対照的な2枚の写真とブルース・ギルデン









今日は少し写真の話をしたい。






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おいしいうどんを食べた後、松山市近郊にある港に向かった。
夏の日差しに眩しく光るコンクリートの防波堤に二人の男性の後ろ姿を発見。
絵になりそうな予感、、、見たらまずはすぐに一枚撮る。そして絵を作りながら徐々に距離をつめる。
後ろ姿では満足できず、防波堤に僕もよじ登りこの二人の男たちの顔を見る。
彼らを見た瞬間、父と息子の距離を感じた。
それがここで撮るべきものだ。
写真を撮ってもいいかと尋ね、二人を撮りはじめた。
たぶん近くのお店で買った菓子パンをかじりながら二人は少年の進路について話し合っていた。
とても真剣に話し合っていて、近くで写真を撮る僕のことなど眼中にないくらいだった。
夏の空の下、カモメの鳴き声と波の音を聞きながら交わしたこの会話を少年はきっと忘れないだろう。
僕も子供たちが自分の将来について相談して来た時、海の見える場所で率直な意見を言えるといいのに、と思った。






二人にお礼をいい、防波堤を少し歩くと青い空と海に負けないくらい全身青の人物が歩いているのが目に入った。
漁師さんだろうか、軍手につなぎ、ここで働く人に違いない。
彼の歩く方向を予測し、彼を捉えるべき場所を見つける。
隠れこそしないが僕は息をひそめて彼を待つ。
射程内に入った途端、カメラを構え一枚だけ撮る。
僕の姿を見つめながら歩いて来た彼は嫌悪感をあらわにした。
それでも僕はまだ次のチャンスをうかがい、移動する彼と一定の距離を保つ。






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もし誰かが僕に対してこういう行動をとったなら、僕もやはり嫌悪感を抱くだろう。
普通に考えれば人は誰からも嫌われたくない。
出来れば写真を撮るという行為に対し笑顔で応えて欲しいと勝手な期待をする。
勇気を振り絞って、率直に写真を撮りたい気持ちを伝えれば、ほとんどの場合、人は快く応えてくれる。
しかし、ストリートで見た普通の人々はいつも笑顔で前を向いているわけではない。
どちらかと言えば、しかめっ面でうつむきがちに歩いている人の方が多い。
当たり前だ、人生には解決しなくてはいけない問題が山積みで、明るい光が差し込むことなどそう頻繁にはないのだから。
それが現実なら、それも写真に写すべきだ。
ストリートの写真を撮りはじめると最初に思うことはどうすれば自然な写真を撮れるようになるのだろうか、ということ。
そして多くの人は200mm以上のレンズを手に入れ、相手に気づかれず自然な姿の写真を手に入れる。
でも、望遠レンズを使って撮った自分の写真をじっくりと観察すればそれがストリートで感じた空気とほど遠く、生きた被写体の手応えが写真の中にないことに気がつくだろう。
そこで新たな悩みと格闘することになる。
後ろ姿を撮る。
足下を撮る。
カメラをフルオートにしてフレーミングだけに集中して撮る。
ノーファインダーで撮る。
いい背景を見つけ、そこで獲物が来るのを待って撮る。
方法は様々だ。
ストリートフォトのスタイルで世界に名を馳せているフォトグラファーはライカなどのレンジファインダーカメラを使っている人が多い。
レンジファインダーを使ったことがある人ならばどうやってこのカメラで一瞬を切り取るのだろう?と不思議に思うに違いない。
視野率の狭いなんちゃってファインダー、動かない木を写すのにも時間がかかる二重像合致式マニュアルフォーカス。
僕がコニカヘキサーRFを買ったときはあまりの使いにくさに後悔の雨霰だった。
使っているうちに覚えた撮り方はフォーカスは被写界深度を使ってレンズの距離に合わせること、ファインダーから目を外し肉眼で被写体を確認してシャッターを切ること、そして露出は完全マニュアルにすること、これがベストな方法だと気がついた。
とても雑な方法だがこの撮り方のほうがカメラの操作よりも自分の感性に集中できるのだ。
レンジファインダー仕事をこなす人はきっとこの方法に近い撮り方をしていると思う。
(セバスチャン・サルガドは違う。かれはきっちりとフレーミングしている)
(おっと、話がわき道に逸れた)







ストリートフォトという分野で伝説的なマグナムのフォトグラファー、ブルース・ギルデンの写真「The Rat Story」 をはじめて見た時、頭の中はクエスチョンマークで一杯だった。
明らかに被写体の同意を得て撮っている写真も数点あるが、ほとんどの写真は被写体がまったくの無防備な状態で、しかもファインダーを覗いていて、さらに驚くのはフラッシュを焚いて撮っている。
レンズの画角からすると被写体とフォトグラファーの距離は1メートル前後だ。
どうすればそんな写真が撮れるのか長年謎だった。
つい最近、YouTubeで彼が撮影している姿を見つけた。
驚きとショック、後味の悪さと感心、という複雑な思いを抱いた。
彼と同じことを僕がこのホバートでやったなら、すぐに警察の車に乗せられ、翌日僕の子供たちはローカル新聞でダディーの顔を発見するだろう。
しかし、彼のやることに僕は100%反対する気はない。
写真というものが持つ役割を考えたとき、このての写真は写真史の中に刻み込まれる必要があると思う。
このての写真が世の中から消えるのは逆に怖いことだと思う。
あらゆる批判の声と戦いながらこういう写真を撮り、そしてそれを発表する彼やマグナムの姿勢に感動さえする。
今、人権、肖像権、いやらしい事件・事故の影響でこういう写真が急速に世の中から消えつつある。
視覚的情報が人の考え方や生き方に与える影響は多大だ。
カタログ的写真しか見られないような世の中になると人は今以上に操作され、自分を見失う人も増えるかもしれない。
「僕が人にレンズを向けた時、その相手は嫌悪感をあらわにした」というのは僕がその時味わったまぎれもない事実で僕の目、相手の心が写真に表れている瞬間だ。
その真実はこの相手が作り笑いをした時点で消えてしまう。

ブルース・ギルデンのような方法で僕は写真を撮れないし撮りたいとも思わないが、自分の良心が許す範囲で写真らしい写真をもっと残さなければいけないという気持ちは年齢と共に強まっていく。














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by somashiona | 2008-11-09 05:02 | デジタル

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