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イースターホリデーはブッシュウォーキングさ!最終回/モノクロ編




先週はマウントフィールドのブッシュウォーキングを約5回に分けブログで紹介する予定だったが、すぐに仕上げなくてはいけない仕事が週の初めに入り、ほとんどブログに接するチャンスがないまま1週間が過ぎてしまった。
「その2」を更新した後、クライアントに収める写真の選択と画像処理のためパソコンのモニターを何日間も見続けた腫れぼったい目をこすりながらふと思った。
「あれっ、ブッシュウォーキングの話、2話で終わっちゃった、、、」
5回分引っ張れる話があったはずなのに、ハードな仕事に短期決戦で臨んだ後自分が何を書こうとしていたのかまったく思い出せない。
何についても言える事だが、何かアイディアが浮かんだときはすぐに実行に移したほうがいい。
アクションを起こさなければ何も生まれないし、やってダメだった後悔より、やらないで終わった後悔の方が僕には精神的ダメージが大きいからだ。
人生は短い。
思ったことは徹底的に実行に移したいものだ。



「この人、今日は書くことがなくていたずらに話を引っ張っているぞ」と思い始めている人がいるかもしれない。
む、む、図星、、、。
根を詰めた仕事を終えた後はどこか放心状態に近く、想像力というものが湧かない。
しかしブッシュウォーキングの写真はまだたくさん残っている、、、。
このブッシュウォーキングの写真は、今回のモノクロ写真で強引に終えよう。
武士道では潔さが大切なのだ。








ファインダーから被写体を覗いているとき、「これはモノクロでしょう」と呟いてしまうときがある。
フィルム時代はモノクロフィルムをカメラに入れると、とたんに眼と心がモノクロモードになったので色に惑わされることなく被写体に集中できた。
デジタルでも最初からカメラのセッティングをモノクロモードにすればいいだけの話なのだが、僕はその行為にどうしても馴染めない。
説明しがたいフィーリングなのだが、率直に言えば自分を騙しているような気がしてならないのだ。
「だってもともとカラーじゃん」という気持ちを払拭できないのだ。
なので普通にRAWファイルにセットし、撮るときに「これはモノクロ用ね」と自分に言い聞かせる。
RAWファイルで撮った写真、暗室時代には考えられなかったほど自分の思い通りの調子に変えられる。
カラーからモノクロに変換するだけでもあらゆる方法がある。
そして変換したモノクロに様々な処理を施す。
モノクロにもし適正な調子というものがあるのなら、それは適正露出(?)で撮影したフィルムをメーカーが指定する適正時間(?)で現像し、そこまでプロセスを全て適正に進められたネガを2号~2号半の印画紙(もしくはフィルター)でプリントすると黒から白までのトーンがきっちり表現され、焼きこみや覆い焼きの必要ない美しいプリントが仕上がる(?)というのが僕の理解する大雑把なセオリーだ。(学校で教わるモノクロの基本)


ところで適正って何だ?
美しいプリントって何だ?


肉眼で見た被写体の情報を最高のコンディションでフィルムに露光したとき、白から黒までの100%の情報がフィルムに封じ込められたとする。
そのフィルムからどんなに最高の技術でプリントしたとしてもグロッシーペーパーの上で再現される情報はフィルムが持つ情報の80%、それがマットペーパーだと60%程度だ、と学生時代教わった。
これがカラーならば、カメラによって、レンズによって、フィルムによって、肉眼で見た被写体の情報と微妙に異なる様々な結果が出てくる。
デジタル時代、「適正」というものの定義がさらに難しくなっているのではないか?
レンズの癖、カメラの特性、諧調、コントラスト、ホワイトバランス、、、。
フォトショップをきっちり使いこなせる人ならどんなブランドのカメラやレンズで撮られたものも、すべて同じコンディションでモニターの中に、あるいはペーパーの上に再現できるだろう。(根拠のない推測)
デジタル写真の世界ではもはや「適正」という言葉は意味をなさない気がしてならない。

僕はフィルムもデジタルもモノクロ写真を現実とは程遠い調子で仕上げるのが好きだ。
日本での仕事はそれが許されないケースが多かった。
海外のモノクロドキュメンタリー作品やフォトジャーナリストの仕事を見ると、フィルムでも、デジタルでも作者の意図に合うよう「これでもか!」というくらい手が施されているものが多い。
2号のペーパーで仕上げました的な適正写真を探すのが難しいほどだ。


写真をモノクロから始めたせいか、僕の場合、カラー写真よりもモノクロ写真のほうが自分の意図するイメージに近づけやすい。
そしてそのイメージに手を加えれば加えるほど、その写真が自分だけの特別な一枚になっていく気がする。
まるでその写真を見る人が絶対に気がつかないような暗号を写真の中にちりばめていくような気分だ。
写真のイメージが現実から遠のけば遠のくほど、適正から外れれば外れるほど、その写真は僕らしくなるのだ。

子供の頃から「適正」「標準」「典型」「基準」「一般的」「模範」そういった言葉を聞くと、めらめらと反発の炎が燃え上がる性格が写真に反映しているだけかもしれない。


物事に関して白黒をはっきりと付けられない僕のような男は、グレーゾーンを彷徨って生きるのが、きっと心地よいのだろう。












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by somashiona | 2008-03-30 18:46 | デジタル

イースターホリデーはブッシュウォーキングさ! その2




実はこのメンバーでブッシュウォーキングをするのは4、5年ぶりだ。
前回もやはりこのマウントフィールド・ナショナルパークを登った。
その時は東のコースを選択し、往復7時間のブッシュウォーキングだった。
出発の時から降っていた雨が途中吹雪に変わり、『遭難』という言葉が頭によぎった。僕は折り返し地点を過ぎてからひどい足のつりに悩まされ、数歩歩いては寝転がり、うめき声をあげながら足をマッサージする始末だった。
それでも、やり遂げた時の満足感はひとしおだ。
こんな素晴らしい体験を気軽にできるのなら、お互いタスマニアに住んでいるのだし、月に一度はブッシュウォーキングをしよう!と盛り上がったきり、4、5年が過ぎてしまった。

今回のブッシュウォーキング、とても楽しみであった一方、たまらなく不安でもあった。
前回のひどい足のつりが心配だったのだ。
痛いだけなら我慢できるが、誰かの足手まといになるのは我慢ならない。
もちろん彼らはそんなことを気にしてはいないが、僕は気にしてしまう。
僕は異常なほど身体が弱く、体力がない。
なので楽しいプランがあるといつも心の片隅で身体の心配をしてしまう。
バックパックの中にありとあらゆる薬を用意しないと安心できない。
健康な人にはこの重圧感は分からないだろう、きっと。


植物にまったく無知な僕だが、ブッシュウォーキングの間中、自分を取り巻く風景に魅了されっぱなしだった。
特に感動したのが足下に広がる、高山植物のパッチワークの海だ。
年に1ミリ程度しか成長しないといわれているクッションプラントを踏みつけないよう注意して歩くのだが、足下は何かしらの植物で覆われているので、これらを踏みつけずには前に進めない。クッションプラントは一度踏みつけると再生するのに何十年もかかるという話を聞いたことがあるので、心が痛む。
まるで違う惑星を歩いているようだ。
丘マニア、丘フェチを自任する僕だが、そのツボを直撃・刺激する風景の雨霰に、自分の体力のカラータイマーのことなどすっかり忘れ、ストリートスナップを撮るようにシャッターを切った。
歩みの遅い僕が追いつくのを友人たちは15分おきくらいに待っている。
立ち止まった彼らは、足の大の字に開き、腰に手を当て、世界一美味しい空気を肺の隅々まで満たすように呼吸をしている。
彼ら、たまらなく幸せそうな顔をして遠くの景色を見ている。
温厚な彼らは普段でも柔和な顔をしているが、こんなに幸福があふれる顔はさすがに滅多に見られない。
「いやぁ〜、本当に綺麗だなぁ〜」という台詞を一日のうちに何度も彼らは口にする。
ただそこにいるだけで心や身体の中にたまったストレスが蒸気のように消え、例えようのない幸福感に包まれる。
美しい自然が持つその力にはまったく恐れ入ってしまう。
何の言葉や文字も使わず、人をそんな気持ちにさせるだなんて、自然はあまりにも偉大だ。
そんな写真が撮れたら、どんなにいいだろう。
そんな人になれたら、どんなにいいだろう。

今回のコース、ユーカリの森、パンダニの森、見渡す限りの岩場、高山植物のパッチワーク、白骨化したデッドツリーの墓場、神秘の湖などなど、視覚的にバラエティーさに富んでいたためまったく飽きることがなかった。
友人たちと一緒だったのであまり写真は撮らなかったが(僕的には)、もし一人で行っていたのなら、間違いなく写真、写真で前に進めなかっただろう。
この日のうちにちゃんと家に帰れるか?これが最大の心配だったが、たぶん何度も立ち止まったおかげで、最後まで歩くことが出来たのかもしれない。

僕たちとほぼ同時に出発した女性たちのグループを僕たちは『ママさんフィットネスチーム』と勝手に命名していた。(凄く体力がありそうな女性たちだったので)
彼女たちはメインコースを外れ回り道しながら歩いているにも関わらず、何度も僕たちを抜かしていった。
だてに毎日フィットネスで身体を鍛えていない。(毎日フィットネスで身体を鍛えているというのはあくまでも僕たちの想像だが)
それにしても、オージーの女性はどうしてこんなに強いのか、、、。


歩き始めたのが午前10時半、そして歩き終えたのが午後6時半だった。
後半の3時間はさすがに辛かった。
ほとんど瞑想状態で歩いていた。
足のつりはほんの少しですんだが、心拍数が上がると頭痛に襲われる僕は頭痛薬を飲みながら前に進んだ。
水1リットルも、用意した軽食も足りなかった。
次回はこれに気を付けよう。
地面が突然陥没して、片足が膝まで地面の中の水につかり、びしょ濡れになった他は何もアクデントはなかった。

車をとめた場所にたどり着いた僕たちは、お互いの健闘を称え合い、またブッシュウォーキングをしようと固い約束をした。(前の約束も固かったが、、、)

僕の足はマニュアル車である愛車ゴルフ君を運転できる状態ではなく、帰りは友人に運転してもらった。
車はいつだって助手席がいい。
帰りの車の中もぺちゃくちゃと日本語のおしゃべりで盛り上がったが、何の話をしたか今は覚えていない。
何を話したかが問題ではなく、日本語を使い、何かを外に吐き出したということがポイントなのだ。
ここに住む日本人にとって、これは立派なストレス解消法だと思う。


翌日、登山靴を僕の車に忘れた僕より年上の友人から電話がきたとき、身体じゅうの筋肉痛がどれくらいひどいか僕は彼に尋ねた。
「ふくらはぎが少し張っているくらいかなぁ、、、」と友人。
僕はそのとき、息をするだけで体中の筋肉が泣き声を上げていた。
同じ人間なのに、どうしてこんな身体の反応の差が出るのだろう?
ブッシュウォーキング後6日目にして、まだ筋肉の痛みに苦しむ僕の悩みはつきない。













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by somashiona | 2008-03-28 21:26 | デジタル

イースターホリデーはブッシュウォーキングさ! その1 


今年のイースターホリデーは3月21日にはじまり、多くの人は3月25日に終わる。多くの人はと言う意味は、25日に関しては一応国民の祝日なのだが、それはどんな産業に従事しているかによる。例えば学校や金融機関、官庁関係で働いている人は休みだが、レストランや公共の交通機関などのサービス業で働いている人たちにとっては祝日ではなく普通の日なのだ。
こういう例だけでなく、オーストラリアでは州によって祝日が違う場合もあるので、カレンダーの祝日を信じ、朝ベッドでゴロゴロしていると職場から電話がかかってきてドヤされる可能性がある。


写真の仕事は人々が休みの時に限って忙しくなるのだが、今年のイースター期間中は何もしない、と心に強く誓っていた。
今年のイースターは子供たちも一緒ではない。
まるまる自分だけの時間だ。
毎年必ずキャンプや旅行に出かけるが、今年僕がやりたかったことは、ひきこもり、だ。
誰にも会わず、家の中でゴロゴロしたかった。
好きな本を読み、映画を見る。
普段食べないスナック類を頬ばり、マカデミアナッツのアイスクリームに溺れる。目が恍惚となる。


しかし、そんな予定はいつだってことごとく崩れていくのだ。
いい機会なのでLightroomの使い方を覚えよう。
いい機会なのでパソコンや外付けハードドライブの写真を整理しよう。
いい機会なので部屋を掃除しよう。
いい機会なので、、、。
最近、平均睡眠時間が5時間を切っていたので、この期間中はたっぷり寝ようと思っていたのに、結局1時間普段より多く寝ているだけ。
目の下はいつもゴルゴ13に出てくる悪い人たちみたいだ。
ゆっくり、のんびり過ごすのも、強い意志が必要なのだ。
これではいけないと思い、友人に電話しブッシュウォーキングを計画した。


一緒にブッシュウォーキングへ出かけたのはここタスマニアでパーマネントヴィザを所有し、オーストラリア人の妻を持ち、日本語がしゃべれない子供たちと暮らす貴重な日本人男性二人。年は違うが一人の誕生日は僕と同じ、もう一人は一日違い。
『タスマニア4月同盟』のメンバーだ。
目指すはマウントフィールド・ナショナルパーク。
朝5時に起き(寝たのは夜中の1時)(涙)、バックパックに地図、雨具、防寒具、ビスケット、フルーツ、昼ご飯、ミューズリーバー(ピーナッツバー)、ヘッドライト、薬、替えのソックスとアウトドア用のアンダーウェア、水1ℓにコーヒー500ml、帽子、登山靴、そしてカメラ1台にシグマの17−70mm一本。三脚はなし(根性もなし)。


7時に彼らと合流し、車中は久々の日本語でぺちゃくちゃと話が盛り上がった。
途中でコーヒーブレイクあり、結局登山開始は10時半。


マウントフィールドの西へのコースを行けるところまで行ってみよう、という大雑把な計画。


楽しいブッシュウォーキングのはじまりだ。












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by somashiona | 2008-03-25 16:33 | デジタル

シングルマザー 最終回



あれや、これやと予想外の出来事に巻き込まれ、カメラを鞄の中から出す事もろくにできず、僕は彼女たちとこのホテルで長い時間を過ごした。
お騒がせの痴話喧嘩女性も、コールガールの彼女も部屋に戻り、やっと母と子の時間が再び訪れたが、このドキュメンタリーの主役であるシングルマザーはすでにもう疲労困憊。
僕が少年を撮っている間、彼女はベッドで眠りに落ちていた。


夜も9時を回り、お腹がすいた少年が無言でベッドに寝ている母親を揺すり起こす。
目を覚ました母親と子供はしばし抱き合い、母親は食事の準備をする。
この日一日、僕はほとんど飲まず、食わずだったが、空腹は感じなかった。
夕食を勧められても断ったくらいだ。
夕食を食べたあと、少年はすぐにソファーで眠りに落ちた。
母も子も、朝起きた時と同じ格好だ。


今このテキストを書きながら彼女と交わした会話を思い出そうとしているが、何も思い出せない。
あの時、僕はきっと、何も言えずにただただカメラを抱え、目の前で起こる出来事を見ていたのだと思う。
30代に入ったばかりの僕、まだ物事を見る目が成熟していなかったのだろう。
まあ、今もさほど変わりはないが。


この時の記憶で強烈に覚えているのは子供が寝たあと、一人で食事をとる彼女の姿がとてもきれいだったことだ。
たった一日だけしか彼女と時間を過ごしていないが、僕が感じたシングルマザーとしての彼女の人生が凝縮された瞬間に思えた。
この瞬間を撮ったとき、「やったぞ、僕はシングルマザーを撮った!」と心の中でつぶやき、安堵した。


仕事でも、個人的テーマを撮影する時でも、僕は呆れるほどシャッターを押し続ける。
一見、『下手な鉄砲数打ちゃあたる』的な撮影方法だが、僕なりにその終点はある。
与えられたテーマ、その撮影で自分が最も強く感じたこと、自分の狙い、そういったものが「撮れた!」と思えたら僕的には撮影を終えていいのだ。
その「撮れた!」の手応えがなく、時間切れで撮影が終わった時は、夜ベッドの中で眠りに落ちる直前まで考え込む。
時には夢にまで出てきてうなされる。
これは冗談ではない、マジな話しだ。

だが、実はこの時こそ、写真を学習している時間だと思っている。
あの時、自分は何を見るべきだったのか?
アプローチの仕方は正しかったのか?
あそこで躊躇せず撮っていれば良かったのではないか?

なぜか、写真の技術的な問題は浮かび上がらない。
僕の写真の技術はまだ未熟だが、やはり考えれば考えるほど、写真を撮るということは、そこでの戦いではないと思うのだ。



ベッドで子供と寝る準備をする彼女にお礼をいい、このホテルを僕は去った。



家に帰るとすぐに現像だ。
アサイメントの締め切りは翌日の午後、どう考えても寝る時間はない。
フィルムが乾くとすぐにコンタクトシート(ベタ焼き)を作り、神に祈りながらルーペで各コマをチェックする。
この瞬間、一番胃が痛む。
たしか使ったフィムルは4〜5本だったと思う。
プロとなった今では信じられないほど少ない本数だ。
今僕がこの出来事を撮るとしたら、同じ状況だったとしても、30〜40本は絶対撮ると思う。
第一、ホテルの写真がまったくないし、部屋の番号、彼らを語る食べ物、本、薬、手紙どころか、主役以外の人間たちの後ろ姿すら撮っていない。
現場に行っていない編集者の人たちはこれらの写真から記事を作らなければならない。
彼らのためにそのときの状況を判断できる写真を撮っておくのがプロの仕事だ。
もしこれが仕事だったとしたら、大失敗だ。



フォトジャーナリズムのクラスを受け持つミスタードイチャック先生はプリントのクオリティにかなり厳しい人だった。
というか、これはミスタードイチャック先生に限らず、この学校ではどんなに写真の中身が良くても、プリントのクオリティが悪ければ評価してくれない。
ファッションを除く日本の雑誌の世界ではモノクロプリントのクオリティを軽視する傾向があるが、アメリカではモノクロプリントのクオリティこそが、写真家のクオリティを語る、とミスタードイチャック先生は言っていた。



プリント作業をしながら、僕は何度も舌打ちをする。
この頃、フラッシュの使い方をまだ心得ていなかったせいで、日中シンクロした被写体に醜い影が出てしまい、プリントでごまかそうとしても、ごまかしきれないのだ。



一睡もできないまま、まだ半乾きのプリントを持ってフォトデパートメントに向かった。
締め切りの数分前にアサイメントは提出できたが、プレゼンテーションのためのシナリオがまったくないことに気がついた。


まあいいさ、ストーリーは頭の中にある。


このフォトジャーナリズムのクラスが始まった時、受講生は40人近くいたが、毎回のアサイメントをクリアーできず、結局クラス最後の日のプレゼンまで生き残った生徒は15人ほどだった。
アメリカの学校は入るのは簡単だが、出るのは難しい。
ここオーストラリアもそうだ。



僕が最後プレゼンテーターだった。
起こった出来事を、僕は身振り手振りを交え、下手な英語で夢中で話した。
話し終わった時、先生たち、生徒全員から拍手がわき起こった。
写真をやりはじめてから、はじめて多くの人に自分の写真を賞賛された瞬間だった。
今まで味わったことのない満足感を、この瞬間味わった。
ミスタードイチャック先生から話があるので彼のオフィスに来るように言われた。
フォトジャーナリズムのクラスの教材で僕の作品を使いたいので全てのプリントを寄贈してほしいということ、フォトジャーナリズムの方向で将来進みたいのならどんな雑誌社にでも推薦状を書くのでいつでも相談してほしいと言われた。
あいにくこの時、僕は写真家アーヴィング・ペンを目指していたのでフォトジャーナリズムの道に進み気はない、と丁重にお断りした。



しかし、この経験によって、あるテーマのもと、特定の人に的を絞って写真を撮ることの喜びを僕ははじめて知った。
カメラがあればどこにでも潜り込み、自分の知らない人生を垣間みることができるということをこの時知ったのだ。


カメラは未知の世界への招待状だ。


今回アップした写真は、今からもう10年以上前のものだ。
写真技術も被写体へのアプローチも知らない僕が撮った拙い写真。
写真を長く続けていると、自分の撮ったどの写真が自分を次のステージに誘ったのか分かる時が来る。
そういう自分の転機になるような写真はそうそう撮れるものではない。
今回の写真は未熟な僕を次のステージに運んでくれ、写真をより一層愛する機会を与えてくれた、僕にとっては忘れることができないお宝写真、という訳だ。











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by somashiona | 2008-03-23 10:37 | B&W Print

シングルマザー その2



部屋に入ると彼女と子供はまだベッドの中。
僕と一度目を会わせたが彼女は再び眠りに落ちてしまった。

最初に目を覚ましたのは彼女の子供。
大きなあくびをして、トイレに行って、さあこれから一日が始まる、と思ったら、彼はまたベッドに戻り、すやすやと寝息を立てる。
やっと目を覚ました彼女に向かって、僕は早朝に押し掛けたことを詫びたが、彼女は「朝早く起きられてよかったわ」と言って笑うだけだった。
軽い朝食をとりコーヒーを飲んだあと、彼女は昨夜使った食器を洗い、家を掃除するため掃除機かける。
その音で子供もやっとベッドから出てきた。



なんだかいい写真が撮れそうだ、と僕の重い心にやっと希望の光が射してきた。
しかし、そう思ったのもつかの間、ドン、ドン、ドン!誰かが激しくドアを 叩く音が聞こえた。
パジャマの上にローブを羽織った女性が泣きじゃくりながら部屋に入ってくる。
ドアの外からは男の怒鳴り声が聞こえる。


なんだかまずいことになってきたみたいだ、、、。


どうやらこの女性はこの部屋の真上に住む人らしく、早朝からボーイフレンドと大喧嘩をし、暴力を振るわれたらしい。
ドアの外の男の怒鳴り声は段々と大きくなり、眠りを妨げられた住民たちが怒りをぶちまける大騒動にエスカレートした。


警察が乗り込み、大家さんの命令でホテルの住民全員が一時野外に退去させられた。


僕は心の中でFワードを連発していた。
ジーザス!フ○ック!どうしてこんな時にこんなことがはじまっちゃう訳?
みんな、どうして僕の邪魔をするの?ファイナルアサイメントが、、、。
僕の心の叫びは誰の耳にも届かない。


この騒ぎが起きたとき、「すぐにカメラを鞄にしまい込むのよ!」ととても強い口調で僕を招いてくれたシングルマザーから言われた。
野外でホテルから出てくる住民たちを見ているとその訳がよくわかった。
ドラッグの売人、コールガール、全身入れ墨男、半分サイボーグのように体中に医療器具が巻き付けられている老人、どこからどう見ても気質じゃない人たちばかりだ。
人に居場所を知られたくないこの人たちが僕のカメラを発見したら大変な事になっていただろう。
というか、僕がそこにいることじたい、すでにかなり問題だった。



事態が治まり僕たちが部屋に戻れるまで、かなりの時間がかかった。
問題の暴力ボーイフレンドは警察にしょっぴかれ、泣き崩れる暴力を振るわれた女性を慰めることにさらに多くの時間が費やされた。
この作業にはコールガールと思われる若い女性も加わった。



この時点で、既にかなり長い時間をこのホテルで過ごしていたが、男の子の話し声をほとんど聞いていない事に僕は気がついた。
皆が落ち込めば、彼もその傍らでしょんぼりし、皆が笑えば彼も笑う。
まるで、このホテルの暗い廊下で太陽の光にさらされる彼だけが、ここに住む者の唯一の希望のように思えた。












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by somashiona | 2008-03-21 10:52 | B&W Print

シングルマザー その1



出された課題は『シングルマザー』だった。


母一人で子供育てるというイメージ以外は浮かばない。
3週間も前にこのテーマを与えられていたにも関わらず、まだ写すべき被写体を見つけていなかった。
というより意識的にやらなければいけない事リストから除外していたのだ。
気が重くなるような大切な事柄を先へ先へと引き延ばす、まったく悪い癖だ。
「世界ぐずぐずだらだら協会」名誉会員の称号は決して伊達じゃない。


締め切りまであと3日。
その年、僕がとっていた「フォトジャーナリズム」というクラスのファイナルアサイメントだった。
いわゆるクラスの卒業制作作品だ。
今まで出された課題は苦しみながらもなんとか無事提出し、高得点を維持してきたが、結局はこのファイナルアサイメントの善し悪しで全てが決まる。
モノクロフィルムを使用し、最低10枚の8x10のプリントを使い、ドキュメンタリーを作らなくてはいけない。
クラスの友人たちに連絡をすると、ほとんどの人たちがもうプリントを終えていた。
まずい、、、。



シングルマザーの知り合いは誰もいず、知り合いに電話をかけまくりシングルマザーを紹介してもらおうと思ったが、当てにしていたこの作戦は見事に空振りに終わった。
まずい、、、まずすぎる、、、。


パニック状態に陥っていた僕が考えついた作戦はあまりにも幼稚だった。
カメラとノートを抱えフラットを出た僕はハリウッド通りを1日中何往復もし、女性一人で子供を連れて歩いている人片っ端に「エクスキューズ ミー、あなたはシングルマザーですか?」と聞きまくった。
当時、ハリウッドはかなり怪しい人間がうごめく街だったが、客観的に考えると僕もその怪しい人種の一人だったのかもしれない。


声をかけた人たちは軽く50人を超えていた。
突拍子もない質問に笑う人もいれば、失礼な事を聞くな!と怒る人もいた。
その場で写真を撮る事に関しては多くの人の同意を得られたが、家の中に上がり込んで朝から晩まで写真を撮る事に関しては皆ノーといった。
当たり前だ。
ハリウッドで見知らぬ東洋人を家に入れるなんて正気の沙汰じゃない。


夕方ちかく、通りの片隅に僕は座り込んでいた。
足が棒になり、撫で肩の角度がさらに強まり、目もどんよりとしているのが自分でも分かる。
そんなとき、黒人の女性が男の子を連れて僕の目の前を通り過ぎた。
もう声をかける気力もなく、しばらく彼女たちの後ろ姿を見つめていたが、ハッと我に返り、この二人を追いかけた。


事情を説明し、とりあえずこの二人を撮り始めた。
もう、深追いしなくてもいいから、路上の二人を撮ってこのアサイメントを終わらせよう、と覚悟を決めていたのだが、周りは既に暗くなり始め、フラッシュを持ってこなかった僕はISO400のTri-xの感度を800にしても、シャッタースピードを1/30以下にしても撮影困難な状態に陥っていた。
泣きそうな顔をしている僕を見て彼女はこう言った。
「明日にすればいいじゃない?朝、家に来ればいいのよ」
彼女の周りにきらきらと光る無数のエンジェルが笑いながらひらひらと飛んでいるのが僕には見えた。(ような気がする)


翌朝の7時前 、教えられた住所に僕は立っていた。
ハリウッド通りのはずれに建つボロボロの安ホテルだった。
家じゃない、、、やられた、、、騙された、、、と正直僕は思った。
早朝にもかかわらずジャンキーがゲードの前で寝転んでいる。
ヤクの打ち過ぎでろれつの回らない英語でタバコをくれたらゲートを開けてやると彼は言った。
ヘビースモーカーだった僕は財布を家に忘れてもマールボロとジッポを忘れることはない。
ホテルに入ると、階段に数人の男が転がっている。
ひとり眼光の鋭い男が「何の用だ?」と僕に聞くので彼女の名前を言うと「その廊下の突き当たりだ」と言った。
やはり彼女はこのホテルに住んでいるのだ!
紙切れに書かれた部屋番号のドアをノックしてもしばらく返事がなかった。
心の底では一刻も早くこの怖いホテルから出たかったが、彼女と子供を撮らずして帰るわけにはいかない。
5分ほどたってもう一度ノックすると「誰なの、、、?」と言う声が返ってきた。
僕の名前を言うとしばらくの間をおいて「Come in!」と彼女が言った。








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by somashiona | 2008-03-20 15:18 | B&W Print

祝、驚きの一周年!



携帯電話のSMS(テキストメッセージ)を開けると ‘Congratulations on the first anniversary of your blog. Well done!!’とあった。
「おめでとう、、、ブログの一周年、、、よくやった、、、???」何のことだろう、と容量の少ない僕の頭の中のハードディスクはカシャ、カシャと音を立てて動いた。
あれっ!そうだ!昨日でブログをはじめてから一年たったんだ!
まったく忘れていたぁ〜!
驚いたぁ〜!
うわぁ〜〜〜、凄いぞ、凄い、よくやったぁ〜!
偉いぞぉ〜、自分!
(はしゃぎ過ぎ、おとなげない)

皆さん、一年間僕のブログにつきあってくれてありがとう!
見てくれている、考えてくれている、応えてくれる、ポチッ、これらの要素があったからこそ続けられたような気がする。
ありがとぉ〜、皆さん!
いつやめても、もう悔いはない。
それでは皆さん、さようならぁ〜!


じゃなくて、
まだやめない。まだ続ける。
ブログ生活、これからもっと面白くなっていく予感がしている。
田舎に暮らす僕の写真が世界に向けて発信される快感。
テキストを書く時間もブログをはじめたときの1/3以下に短縮された。(もともと書くのが遅い)
カリスマブログじいちゃんの愛のムチも何度か頂いた。
メールを交わすまだ見ぬ友人もできた。
ブログ経由での仕事の依頼も来るようになった。
フラストレーションのはけ口にもなっている。
新しいアイディアの源泉でもある。
一度、ブログ依存症になりかけたが、仕事と健康に影響が出るとすぐに悟り、距離を置くことも覚えた。
そう、圧倒的に良いことの方が多いのだ。
これからも続けるぞぉ〜!
うぉ〜、うぉ〜、うぉ〜〜〜!!!(雄叫び)

興奮状態が続いているため、今日はこの辺で。
一周年を記念して、次回は僕のお宝写真を出すつもり。
お楽しみに!











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子供たちとブッシーパークをおしゃべりしながら歩いていると、前方から一人の男がこちらに向かってやってきた。
といっても、僕たちに用事がある訳ではなく、むしろ僕たちのことも、その他全てのことさえも眼中にない、という感じだった。
すれ違いざま、彼が口に何かをくわえているのが目に入った。
な、なんと銃だ!
彼と目が合った!
とっさに手にしていたコンデジのシャッターを切った。
もちろん、ノーファインダーだ!
危険人物の恐れもあるので、それ以上目を合わさず、その場から少しでも遠くへ離れようと子供たちの手を引っ張り、歩みを早めた。
家に帰って写真を確認してみると、やはり彼は口に銃をくわえていた。
僕の見間違いではなかった。
この日はこの小さな村でお祭りがあった日だ。
彼が口にくわえていたのが出店で売っている玩具の銃であったと信じたい。
自分のブログが一周年だったということに驚いたので、驚いてシャッターを切った写真を今日はアップした。











テキストメッセージを送ってくれたMさん、ありがとう!
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by somashiona | 2008-03-18 15:18 | デジタル

撮った写真をどうするか?



今頃こんな話題もなんだが、昨日やっと『an in convenient truth』(不都合な真実)を子供たちとDVDで観た。
とっくの昔に観た方も多いと思うが、地球温暖化問題に取り組むアメリカ元副大統領アル・ゴア氏のドキュメンタリーだ。

6歳の汐夏は映画開始から10分後にお絵描きを始め、気象と地学に異常なまでの好奇心を示す8歳の壮真は理解できない話が多いなりに最後まで頑張って観ていた。

僕は映画の内容そのものよりも、映画の中で繰り広げられるプレゼンテーションの技術に感動してしまった。



どんなに素晴らしいメッセージもそれが相手に伝わらなければ意味がない。
西欧文化で暮らす人たちはこの伝える能力というものにとても長けていると思う。
地球温暖化という問題を正しく理解し、どう取り組むべきかという、ともすると科学者の出すデータ染まる退屈になりがちなテーマを写真や映像 、データやグラフ 、そして思わず笑ってしまうアニメーションをふんだんに使い、あの手この手で分かりやすく説明し、理解させ、自分の意志で考えさせようとする。
映画の中で巧みに ゴア氏の 個人的エピソードを交える。
これによって映画を観る者は、この問題を語るゴア氏の信念の根拠に信頼を寄せてしまう。




話は全く変わるのだが、僕が取り組む写真という分野の中で、今一番関心を持っている表現方法は写真と共に音声、音楽、ナレーション、サブタイトル、データなどを使い、一つのパッケージとしてまとめるスライドショーだ。


基本的には写真の最終的完成品はプリントだと思っている。
なので自分の理想とするプリントを作るために一番よい機材や方法論で写真を撮るべきというのが、今のところ僕のスタンスだ。
デジタルの方が自由にコントロールできて好きだ、というのであればデジタルを使えばいいし、フィルムからのプリントのあの質感がどうしても必要なのだ、と思うのであればフィルムカメラを使うべきだと思う。


しかし、デジタルを使うようになってから写真の見せ方の可能性が今まで以上に広がったという気持ちは正直言ってする。


海外のメジャーな新聞社のウェブサイトを見ると写真だけで淡々とテーマを語っていくという方法はもはやとっていない。
ドキュメンタリーの中に出てくる被写体が実際に語る声が写真とともに流れ、戦争なら機関銃の音、悲鳴、戦車の走る音など周囲の緊迫した状況がリアルに伝わり、時には美しい音楽が写真の中で語られる物語の純度を高める。
僕たちはこういう素晴らしいドキュメンタリーをインターネットなどのメディアをとおして簡単に見ることができるようになった。

MediaStorm(メディアストーム)などはそのいい例だと思う。

写真展で写真を見るにはサイズに限りがあるだろう。
しかし写真をクオリティーの高いプロジェクターにかけ、映画館の大画面で鑑賞できるとしたらその写真の持つインパクトはかなり違ってくるはずだ。
紙の中では表現しきれないことを巨大なスクリーンで表現できるのだ。
夜のビルディングの壁に映写に映写し、大勢の人が鑑賞するのもいい。

こういう方法で写真を見るとき、人々はハイライトが飛びすぎているとか、暗部の描写が甘い、などという議論はしない。
ズバリ、何を映しているか、写真の中に映されたものが何をどれだけ語っているのか、ということを厳しく見る。
これは心像写真ですから、というタイプの作品を20枚も見せられるとお客さんは家に帰ってしまう。
写真のスライドショーだけでそれを見る多くの人を飽きさせず、最後まで引きずり込むためにはテーマや写真の良さは勿論、プレゼンテーションのセンスと能力がものをいうはずだ。

ホバートにハリウッド映画ではない世界各国の名画を上映する硬派な映画館がある。
最近この映画館を貸し切りにできることを知った。
以前、ブログで紹介した写真仲間マッシューやピーターとこの映画館を貸し切りにし、ドキュメンタリー作品を上映するのが目下僕の夢だ。
近い将来実現可能な夢だと思っている。

しかし、多くの人に見せることができる大作を作る前に、小さなテーマの音声付きスライドショーをできるだけ多く作り、プレゼンテーションの力をつける必要がある。
さらに、そういう活動をする僕の存在を知ってもらい、賛同、協力してくれる人たちも必要だ。

このプログの更新も写真をどのように見せ、何を語るか、という訓練に大いに役立っている。

「撮った写真をどうするのか?」
これがクリアーであるほど前に進みやすい。







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今日もコンデジスナップ
タスマニア、ブッシーパークより







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by somashiona | 2008-03-17 18:50 | デジタル

エロスな写真は脳を刺激する



昔、ポリスのヴォーカルだったスティングがインタヴューでこう言っているのを聞いた。
「若いときはね、作る曲のほとんどが恋に関するものだった。でもね、この年になると恋がどうのこうのというより、もっと違うことを歌いたいんだよ。もう恋は僕の最大の関心ごとじゃないのさ」

雑誌の仕事をしているとき、いつもカッコいい写真を撮る努力をした。
僕を指名してくれた編集者の口から「おぉ〜、カッコいいねぇ」と言う声が漏れるのを聞きたかった。モデルになる人にも「いい、いい、カッコいいよ」と言いながらシャッターを切っていたし、読者にはそのモデルさんを見て「キャー、カッコいいー」と言ってほしかった。

タスマニアに住みはじめ、僕の中で大きく変わったことはカッコいいかどうかなんでどうでもよくなったことだ。
カッコよくしようと努力している人を見ると、カッコ悪いなぁと思ってしまう。
カッコよくなくてもいいんだ、と分かったときから生きることが少し楽になり始める。
別に多くの人から愛されなくてもいいさ、と思えるようになるとさらに楽だ。
愛想笑いで使っていた顔の筋肉がほぐれてきた。
年を重ねると若者たちが苦しみ、努力するこういう問題を背負わなくてもよくなる。


このことはフォトグラファーとして、撮る写真にも大きく影響する。
カッコいいとかではない、他の何かを撮ろうとするからだ。
写真が変わる。
もちろん仕事の写真では相変わらず分かっていないエディターなどがかっこよさを写真に求める。
何度も、何度も過去に見てきた同じようなイメージを繰り返すのだ。
同じことを繰り返すから見る人も考えなくなる。
構図の中にカッコよさの狙いが見える写真は興ざめする。
カッコつけている場合じゃないところにある物事の状況や人の姿は素敵だ。


写真にカッコよさを求めなくなったが、未だに求めてやまないものがある。
エロスだ。エロティックなものには引き込まれる。
エロスはとても個人的な感覚だ。
他の人が全くエロスを感じていない物事に対してものすごいエロスを密かに感じるときがある。
そういうときにシャッターを切ると自分では高得点の写真になるのだ。
おじいさんを撮っても、おばあさんを撮っても、そこのエロスがあると写真が生きる。
プラトンの言うエロスとは知性など自分に足りないものを欲する衝動だ。
僕の言うエロスはそんな高尚な世界の話ではないのだが 、それでもエロスを求める心はすなわち自分の本心を探し出す行為だと思う。
なので自分の感じるエロスをまっすぐに写真で表現できる人は深いと思うし、正直だとも思う。
年を重ねるに従ってエロスを正直に表現することに躊躇してしまう。
多くの人から愛されなくても構わないが、エロスを表現したとたん、多くの人から白い目で見られるのを心のどこかで恐れている。
子供たちがいじめられないか、などと考えてしまう。
とくにタスマニアのような、島民全員が知り合い状態の島であからさまなエロスを撮ると変態東洋人呼ばわりされ、買い物をするにもサングラスをかけ、帽子を深くかぶらなくてはいけなくなる。


しかし、愛する写真に正直にならずしてどうする。
エロスだ!エロスを撮るんだ!

burgismのburgさん、彼のブログで「もっとエロいの撮りたい!」と叫んでいた。

「もっとエロいの撮りたい!」という心の叫びは真剣に写真道と向き合っている証拠だ。

burgさん、そしてみなさん、もっと地球にエロスを!
もっとエロスを撮りましょう!
走れエロス!









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by somashiona | 2008-03-14 00:03 | デジタル

僕の信仰は写真教



ブログを頻繁に更新しているときは頭が常にブログモードになっているためかネタは尽きない。
だがひさびさだとパソコンの前で固まってしまう。


アラビア半島に住む遊牧民的日本男児たけやんのブログにこうあった。

どうして
生きることは、こんなにも自由で、
生きていくことは、これほどまでに不自由なんだろう。

(たけやん、そのまま使ちゃいました、ごみん、ごみん)


僕は自由を選んで海外で暮らしているが、その結果超不自由な毎日を強いられている。
5年以上もタスマニアに住んでいるのに、未だに電話が鳴ると体が固まる。
仕事の依頼の電話だと思い耳をウサギくらい大きくして相手の話すことに集中する。
心臓はドキドキだ。
そして3分もするとそれがインドなまりの英語で、携帯電話を売るためのセールスだと気がつく。


ちゃんとわからないということは、とてもストレスだ。
身の回りで起こる全てのことについて、 僕は恐ろしいほど、正確に理解していない。
どんなに念には念を入れて確認しても、母国語である日本語の理解の域には達しない。
僕は毎日グレーゾーンで生きているのだ。



久々に日本に帰り感動することは耳に入る音のほぼ全てが理解できることだ。
駅の構内アナウンス、買い物帰りの主婦の世間話、テレビから終わることなく流れ出るお笑いタレントの騒々しい声、、、。
この手の音が英語になると僕はほぼ理解できない。
もちろん理解しようと心を集中すれば可能なのだが、それにはエネルギーが必要なのでいちいち「理解しようモード」にならないのだ。
日本では「わからないモード」から解き放たれる。
1週間ほどは自分がすごい人になったようで気分がいい。
何をやるにも簡単、簡単、努力がいらないのだ。
キヨスクで周りが騒がしい中、「その冷蔵庫の真ん中の段の右側に一本だけのこっている緑色の飲み物をください」なんてことを英語で言わなくてもいいのはとても楽なことだ。



でもこの爽快な気分は1週間ほどしか持たない。
聞きたくないことまで聞こえ、それについて知らぬ間に考え、頭と心が摩耗する。
様々な情報が頭に入りすぎて段々と疲れ、他人の価値観と自分の価値観のギャップに苦しむ。
日本では多くの人が面白いと思っていることに僕は共感できない。
それは疎外感を生む。
日本では全てがあまりにもリアルで僕の大好きな空想の世界を漂えない。
それは僕を小さくする。


こちらの生活ではいいにつけ、悪いにつけ、英語が母国語でない人間のイクスキューズ(言い訳)が役に立つときがある。
教会への寄付などを街頭で頼まれたときは僕はとたんに英語のわからない日本人観光客に変身する癖がある。
それではいけないのだが、多少の失敗は英語がわかんないんだからしょうがないよね、ですまされるときがある。
「ア、アイ キャント ダンダースタンド、イ、イングリッシュ、、、」


このグレーゾーンで生きていると何事に対しても「こうあるべきだ」という確固たる態度から遠のいていく。



日本では不快、海外では不自由。
僕はいったいどこへ行けばいいのだろう?



こうなると自分の居場所は頭の中の世界だけになる。
この危ない傾向から脱する一番の方法は人と会い、コミュミケーションをとることだ。
だが、社交性に欠ける僕にとって、これがまた気の滅入る行動だ。


写真を撮るという理由があるときは、なぜか人の中にどんどん入っていける。
失敗も、不快も、不自由もこえてある確信に向かって進むことができる。
仏教徒が数珠を手にするように、キリスト教徒の胸に十字架があるように、僕の肩にキャノンのストラップがかかっていると、僕は心豊かに生活することができるのだ。









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今日もゆるゆるコンデジスナップ




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by somashiona | 2008-03-12 19:07 | デジタル

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