老人とダイアン・アーバス



ロスアンジェルスの学校で写真を学んでいた時、授業は35mmのカメラからはじまった。
学校指定のカメラはニコンのFM2だ。もちろんフィルムカメラ。
その後、6x6版や6x7版などのミディアムフォーマットカメラを学び、つぎに4x5版のラージフォーマットカメラの使い方を教えてもらった。
毎回の授業でアサイメント(宿題)がでる。
一度でも提出しなかったり、合格基準をクリアしなかったら即落第だ。
そのころの僕はミディアムフォーマットカメラもラージフォーマットカメラも持っていなかったので、毎日学校からカメラを借りていた。
それは他の生徒も同じだ。
みんな貧乏学生で、お金はフィルム代と暗室の薬品に消えるのだ。
学校が用意していたミディアムフォーマットのカメラがハッセルブラッドなどであるはずがなく、ヤシカ、ゼンザブロニカ、マミヤなどが生徒の貸し出し用カメラだった。
生徒たちはアサイメントを少しでも早く、コンディションのいいカメラで終わらせようするのでいいカメラはすぐに貸し出し中になり、多くの生徒が文句を言っていた。

僕がはじめてミディアムフォーマットで撮影したのはヤシカの6x6二眼レフだった。
以前、僕のブログで紹介したがこれがその写真だ。






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学校のアサイメントの為に撮ったのだが、二眼レフのこのカメラを手にした時、同じアパートメントの1階に住んでいたゲイの彼を(彼女を)被写体にすると決めていた。


大好きなダイアン・アーバスに捧げる写真を撮りたかったのだ。


そして、この写真を撮った翌日、僕はなんと、学校の貸し出し用カメラで6x6版のマミヤの二眼レフカメラを一台見つけた。
それは古く、重く、使いにくく、学生からは最も人気のないカメラだったのだが僕にはまったく問題なかった。
問題ないどころか、そのカメラは僕にとって特別な輝きを放っていたくらいだ。
それはそのカメラが僕の憧れの写真家、衝撃的を受けた写真家、伝説の写真家であるダイアン・アーバスが使っていたカメラだからだ。
彼女の作品は6x6の正方形に代表され、そのほとんどはマミヤの二眼レフカメラで撮ったと本で読んだことがあった。






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(ダイアン・アーバス写真集『An Aperture Monograph』の表紙より)







あまりにも有名な写真家なのでここで彼女の話はしないが(本当は語りたくてしかたがない)、ウィキペディア(Wikipedia) では彼女をこう説明している。
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ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923年3月14日-1971年7月26日)とは、アメリカの写真家。ニューヨークに生まれ、ニューヨークに没する。
1940年代から、主としてファッション写真をこなし、夫とともに、「ヴォーグ」、「ハーパース・バザー」、「エスクァイア」などの雑誌で活躍。その後、フリークス(肉体的・精神的な障害者、肉体的・精神的に他者と著しく違いがある者、他者と著しく異なる嗜好を持つ者など)に惹かれ、次第に心のバランスを崩し、自殺。
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あれから長い月日が経ったが、どうして彼女があんな風にフリークスを撮れたのか、どうしてどの被写体も100%彼女に心を開いていたのか、The family of manという写真展で彼女の写真が展示された時、多くの人たちが彼女の写真につばを吐きかけたのか、最近やっと分かるような気がする。

彼女はモデルになってくれたフリークスたちが喜ぶような写真を撮ったわけでなく、かといって世間に対する見せ物としてフリークスたちを撮ったわけでもない。
美しい彼女とフリークスたちは見かけこそ違っていたが、本質的にまったく同じタイプの人間だったに違いない。
だから彼女は彼らの世界にすんなりと入り込み、彼らも同じ匂いを嗅ぎ付け彼女を受け入れたのだろう。

写真を学んでいた当時、学生たちはインパクトのある被写体を常に求めていた。
ホームレス(この言葉、今はダメだっけ?)ゲイ、レズビアン、ジャンキー、病気の人たち、ギャングなどは学生たちがターゲットにするお決まりの被写体だ。
そういう被写体がいけないと言う気はもちろんない。
だけど、ダイアン・アーバスは写真のインパクトを求めてフリークスたちを選んだわけではない。
彼女の写真が今見ても、何度見ても胸に突き刺さるのは、選んだ被写体たちが、実は彼女の心の拠り所だった、ということが真っすぐに僕に伝わってくるからだろう。
彼女はフリークスたちの姿を借りて、自分自身を撮っていたのだと思う。
自分探しというようなテーマは時を越え、世代や性別を越え、国を越える。
自分自身を隠さず100%出して来る作品の力は凄まじい。
最近、自分の写真を見ていてよく撮れていると思える写真はやはり自分との関係性のある写真なのだということに気がつく。
どんなに綺麗な女性を上手くまとめて撮っても、そこに自分との関係性がない写真はどこか虚しい。
だからといって、モデルになってくれた女性に深い関係を迫るわけにもいかない。
こういう写真を撮った後、はい、綺麗ですねぇ、、、の後の言葉が出てこない。


自分の心の底が何を求めているのか、それを見つめ続けるのは苦しいことだ。
多くの人がどこかある時点で自分の心の叫びに目を背け、そんなこと考えたってしかたないじゃない、はやく大人になんなきゃダメだよ、と言い聞かせ自分らしさを少しずつ捨てていく。
皆が気にしていること、世間で良いと言われていること、これなら大勢の人が頷くだろう、という方向へ徐々に、徐々に自分を向かわせ安心させる。
そして気がつくと何も感じられない人間になる。
いい機材を持っていても、写真の技術があっても、感じられなくなった心では感じるものを撮れるわけがない。


自分でも理由は分からないのだが、シェフィーフドに住むヨハンおじいさんと出会って以来、妙におじいさん、おばあさんに心弾かれる。
彼らと一緒にいると心安らぐ。
おじいさん、おばあさんの写真を撮りためているわけでは決してないのだが、自分の写真の中に頻繁に出て来る。
これは一度真剣に向き合うべき被写体なのではないかと最近思いはじめている。
身体の奥から自然と湧き出るという意味では女体を撮りたいというあの欲求に近いのだが、それでいてまったく別次元の心の欲求なのだ。
さて、それを撮ってどうするのか?
時間やお金をかける意味や価値があるのか?

そんなことは分からないに決まっている。












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ダイアン・アーバスの作品は http://photography-now.net/diane_arbus/portfolio1.html ここで見れます

彼女のプロフィールは http://www.artphoto-site.com/story77.html
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by somashiona | 2008-10-10 23:27 | B&W Print

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