才能って必要か?



僕は27歳の時にはじめて自分のカメラ(ニコンFM2)を購入し、それ以来ずうっと写真に夢中だが、タスマニアに来るまであることで悩み続けていた。

それは自分に才能があるのかどうか、ということだ。
そのことについていつも自問自答し、他の人たちが撮ったすばらしい作品を見るたび恐怖と不安の洞穴に閉じこもった。
写真の経験が浅い上、プロとしてかなり遅いスタートだったので才能がなければ生き残れないと考えていた。

写真でお金を稼ぐようになって分かったことはそんなにいい写真を撮っていないのにたくさん仕事があっていつも忙しい人と、めちゃいい写真を撮るのに全然仕事が入らなくていつもひぃ〜ひぃ〜言っている人がいるということだ。
当たり前のことだがフリーの職業写真家は個人事業主なのだから、写真のセンスよりまずはビジネスのセンスを身につけることが重要なのだ。
写真は真剣になれば必ずあるレベルまでたどりつく。
自分の作品を撮りためることも大切だが、多くの人に会ってコミュニケーション能力を高め、自分に何ができるのかをしっかりと相手に伝え、相手の欲しいものをきちんと提供できれば仕事は巡ってくるのだろう。
そのレベルの仕事に写真の才能という言葉はほとんど無用なのだと長い時間をかけてやっと悟った。

しかし、才能という呪縛から解かれたのはそれを悟ったからでない。
才能という言葉の意味を違った形で捉えられるようになったからだ。
素晴らしい作品を撮る人(僕から見て才能があると思う人)はとにかく撮り続けるのだ。
人がどう言おうと、人にどう思われようと関係ない、とにかく撮り続けるのだ。
写真をやめるとか、諦めるとか、そういう次元を越えて、もうそれ抜きでは生きていけない人。
写真を撮ることが生きていることと一体になっている人、その生き方そのものが才能なのだと思うようになってきた。
そういう人の作品はオリジナリティに溢れている。

日中は観光客や多くの買い物客で賑わうサラマンカマーケットに夜訪れる機会があった。
全ての店は閉じられ砂岩造りの建物は本来の静かな姿を取り戻しホッとしているようだ。
建物の窓から光が漏れているのに気がついた。
ホバートでは有名な画家が自分で所有するギャラリーだ。
このギャラリーの前をよく通るがこの画家の姿を見たことは一度もない。
明かりの漏れる窓に近づくと中に人影があった。
こんな時間にひっそりと静まったサラマンカでキャンバスの上に黙々と筆を走らせている。
描きたい衝動に突き動かされて描く姿は僕の知っている金剛力士像の姿とだぶった。








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by somashiona | 2008-12-19 13:58 | デジタル

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