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さよなら2010年




今日ブログを更新しなければ締めの言葉がないまま「さよなら2010年」になってしまう。
「苦し紛れ」という言葉を検索すると「逃げ道が無い(と感じた)人間が取る、(冷静な状態の人間から見て)非論理的な行為」という説明があった。
今年最後の「タスマニアで生きる人たち」はまさに苦し紛れの更新だ。

12月は忙しくしよう自分で決めたので、「忙しい」と文句をいうわけにはいかないが、予想以上になってしまい、まったく心に余裕のない自分に少し呆れている、、、涙。
今年は結局3つのクリスマスパーティしか参加できなかった。
カメラを持って参加したのは最初のパーティだけだ。








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パーティに参加した友人たちがそれぞれ一つだけクリスマスプレゼントを持ってくる。
全てのプレゼントを毛布の中に入れて、ゲームで勝った人から毛布の中を見ないでプレゼントを取り上げる。
僕は肉食植物(食虫植物)の鉢植えを当てた。








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車にワックスをかける機械でする大人の全身マッサージは見ているぶんには笑えるが、やってもらうと全身の感覚が麻痺しそうなほど効いた。
子供やお年寄りには勧められない。(大人のマッサージ)








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タトゥー(入れ墨)の話題になったとき、自慢のタトゥー、若気の至りタトゥー、人には知られたくない秘密のタトゥーなどの見せ合いっこがはじまった。
このパーティに集まった人たちは昨年のタスマニアベストビジネスパーソンに選ばれた人、メルボルンにあるモナッシュ大学の先生、政府の機関のトップなど実に優秀な人材ばかりだったが、タトゥーを身体に入れていないのはなんと僕だけだった。
いや、正直に言えば内腿に小さな文字で入れた「ママ、いつまでも愛している」タトゥーをどうしても見せることが出来なかっただけなのだが、、、。うそ、うそ。








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このパーティの後は毎日早朝から夜遅くまで休みなし。
朝は暗いうちにベッドから這い出て、気がつけばいつも外は夕焼けに染まっている。








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子供たちと過ごす週末、早起きの彼らにつられ、いつもは僕も6時過ぎには起きるが、今月だけは僕の寝室のドアに「7時半までは起こさないように!」の紙を貼りつけた。








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12月のクリスマスの前は誰も彼もがクリスマスショッピングで眼が血走っている。
知り合いのシングルマザーにクリスマスショッピングは終わったかと聞くと、クイーンサイズのベッドの上はプレゼントで溢れているけれど、まだ終っていない、という答えが返ってきた。
ちなみに、彼女はその時点で2000ドル使っていた。
日本ではクリスマスと言えば恋人たちのための行事みたいな印象があるが、こちらでクリスマスと言えばやはり家族の愛と絆を確認しあうとても大切な日。
日本と違い心のなかで思っているだけでは愛は伝わらない国では(はい、語弊があります)その証としてきちんとプレゼントを用意するのだ。
「クリスマスなんて日本人の僕には関係ないさ」みたいな態度でこの日を過ごしてしまうと後で取り返しのつかないことになるということをオーストラリアに来てすぐに思い知らされた経験がある。
クリスマスの日には大切な人に「あなたを大切に思っている」という証を必ず示すのだ、と焼きごてを背中に当てられたような経験だった。
この世の中でロンリーな人間は僕だけではない。
「クリスマス = 愛」という公式の社会で育った人にとってその日に愛を示されない人の心は灰色だ。
この時期、オーストラリアでは自殺者の数が膨らむ。
身寄りのない孤独な人、親からプレゼントを貰えない子、子供にプレゼントをあげられない親のために様々な団体が寄付金を募りプレゼントを用意する活動をよく目にするのもこの12月だ。
12月は他人にも優しくなれる月なのだろう。








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基本的にオーストラリアのお店ではプレゼント用のラッピングというものをしてくれない。
日本に住んでいたとき僕は自分でラッピングなどしたことがなかったが、オーストラリアに来てからはラッピングペーパーをかなり頻繁に買う。
経験が浅いせいか、修行が足りないせいか、箱に入ったものなどは比較的ラッピングしやすいが、ぬいぐるみ系のラッピングには泣かされる。
YouTubeでラッピングの技術をかなり研究したが、僕はまったくセンス無し。
セロテープだらけで品の欠片もない。
リボンをかければミイラ男のようになる。
「これ、去年のクリスマスに使ったラッピングペーパーだけど、バレないかなぁ、、、」とか思いながらラッピングする心の乱れが出てしまうのか、僕のラッピングは本当に見るも無残だ。
まあ、愛がこもっていれば、それでいいか。








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今月はイギリスからソーマたちのいとこが遊びに来ていて子供たちはご機嫌だ。
僕の子供の頃、外国というのは自分にまったく関係の無い世界だった。
でも、ソーマやシオナたちにとって日本やイギリスなどの海外は彼らの一部だ。
クラスメートたちのバックグラウンドもアジア、中東、東ヨーロッパなど様々なので、オーストラリアに居ながら他の国の文化に触れる機会が多い。
まったく、うらやましい話だ。








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クリスマスの日、仕事が終わってから子どもたちにプレゼントを届けに行った。
彼らの家では例年通り大勢の人たちがクリスマスパーティに来ていた。
大人たちの集団から抜け出し、子供たちは近所の川でカヤックだ。
夏のクリスマスとはいえ、僕は冷たい川に入る気になれず、子供たちがはしゃぐのを岸で眺めていた。








今日、大晦日も朝5時起きで仕事だ。(まずい、睡眠時間がまた5時間を切っている、、、)
夜、まだ身体にエネルギーが残っていたら、ピーターからお誘いを受けているニューイヤーズイヴのパーティに行こう。
日付が変わる瞬間くらいは、誰かとハグしなければ。
エネルギーが残っていればの話だけれど。








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最初に紹介したお宅のクリスマスパーティから帰るとき、庭の中の水に浮かぶオモチャのアヒルを見つけた。
眼を閉じて瞑想するブッダ像の後ろでプカプカと陽気に浮かぶアヒルたち。
ああ、「来年はこの姿勢でいこう」と思った。
2011年はこのアヒルさんたちのように過ごそうと思った。

支離滅裂、落としどころのない2010年度最後のブログ更新となりましたが、今年も一年間「タスマニアで生きる人たち」を見てくれて本当にありがとうございました。
来年も続けますよ。
じゃねー!
















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by somashiona | 2010-12-30 22:45 | ソーマとシオナ

ニュー・カラー / ウィリアム・エグルストン




日本にいたときはいつも写真家や写真界の情報を追いかけていたが、タスマニアに住むようになってからはまったくそういうことをしなくなった。
なので新しい写真家の知識に乏しい。
それでも、たまにはネットで賞を受賞した写真家の作品や話題になっている作品を眺めたり、写真つながりの友人たちが勧めるフォトグラファーのサイトを覗いてみたりするが、正直言って心に響く写真家や作品に巡り合わない。

色々な写真家の作品を漁るように追い求めていたのは、やはり写真が好きだからだ。
いい写真に巡りあったときの感動は、乾いた毎日を確実に潤してくれる。
他者の感性の世界を素直に漂うことが出来るとき、自分で自分を縛り付けているある種の呪縛から開放される。
色々な写真を追いかけるもう一つの大きな理由は、やはり自分の写真のレベルを高めたいから。
自分の感性だけを信じて写真を撮り続けるべきだ、という意見を時々耳にするが、僕たちは普段の生活の中でほとんど無意識に何百、何千もの写真を目にしている。
雑誌から、チラシから、新聞から、ネットから、地下鉄の広告から、商品のパッケージから、それらを写真として見ていないレベルで写真というものを毎日嫌になるくらい目にしているのだ。
そして、残念なことに僕達が目にするそれらの写真はその時代の感性を100%意識した写真たちで、「こういう写真が今イイんですよ」というステレオタイプの権化のようなものだ。
だからなのかどうかは定かでないが、写真好きを名乗る人たちの写真はどこか皆似ている気がする。
自分らしさを主張したいから写真を撮っているはずなのに、多くの人達の写真と似ているばかりか、多くの人達が良いと思ってくれる写真を撮り出すことになる。
今この時代に溢れているタイプ以外の写真に触れたければ、それはやはり、それなりの努力をするしかない。
日本は、特に東京は、写真史を変えた作品、写真を語る上で忘れてはいけない写真家たちの作品、今もっとも注目を浴びている写真家の作品、アンダーグランドで支持されている作家の生の作品に頻繁に触れることができる世界でも指折りの都市だ。
例えば、たぶん今世界で一番名の知れている日本人の写真家のひとり杉本博司さんの作品をパソコンの画面で見ても、その写真がなぜ世界中の人達から高い評価を得ているのかさっぱり分からないだろう。
彼のプリントを目の前で見れば、その静かなエネルギーに打ちのめされるはずだし、そういう機会が東京には頻繁にある。
真に打ちのめされれば、自分の撮っている写真の方向も自然と考えるだろう。


話は戻るが、タスマニアに来てから意欲的に他の写真家の作品を追い求めなくなった一番の理由は、やはり世界で通用するいい作品に生で触れる機会が殆ど無いからだと思っている。
メルボルンやシドニーでも東京のような良質の写真展をそう度々やっていない。
良い写真展を生で見る機会がないことは、写真の方向性だけではなく、技術的な面でも影響する。
例えばプリントがそうだ。
タスマニアで写真を学んでいる人たちのプリントのレベルがお粗末なのは無理もない。
完成度の高いオリジナルプリントを生で見たことがないのだから。
良いプリントだけは、それを見たことがなければ再現できないものだと思う。
見たことがないものが、夢に出てくることがないように。
様々な写真を追いかけなくなった2番目の理由は、自分は自分の写真を撮ればいいんだ、とこの歳になってやっと思えるようになってきたからだと思う。
これが開き直りか、諦めなのかは熟考する余地があるが。
昔は自分の写真スタイル、オリジナリティ、みたいなものをいつも探し求めていた。
だが、いつしかそんなことはまったく考えなくなった。
考えなくなった時点で、自分のスタイルのようなものができてくるのかもしれない。

意欲的に他の写真家の作品を追い求めなくなった僕は、写真に対する関心、自分の写真を高めようとする意欲がなくなったのか、というと決してそうではない。
数週間前、「相原さんの奥さんお披露目会」パーティに出席したとき、今相原さんが写真展をやっているギャラリーのキュレーターであるトレーシーさんが興味深い話を僕にしてくれた。
相原さんが写真展をやっているThe Wilderness Galleryはタスマニアの山の中にある。
トレーシーさんもやはりその周辺に住んでいて、文化的情報の欠如は僕が住んでいるホバートの比じゃないはずだ。
「そういう環境でキュレーターとしての眼力が落ちないか?」という失礼な質問を彼女にすると、「巷に溢れる様々な情報に触れないぶん、自分の感性を素直に信じることができるようになった」という答えが返ってきた。
実は僕も同じようなことを思っている。
写真に対する意欲は以前とまったく変わらない状況で、多くの優れた写真を生で見ることが出来なくなると、否応なしに自分の写真をじっくりと見つめ、考えるようになるのだ。

フィルム時代は暗室大好き人間で、モノクロ以外は写真じゃないと信じていた。
カラーは仕事だから撮るんだ、と自分に言い聞かせていた。
デジタルになって、暗室を失い、いわゆるモノクロ写真を簡単に作り出せるようになると、僕は写真をあまりモノクロで表現しなくなった。
カラーをモノクロに変えている、という考えをどうしてもぬぐい去ることが出来ないのだ。
これは僕的には「ズルしている」「まやかし」というような言葉と同義語だ。
この考え方が間違っていることは知っている。
フィルムだろうがデジタルであろうがモノクロが適している被写体、テーマがあるのなら、きちんとモノクロで仕上げるべきなのだ。
しかし、僕の写真は今圧倒的にカラーだ。

芸術の世界でもモノクロとカラーに関してその扱いに対する葛藤があった時代がある。
そもそも、ひとつのネガから同じものをコピー出来る写真プリントというものが、この世に一品しかないから価値がある芸術の世界で扱われるまでは紆余曲折があったのだが、この話は端折りたい。
アンセル・アダムスやエドワード・ウェストンらf/64というグループがモノクロプリントを美術館やギャラリーなどで保存する価値がある芸術作品であるという考えを世の中に定着させた後、芸術作品として取引されるのはモノクロプリントであって、カラーは商業用の写真としての地位を越えることがなかった。
この壁を破ったのは1970年代後半に出現した写真家、ウィリアム・エグルストンだろう。
1939年、アメリカ、テネシー州で生まれた彼は自分の街をフィルムに収めつづけた。
1976年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で彼は写真展を行うことになった。この美術館としては初めてのカラー写真による写真展だ。
しかし当時、長期保存する際に褪色してしまうカラープリントを美術品として保存してもよいかどうかという大論争が起こった。
結果的にこの論争が彼をさらに有名な写真家にし、彼の作品は写真界において「ニュー・カラー」という新しいムーブメントを巻き起こす起爆剤になった。
その後、カラー写真が美術品として扱われるようになったわけだ。

大雑把な分類だが僕にとって写真家は2つのタイプに分かれる。
アンセル・アダムスのようなタイプかブレッソンのようなタイプ。
日本なら土門拳タイプか木村伊兵衛タイプ。
共に前者はハッキリとした意図や被写体が写真の中にあって、それを緻密な構図や技法で表現するタイプ。
後者は時間の流れから一瞬を切り取り、そこにある間や空気感を切り取るタイプ。
僕的にはウィリアム・エグルストンは後者に属する写真家で、僕自身の写真の好みも後者に属する写真だ。
エグルストンは写真史においてあまりにも有名な人物なので、今までに何度も彼の写真や写真集を目にしたのだが、正直言って僕は彼の写真を長い間理解できないでいた。
いわゆる最近の若い女子たちが真っ白なオリンパスのペンを首からぶら下げてカシャカシャ撮っている写真とどこが違うのかと思わせる写真の数々なのだ。
しかし、彼の写真を一度見ると脳細胞に定着し、忘れ去ることが出来ない。
最近、彼を扱ったドキュメンタリーフィルム、「William Eggleston in the Real World」を観て、目からウロコが落ちてしまった。
ああ、なんて写真している写真なんだろう、と10年ぶりくらいに彼の写真を見てそう思ったのだ。
昔は理解できなかった彼の写真、どうして今は感動できるのか、少し考えてみた。
まず第一に考えられることは、昔はなかったカラー写真に対するこだわりが今はあるからだろう。
僕達が毎日目にし、何かを感じるている世界はサングラスをかけていたとしても、カラーなのだ。
自分の感動に色が何パーセントか貢献しているのなら、やはりその色を素直に出さないとその感動は伝わらないだろう、という考え方が最近心の何処かにある。
(モノクロ派の自分としては認めたくない事実なのだが)
撮った写真も最近は、できるだけ画像処理しない方針だ。

第二に考えたのは、写真ならではの表現や被写体の選び方という点について自分の考え方が広がってきたからではないのかということ。
日本にいたとき僕の写真を絵のモチーフとして使わせて欲しいと頼まれることが度々あったが、その度ごとに「ああ、僕の写真は絵でも表現できるのか、、、」とガッカリしたものだった。
絵で表現できる世界なら、なにも写真でそれを捉える価値はない。
被写体の選び方もしかり。
例えば、グラマラスな美女のヌード写真と買い物袋をぶら下げて近所を歩いていたおばさんの写真、どちらが壁に飾る写真として成立しやすいかといえば、趣味の問題もあるが、やはり圧倒的に前者だろう。
(グラマラスな美女のヌード写真を壁に飾りたいかどうかは別として)
見知らぬ買い物袋のおばさんが写真として立派に成立するためにはそこからどれだけのストーリーを引き出すかという努力を多くのフォトグラファーはするだろう。
だが、同じ状況にエグルストンがカメラを持って立っていたのなら、彼はそんなストーリー性をも一見排除した一枚を撮ることだろう。
この人は何を撮りたかったのだろう?と思わせるような一枚を。
それでいて、どうしてなのか説明できないが、どうしょうもなく心に響いてくる写真を彼は撮ることができるのだ。
僕が感動する写真は撮影する者がそこに目をつけなければ多くの人が見落としてしまう美を写真ならではのスピードで切り取ったものだ。
この世界はこともすればマスターベーション・スナップショット(マス・スナ)に陥りやすいし(というか、99%の写真愛好家たちはこれに陥っているはずだ。僕も含めて)、写真を鑑賞する側もそれが確かに優れたものなのか、それともただのマス・スナなのか判断する能力が求められる。
こればっかりは、分かる人にはわかるし、わからない人には努力しても無理な世界かもしれない。
感性は努力ではどうしようもないことがあるからだ。
女子高生がコンデジで撮った日常のスナップショットとエグルストンの写真の中にある違いはいったい何なのか?
エグルストンは有名な写真家だから彼の写真がよく見えるのか?
いや、ちがう。
彼の写真にはどう考えても普遍性がある。
揺るぎない美学がある。
彼が撮った1970年代の写真をいま見ても新鮮に、しかもまるで自分の体験の一部のように見ることができる。
写真集やプリントを所有したい衝動に駆られる。
彼のものを見る眼と美意識がずば抜けて優れているとしか言いようがない。

映画が好きだからといって毎回ハリウッド映画だけじゃつまらないだろう。
たまにはヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、パトリス・ルコント、いや古いところで小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、ゴダール、アッバス・キアロスタミなどを観て映画鑑賞の深みを楽しむように、写真も写真史に残る巨匠たちの作品を折に触れて目にすることをお勧めしたい。












12月11日のマス・スナ
こういう記事を書いた後に自分の写真を載せるのはとても心苦しいものです。(悔涙)
厳しい突っ込みなどしないよう、どうか皆さんご理解とご協力をお願いします。










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by somashiona | 2010-12-13 13:19 | 写真家

夢をみた




夢をみた。
僕はハーレーダビッドソンのタンクの下にあるキーを回してエンジンをかける。
ブーツのかかとでスタンドを蹴り上げ、左手のクラッチを握り、ニュートラルからローに入れたときの、あの魂を吹き込まれたような揺れがいつもと違ったので、後ろを振り返ると父親が白いランニングシャツとステテコみたいな姿でハーレーの後ろに跨っていた。

驚いた僕は「何やってるんだよ、父さん!」と叫んだ。

僕の肩に手を乗せ「いいから、早く出せ!」と父は言った。

僕のハーレーはシングルシートといって一人乗り専用のバイクだったので 「このバイクは二人乗りなんかできないんだよ」ともう一度叫んだ。

「大丈夫だ、いいから早く出せ!」と父はもう一度言った。
父の眼は僕を見ず、バイクのヘッドライトが向いているはるか前方を見ていた。

父の有無を言わせないような固い決意のようなものを感じ、僕はバイクを発進させようとした。
その時、どこからか、母の声が聞こえた。
ハーレーのツインエンジンから吐き出される不規則な重い鼓動に混じって、たしかに母の声が聞こえた。

「お父さん、ダメ!行ったらダメ、行かないで!」母はいつもの、庭をいじるときのようなエプロン姿だったけれど、その顔は今まで見たこともないような、切羽詰った形相で僕達に向かって走っていた。

「父さん、母さんが行くなって言ってるよ!」と僕は叫んだが、父は「いいから、早く出しなさい」と低い声で静かに言った。
僕はこれにはなにか大切な訳があるに違いない、父の言うことを聞くべきだ、と感じた。

僕はクラッチを少し慌ててつなぎ、バイクを発進させた。
その時、バイクの下から「カラン!」という音がした。
父の履いていた下駄が落ち、バイクのマフラーに当たる音だった。
父が下駄を履いているところなんて、ほとんど見たことがなかったので、どうして下駄なんて履いているんだろう?という考えが一瞬頭を横切ったが、次の瞬間バイクのミラーで後ろを見ると、母はまだ必死に僕達を追いかけていた。
その姿はみるみる小さくなり後方へ置き去りにされる。
かろうじてまだ見える母の表情に絶望的な悲しさが読み取れ、下駄のことはすぐに忘れた。
胸が圧迫されるように傷んだが、それでも僕はバイクをそのまま進めるべきだと、その時思った。

この夢の3日後に父は死んだ。

確か葬式の少し前だったと思う。
実家の中は手伝いをしてくれる近所の人達が慌ただしくおにぎりを作ったり、知らせを聞いた親戚のおじさんやおばさんなどが、ぞくぞくと駆けつけてきたくらいの時だろう。
リビングのテーブルを囲んで僕や母やそして他に誰がいたかハッキリとは覚えていないが、とにかく皆でお茶を飲んでいた。
僕はオーストラリアからの胸が張り裂けそうな長いフライトに耐え、やっと実家に駆けつけ、冷たくなって布団の中に横たわっている父の頬をさすりながらやっとこれが現実の出来事なのだと理解し、同時に豪雨のため満杯だったダムがついに決壊したように号泣した。
それからしばらくは朦朧としながら、考えも、気持ちも、視野も定まらない状態がつづき、やっと家にいる人たちの顔が見えてきたような状態で、その時お茶をすすっていたのだ。

誰かが持ってきてくれた和菓子を食べながら母が突然こういった「お父さんが死んじゃう3日くらい前に、すごく変な夢をみたのよね」と。
「お兄ちゃんが(僕のこと)黒いハーレーでお父さんを連れていってしまうのを、必死で追いかける夢なの」と母が言うではないか。

僕は勿論、自分の夢の話を母にした。
ほとんど同じ夢を、ほとんど同じ時に、僕と母は見たのだ。
そして、僕にはこれが偶然でなく、ごく当たり前の必然的なことに思えた。
でも、どうして僕が連れていったんだろう。
これが疑問だ。
そして、あの下駄はなんだったのだろう。
何かのヒントを与えようとしてくれていたのではないか。
その頃の僕は離婚寸前で、身も心も芯からボロボロだった。
多分、あの頃から父が死んだ後の2、3年間が今までの人生の中で一番辛い時だった。
もちろん、今のところは、ということだが。
あの時、父は僕のことを本当に心配していた。
もしかしたら、本当に僕が連れていったのかもしれない、という気持ちが、今でも心の何処かにある。






思想家の小林秀雄さんの講演会の録音テープのなかに、スプーン曲げで有名な超能力者ユリ・ゲラーについて触れている部分がある。
彼のスプーン曲げについてはいろいろな人が「あれはトリックだ」と言っていたが、小林秀雄さんはまるで「美人なモデルさんだってウンチをするんですよ」とでも言うようにユリ・ゲラーについて、「あんなことは当然起こりえるんです。そういう事象は昔の文献を見るといくらでも出てくるんです。科学で証明できないことをすべてインチキだという今の考え方そのものが間違っているんです」と言うようなことをあっさり言ってのけているのに、僕は驚いた。
あんなにインテリジェンスな人が、そういう事を正々堂々と言ってくれるのが嬉しい。
僕は子供の頃、ユリ・ゲラーが出てくる木曜スペシャルだか、水曜スペシャルを家族と一緒に観て、手に持っていたスプーンが本当に曲がり、何十年も前に壊れた父の腕時計がグルグルと回りだすのを目撃した人間だ。
なので、そういう事を根拠もなく、どこか信じている。
僕や母の夢だって単なる偶然じゃないと信じている。






昨日、相原さんが写真展をやっているクレードルマウンテンから僕に電話をかけてくれた。
どうしても僕に言っておきたいことがあったらしい。
相原さんは夢をみた、というのだ。
東京にある相原さんの家の居間の絨毯の上で、どうしてなのかその経緯や理由は分からないけど、僕が粗相をしたらしい。
絨毯の上で、こんもりと湯気を出している物質を見て、僕も相原さんも奥様も、皆困り果てている夢だったそうだ。

「僕の夢って結構当たるんだよ、マナブさん。今までも友人が夢のなかに出てきて、気になって電話してみたら夢のとおりになっていたことがあったんですから。だから、仕事中なんかに粗相をしないよう本当に気をつけてくださいね」と相原さんはかなり真面目に忠告してくれた。
相原さんも科学で解明できないことを信じるタイプのようだ。
でも、この夢については、僕は信じません。











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by somashiona | 2010-12-03 20:52 | デジタル

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