと歩ききることができるだろうか?というプレッシャーから解放されたからだ。








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登山道のスタート地点にある古池に目が吸い込まれた。
スタートのときは見向きもしなかったくせに、だ。
苔同様、古池はなんといっても蛙飛び込む水の音なので反応してしまうのだ。
そこに何があるというわけではない。
朽ちていく葉や木の枝。
池を構成する全ての要素が油絵のようなこってりとした色を発している。
こういう時はそれが良い被写体になり得るか否かに関わらず、とにかくシャッターを切ってみる。理由は後で考えればいい。心が反応したという事実が重要なのだ。
いい構図を探そうなどと思っちゃいけない。
素直になるのだ。
「どうしてなのか分からないけど、あの人、なんだか気になる」
恋だって、そうやって始まるじゃないか。









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帰路、助手席の窓からタスマニアの春特有の、濃い緑で覆われた牧歌的風景を眺めていると、助手席側の台地一面が黄色い花で覆われているではないか。
運転していた友人に「ちょっと車を止めて!」と叫んだ。
車に乗せてもらっているにもかかわらず、こういう時は思わず命令口調になる。
これは栽培している花だ。
おそらくカノーラだろう。
ベジタブルオイルよりも身体に良いと言われている、あのカノーラオイルの花だ。
こういう風景を見るとフォトショップでどうイメージを作ろうか?とすぐに考えてしまう。暗室作業で身に付いた癖だ。ポジフィルムで長く仕事をしている人はあまりそういうふうには考えないそうだ。
僕にとって写真は作り上げるもの。
フォトショップというものが世の中になかったら、仕事でない写真はきっといまだにモノクロ一本やりか、モノクロのティンティング、カラーネガの世界、もしくはクロスプロセスとうの技術を使い、時間とお金を振りまきながら写真を撮っているだろう。いや、そんなにお金のかかることは続けられないかもしれない。
ロスの写真学校に行っていた時先生たちが言っていた。
アジアでは撮影の際に時間をかける傾向があるが、欧米では写真を撮った後に時間をかけると。









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そして雲。
僕は雲を見ると反応する。
パブロフの犬状態だ。(ワン、ワン)
走る車から、防風林見下ろす雲を、パチリ。
意外な場所で発見してしまった静かなビーチに微笑みかける雲を、パチリ。
夕焼けに染まる真っ赤な雲を、、、というような写真を撮りたいわけではない。
キレイじゃなくてもいいのだ。
雲を見るといつだっておおらかな気持ちになれる。
雲を見るといつだって自然に包まれている気がする。
見上げれば、雲は毎日、どこにでもある。
この気持ちを写真に託したいのだが、まだどう撮っていいのか分からない。
でも、「あっ、雲が、、、」と思ったときは、とりあえずシャッターを切ることにしている。

自分の心が反応する物に、素直にシャッターを切りたいのだ。










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by somashiona | 2007-10-15 14:29 | デジタル

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