四万十川よ永遠に




僕の妹がお付き合いをしている男性は徳島の人だ。
今妹は彼とともに日本中を歩く旅をしている。
彼の家族は毎年夏に集合し、旅館やキャンプ場で楽しい時を過ごすらしく、今年のイベントは四万十川だった。
旅先から妹や彼も駆けつけるということで僕もそのイベントに参加させてもらった。
妹の彼とも、彼の家族とも初対面だったが移動中の車の中ですぐに打解け、彼らと一緒にいた時間は常に笑いが絶えなかった。

四万十川、この言葉の響きに思いを馳せる人は多いだろう。
僕も間違いなくその中の一人だ。
「日本最後の清流」といわれるこの川で久しぶりの日本の夏を過ごせたのはとても幸運だったと思う。
幸運だったことは他にもある。
僕たちが2日間を過ごした宿泊施設だ。
民家を改造したシンプルな宿泊施設はとても快適だったのだが、それにもましてここを切り盛りするお父さん、お母さんの真心込もったおもてなしが堪らなく良かった。
サービスというのは設備やコンテンツではなく心なんだよなぁ、としみじみ感じてしまった。

この民宿に荷物を預け、僕たちはすぐに川へ行き、四国なのになぜかジンギスカンを食べ、川で思う存分遊んだ。
川で泳ぐだなんて本当に久しぶりだった。

僕が小学生だった頃、夏休みになるとおじいちゃんとおばあちゃんが住む十勝へ行き、1週間ほど過ごした。
当時そこにはとてもとてもきれいな川があって、僕は毎日地元の子供たちと泳ぎにいった。
ある日「喉が渇いたから家に戻って飲み物をとりにいく」と僕が言うと「水ならここにたくさんあるよ」と地元の子供たちが川の水を指した。今考えるとその川の水が直接飲めるほどきれいだったとは言い切れないが、そのときの僕は泳ぎながらその川の水を飲むというのが驚愕に値するほど新鮮な考え方に思えた。
ゴーグルなんてしないで泳いでいた当時、太陽の光を受けて輝く茶色がかった川底の石が一つ一つ鮮明に裸眼で見えた。
(今は裸眼だと自分の指先もハッキリ見えない)
川の中で輝く石や揺れる藻、そしてちょろちょろ泳ぐ小魚を見つめながら恐る恐る川の水を飲み込んでみた。
泳ぐとき、いかに水を飲み込まないようにするか気を付けていた都会っこの僕は泳ぎながら水を飲むという行為にうっとりとした。
それを繰り返しているうちにまるで自分が水の中で暮らす魚になったような気分になった。水の中で息をしていないことさえ忘れてしまうのだ。ポ〜ニョ、ポニョ、魚の子、といったところだ。

そんな思い出にひたりながら四万十で泳いでいるうちに(水は飲まなかった)日が沈んでしまった。
暗くなると民宿のお父さんが僕たちに鮎をとる火振り漁を見せてくれた。
漁師さんが2人一組で小さな船に乗り、松明の明かりで網の中に鮎を追い込んでいくらしい。
残念ながらこの日はスピードライトも三脚も持っていなかったので火振り漁の写真をきちんと撮れなかったが、もし何艘もの船がこの漁を行なう様子を三脚とスローシャッターで写せたなら幻想的な絵が出来上がるだろう。
漁の後、網にかかった魚を捕る作業に大人も子供も大はしゃぎ。
捕れた魚に手を合わせる子供たちを見て、僕は軽いショックを受けた。
自分たちのために命を落としてくれた生き物たちに感謝する気持ち、僕の子供たちにはそういう観念がないと思う。
ソーマやシオナにもこの経験をさせてあげたかった。
民宿に戻ると五右衛門風呂に入り(初体験)、おいしい夕ご飯を食べ、女性陣と子供たちはすぐに眠りに落ちたが、男性陣は酒盛りタイムだ。
民宿のお父さんも一升瓶をもって登場し、話に花が咲いた。

翌日、素晴らしい朝食を食べた後、再び四万十川で泳いだ。
そして散歩をし、子供たちは馬に乗り、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

僕が日本に住んでいたときは日本という国の自然や風土そして文化をじっくりと味わう機会があまりなかった。
いや、機会がなかった訳ではない。
僕は日本中をオートバイで旅したし、仕事でも日本全国を飛び回っていた。
ただ日本という国の素晴らしさに目がいっていなかっただけだ。
「灯台下暗し」と言ってしまえばそれまでだが、興味がなかったのは知識と教養の低さにも関わってくる。
これから大いに反省し、もっと自分のルーツにも目を向けていきたいものだ。

今年僕が四万十川で味わったのと同じ体験を10年後もできるだろうか?
四万十は変わってしまった、という声を地元で何度も聞いた。
自分たちが持つ素晴らしい財産を守るにはそこに住む人たちへの教育が大切だと思う。
子供の時から身の回りの自然と対話し知識を身につけてゆけば自分たちが持つ財産を家族のように自然と愛するようになるのではないか。
海外から日本を見ているといまだに教育というものの背骨が見えてこない。
教育は子供たちを未来の経済戦士にするための武器ではない。
人間らしい幸せを手に入れるため、頭や身体の中に引き出しをたくさん作っていく体験であって欲しい。
勝つこと、優れた能力を身につけること、効率よく物事を処理していくことを教えられた人間が成長し、美しい自然をもつ地域が彼らに引き継がれる。
バランスを欠いた知識しか持たない人たちは目先のお金に目がくらみ、それを得るため自然を削る。
もちろんこれはどこの国でも起こっていることで、それらに反対するのはローカルの人たちでないことが多い。
国が決めたことだからしかたない、自分たちが何を叫ぼうと無駄だ、自然がどんなに豊かでもここに仕事がないと私たちは生きていけない、、、そうやって自然はどんどん削られていく。

次に四万十川で泳ぐ時は、泳ぎながら水を飲んじゃおうか、と思える川であって欲しい。










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by somashiona | 2008-11-27 06:58 | デジタル

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