エロスな写真は脳を刺激する



昔、ポリスのヴォーカルだったスティングがインタヴューでこう言っているのを聞いた。
「若いときはね、作る曲のほとんどが恋に関するものだった。でもね、この年になると恋がどうのこうのというより、もっと違うことを歌いたいんだよ。もう恋は僕の最大の関心ごとじゃないのさ」

雑誌の仕事をしているとき、いつもカッコいい写真を撮る努力をした。
僕を指名してくれた編集者の口から「おぉ〜、カッコいいねぇ」と言う声が漏れるのを聞きたかった。モデルになる人にも「いい、いい、カッコいいよ」と言いながらシャッターを切っていたし、読者にはそのモデルさんを見て「キャー、カッコいいー」と言ってほしかった。

タスマニアに住みはじめ、僕の中で大きく変わったことはカッコいいかどうかなんでどうでもよくなったことだ。
カッコよくしようと努力している人を見ると、カッコ悪いなぁと思ってしまう。
カッコよくなくてもいいんだ、と分かったときから生きることが少し楽になり始める。
別に多くの人から愛されなくてもいいさ、と思えるようになるとさらに楽だ。
愛想笑いで使っていた顔の筋肉がほぐれてきた。
年を重ねると若者たちが苦しみ、努力するこういう問題を背負わなくてもよくなる。


このことはフォトグラファーとして、撮る写真にも大きく影響する。
カッコいいとかではない、他の何かを撮ろうとするからだ。
写真が変わる。
もちろん仕事の写真では相変わらず分かっていないエディターなどがかっこよさを写真に求める。
何度も、何度も過去に見てきた同じようなイメージを繰り返すのだ。
同じことを繰り返すから見る人も考えなくなる。
構図の中にカッコよさの狙いが見える写真は興ざめする。
カッコつけている場合じゃないところにある物事の状況や人の姿は素敵だ。


写真にカッコよさを求めなくなったが、未だに求めてやまないものがある。
エロスだ。エロティックなものには引き込まれる。
エロスはとても個人的な感覚だ。
他の人が全くエロスを感じていない物事に対してものすごいエロスを密かに感じるときがある。
そういうときにシャッターを切ると自分では高得点の写真になるのだ。
おじいさんを撮っても、おばあさんを撮っても、そこのエロスがあると写真が生きる。
プラトンの言うエロスとは知性など自分に足りないものを欲する衝動だ。
僕の言うエロスはそんな高尚な世界の話ではないのだが 、それでもエロスを求める心はすなわち自分の本心を探し出す行為だと思う。
なので自分の感じるエロスをまっすぐに写真で表現できる人は深いと思うし、正直だとも思う。
年を重ねるに従ってエロスを正直に表現することに躊躇してしまう。
多くの人から愛されなくても構わないが、エロスを表現したとたん、多くの人から白い目で見られるのを心のどこかで恐れている。
子供たちがいじめられないか、などと考えてしまう。
とくにタスマニアのような、島民全員が知り合い状態の島であからさまなエロスを撮ると変態東洋人呼ばわりされ、買い物をするにもサングラスをかけ、帽子を深くかぶらなくてはいけなくなる。


しかし、愛する写真に正直にならずしてどうする。
エロスだ!エロスを撮るんだ!

burgismのburgさん、彼のブログで「もっとエロいの撮りたい!」と叫んでいた。

「もっとエロいの撮りたい!」という心の叫びは真剣に写真道と向き合っている証拠だ。

burgさん、そしてみなさん、もっと地球にエロスを!
もっとエロスを撮りましょう!
走れエロス!









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by somashiona | 2008-03-14 00:03 | デジタル

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