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サプリメントくん



何かと身体に問題が起こる僕は、来る日も来る日も医者から処方されたかなり強い薬を大量に飲んでいたが、去年の3月からそれらの薬を飲むのをやめた。
これは僕にとってとても勇気のいることだった。
まるでシャブ中のジャンキーのように、身も心も薬なしでは生きていけない人間になっていた。
強い薬をやめる代わりに、マルチビタミン、フィッシュオイルなどの各種のサプリメント飲むことにした。
すると、今まで薬でごまかしていた痛みや体中の不具合が「俺たちの時代が来たぜー!」と言わんばかりにいっきに襲ってきた。
それでも、ひたすらあらゆる痛みに耐えてみた。
薬をやめてから何ヶ月か経った頃、そういえば、最近頭痛が減っているな、と思いはじめた。
この調子でいくと、やがて僕の大敵である頭痛はなくなるのではないか、と思ったが甘かった。
大きな地震や津波は忘れたころに突然やって来る。
吐き気をともなうひどい頭痛が一度はじまると最低3日は続く。
これが一度はじまると寝てしまうことしか痛みから逃げる方法はない。
仕事があるときは本当に地獄だ。
「頭が痛いから出来ません」と言うわけにはいかないので、とにかく痛みに耐えて仕事をする。
こういう時だけはタイプの違う痛み止めを使い分けて徹底的に飲む。
こういう時は意地を張っていられない、もう降参してしまう。


朝早く家を出なければいけない時などは、夜寝る前に翌朝に飲むサプリメントをテーブルの上に用意しておく。
朝の忙しい時にいちいちボトルから各種のタブレットを取り出す面倒を避けるためだ。
こんなことしなくてもいい毎日が来ないだろうか、と夢見てみたり、こういう身体だからそこ人の痛みがわかるってもんだ、と理屈をこねてみたりする僕を白い皿の上のサプリメントくんは真面目な顔で眺めている。











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by somashiona | 2011-01-31 18:50 | デジタル

スケッチでアートな気分 #3





スケッチブックを膝に鉛筆を持ち、目の前の対象物をじっと見つめていると本当にクリエイティブな気持ちが沸き起こる。
写真をはじめた当時、写真は僕にとって純粋なアートだった。
絵や版画、小説や詩などと同じラインの上で写真というものを考えていた。
写真とは僕にとってTri-xやTMax、ネオパンプレストやデルタといったようなモノクロフィルムをつかうアートであって、それが最終的に完成される場所は家の中の暗い片隅、もしくはバスルームを使った簡易暗室だった。
写真が仕事になると、写真とはプロビアやコダックのタングステンフィルムなどカラーのポジフィルムを大量に使う消費する行為へと変わり、撮影済みのフィルムを日本発色や堀内カラーさんに預け、何時間か待った後、ポジのスリープをライトテーブルの上に並べ、ルーペを使って一枚一枚隅々まで確認し選ぶ作業へと変わった。
同じ写真でもモノクロの創り上げる作業とは大きく異なる。
暗室作業で仕上げたモノクロプリントが仕事の成果としてメディアに載る機会はごくごく限られ、僕にとってカラー写真は仕事、モノクロは個人的作品という概念が頭の中にできてしまった。
アーティスティックな気分になったとき、撮りたくなるのはやはりモノクロ写真。
デジタルのツルツルピカピカした綺麗過ぎる写真じゃなくて、フィルムチックな暗室作業の手触りを感じる写真がいい。
「じゃあ、フィルムでやれよ」と突っ込まれると、もじもじと足元に視線を落とし、何も言えなくなるのだが、僕は今のところフィルムに戻るつもりはないので、デジタルで自分の感性に合うモノクロを作っていきたいのだ。
前にも話したと思うが、最近僕はカラー写真にフォトショップなどで手を加えることを避ける傾向にある。
被写体や撮った写真を何に使うかにもよるが、目で見た感覚に近づける範囲の修正で十分だと思っている。
しかし、それがモノクロとなるとメチャクチャ手を入れたくなる。
そう、暗室作業で培った血が騒ぐのだ。
なんといっても、モノクロというだけですでに現実とは違う色の世界に入っているのだから、そこはとことんイマジネーションを膨らます作業をすべきだろう。
カラーでスナップを撮る感覚とモノクロでシャッターをきる感覚はまったく違う。
自分を違うモードに変えないとモノクロの眼に、モノクロの心になれない。
レンズを向ける対象も自ずと変わる。
鉛筆片手にスケッチをする感覚とモノクロ写真を撮る感覚は限り無く近い。

アートな気分でモノクロ写真を撮ろうとするたびに、子供たちからクレームが入る。

「ダディー、写真じゃなくて、今日はスケッチだって言ったじゃないー!!」
「ダディー、そんな草むら撮って何が面白いのー?全然理解出来ないよー!!」

何を言われても僕の耳には入らない。

アンリ・カルティエ=ブレッソンも言っている。

「写真は短刀のひと刺し 絵画は瞑想だ」


















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by somashiona | 2011-01-25 15:32 | デジタル

スケッチでアートな気分 #2




子供たちとの協議の結果、記念すべき第一回目のスケッチ旅行はホバートから時速110キロメールで北に向かって車を飛ばし約1時間20分の地点にある小さな町、オーツランズを目指すことに決まった。
この小さな町のランドマークは小麦粉を製粉するための風車。
しかし、僕達アーティスティックな親子はこの町に来たのなら普通は絶対描くだろう被写体には見向きもしない。
そう、自分のアンテナを信じるのだ。










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この町に足を踏み入れたとたん、ソーマの表情が変わった。
うん、本気モードだ。
このまま大人になったら、将来は金剛力士様になるかもしれない。
小さな町をぐるりと一周した後、子供たちは古いガソリンスタンドの跡地に腰をかけ、どうしてその被写体が絵になると思うのか僕にはまったく理解出来ない平凡な古い家をスケッチしはじめた。
真剣に獲物を探していた割にはあまりにもそっけない被写体だったのと、久しぶりの休日にカメラを持って歩いている嬉しさから、僕は子どもたちと一緒にスケッチをする気にはなれず、この町のスナップショットを撮りはじめた。










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この町はアンティークでも有名で、小さな町の中に数件あるアンティークショップからはよく掘り出し物が出るらしい。










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気ままにスナップショットを撮りながら幸せな気分に浸っていると「一緒にスケッチするって言ったじゃない!」と子供たちからクレームが入り、僕も少し描いてみた。
いやぁ、正直言って、もっと描けると思っていたのだけれど、スケッチブックのまっさらな厚手の紙を前にするとなんだか緊張してしまい、ぜんぜん鉛筆が動かない。
いや、本当に動かない。
目で見ているものがまっすぐ鉛筆に伝わらない。
屋根の煙突がとんでもない大きさになったり、後ろの家が前の家より大きくなったり、それはもうメチャクチャ。
面白いのは3人が同じ場所に座り、同じものを見ているのに、スケッチブックの上に描かれるものが大きく違うのだ。
僕の目はレンズで言えばフルサイズのカメラの35ミリ感覚、シオナは50ミリでソーマは135ミリから200ミリといった感じ。
彼らの絵のほうが目の前の風景の中から特に描きたいものを素直に切り取っているが、僕は漠然と見えているものをすべて描いている感じ。
カメラのファインダー越しに被写体を見るよりもっと、もっと、見つめ続ける。
見つめ続けると次第に被写体に感情が入っていき、何が描きたいかもおぼろげにわかってくる。
こういう経験ははじめてだ。
うん、スケッチ、おもしろいぞ。
子供たちはもう完全にアートモードに入っていて、描きたいものを描き終えると、すぐに場所を移動し、どこでもお構い構わず座り込み、スケッチをはじめる。
僕は移動のたびにカメラでスナップを撮りはじめ、スケッチモードに入りきることが出来ない。
ビデオカメラと写真のカメラの両方を持っていい絵を手に入れようとしても両立しないように、スケッチをするときはカメラを持つべきでないのだろうが、やはりそこはどうしても、、、、涙。
最後に町の公共施設らしき古い建物を三人でスケッチし、この町を離れることにした。










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かなり集中していたので僕も子供たちもクタクタだった。
帰り道、ボースウェルという小さな町でもスケッチをする予定だったが、子供たちはもう力が残っていなかった。
僕も少しだけスナップを撮って子供たちが住むニューノーフォークへと向かった。










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お腹がペコペコ状態で夜の8時頃にニューノーフォークへたどり着き、チャイニーズレストランで遅い夕食をとった。
子供たちはご機嫌で中華料理を突っつきながらその日のスケッチについてああでもない、こうでもないと話に花が咲いた。
この日のことをきっと彼らは長く覚えているに違いない、そんな気がする一日だった。













つづく




















予想以上に難しかったスケッチ。
建物を2、3軒描くのにも骨が折れるのに巨大な街全体をカメラもビデオも持たずヘリコプターに乗って空の上から眺め、完全に紙の上に再現できる男がいる。
その名もThe living camera(生きたカメラ)、スティーブン・ウィルシャーさん。






















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by somashiona | 2011-01-23 22:39 | ソーマとシオナ

スケッチでアートな気分 #1



子供たちと過ごす週末、どしゃ降りでどこにも行く気になれない時があった。
そう、ちょうどクイーンズランド州がまるで映画のセットのような洪水で大変なことになっていた時だ。
クリスマスプレゼントとして母親から買ってもらったipod タッチに朝から張り付いていた子供たちに「ipod ノータッチ命令」を発令すると、いったんしかめっ面で自分の部屋に入ったソーマがスケッチブックを手にリビングルームに戻り、おもむろに窓際に座った。
彼はしばらくぼぉ~と土砂降りの窓の外を見つめた後、背中の中央にあるスイッチを押された時のオモチャの人形のように眼の中に光が宿り、突然猛烈に鉛筆をスケッチブックの上に走らせた。
すぐにシオナもソーマの横に椅子を持ってきてスケッチをはじめた。
外の景色を鉛筆やペンで描くなんて、僕は小学校の写生会以来一度もやったことがないし、それをやろうという考えすら頭の片隅によぎったこともない。
でも、良く考えてみると、写真を撮る僕の姿を彼らがいつも目にするように、画家である彼らの母親がスケッチブックに何かを描いている姿を日常的に目にしているのだろう。
彼らにとってスケッチは自然な行為なのかもしれない。
自分の子どもだからそう見えるのかもしれないが、窓の外を眺め夢中で鉛筆を走らせる彼らの姿は美しかった。
そして、話しかけることが出来ないオーラすら、彼らは放っていた。
スケッチが終わった後、彼らが持っていたスケッチブックを見せてもらった。
そこには彼らの生活の一部として切り離すことが出来ない彼らを取り巻く環境が素朴に描かれていて、僕は少し感動してしまった。
スケッチブックに描かれた彼らの絵を見て、それがどこなのか僕にはわかる。
それらはまるで、写真で言うところの日常の何気ないスナップショットのようだった。
建物や風景を好んで描いているソーマと違って、シオナのスケッチには身の回りの物や人物が描かれている。
彼らが写真をやればきっとソーマが風景写真中心、そしてシオナは僕のように人物写真を撮るようになるだろう、となんとなく想像がつく。
人には持って生まれた興味の対象というものがあるような気がする。
プラモデルや鉄道に興味を持ち始める男の子と虫や動物の図鑑を読みあさる男の子に分かれるように。    
僕は小学校の4、5年生の頃に人間への感心が芽生えたのをはっきりと憶えている。
彼らのスケッチブックを見せてもらいながら「一枚絵を描くのに30分くらい外に座っているの?」ときくと、シオナは真面目な顔をして「ダディ、スケッチはね、時間をかけちゃダメなものなのよ」と答える。
最近、子供たちは年下の子どもに向かって口を聞くような態度で僕と話をすることがある。
それが彼らの得意分野のことだとなおさらに。
「え、シオナ、じゃあ、一枚の絵にどれくらい時間をかけるの?」
「一枚の絵に5分以上かけちゃいけないっていうルールなの」腕組みするシオナはまるでスケッチの専門家だ。
「マミーから言われているの、ぜったい5分以上はダメだって。それとできるだけ自分の目はその時に描いているものを見つめ続けて、手元のスケッチブックを見ないようにするの」
僕はジェスチャーではなく、本当に驚いて「スケッチブックを見ないで鉛筆を動かしたって、何を描いているのか分からないでしょ!」というとシオナは厳しい目で僕を見つめ「訓練すれば、出来るようになるのよ」と答え、そして「私はまだダメだけど、、、」と言って目を伏せた。
それからまた顔を上げて「ソーマはとっても上手で、あまり手元を見ないからいつも2、3分でスケッチが終わってしまうの」と教えてくれた。
兄妹というものは些細なことでも競う合い、小さな優劣に自信を持ったり劣等感を感じたりする。
シオナ、どうやらスケッチでも兄との差を少しでも埋めようともがいている様子だ。
そのままで十分なのに。

それにしても、手元のスケッチブックを見ずに描いているものを見続けるなんて、写真と同じじゃないか!
写真撮影はモニターは勿論、カメラの中の情報を見なくても自分が撮っているものの仕上がりがわかるようになることがとても大切だ。
とにかく被写体を見つめること、観察すること、予期すること、これに気持ちを集中しなければいけない。
表現したいものを見つづけるときのあの感覚は素晴らしいものだ。
頭の中から雑念が消える。
シオナと話していて、なんだかすっかりアートな気分になった。
アートな時間にじっくりと浸かってみたい気分になった。

「ねえ、明日さ、もし天気がよかったら、みんなでどこか遠くにスケッチ旅行に行こうか?ダディもスケッチブックと鉛筆買うからさ。どう?」と聞く。

「イエ~ィ!ダディ。スケッチ旅行だ!行こう、行こう!」と子供たちは飛び上がり、雨ざあーざあーの日だったけれど、みんなかなり明るい気分でその日は過ぎていった。










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ソーマのスケッチブックの中の一部。
そういえばソーマ、随分前から古い建物が好きだった。
スケッチの時も建物を描くのが好きだと言っていた。










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シオナのスケッチブックのなか。
風景、カップ、愛犬アプリコットや花瓶の花。










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花の絵がマティスの絵に見えるのは父親の贔屓目(ひいきめ)?










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マミーの顔が結構似ていたので、ダディの顔はないの?と聞くとニヒヒと笑って見せてくれた。










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かなり前に彼女が描いてくれた僕の似顔絵はマンガチックで可愛らしかったのに、、、。
腕が上がるに従って彼女の描く僕の顔は醜くなるのだろう。
シオナが描いた僕の顔の絵、たしかに車を運転しているときセクシーウーマンを見つけるとこんな目になるよなぁ、、、。


つづく




















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by somashiona | 2011-01-22 11:09 | ソーマとシオナ

やあ、こんにちは2011年


1月中はまだ「あけまして、おめでとう」を言ってもいいという自分の中の常識を押し通す今年第一弾のブログ更新。
皆さん、お久しぶりです。
今年もよろしくお願いします。
前回の更新からあまりにも間が空き過ぎていて、何をどこから話していいのか分かりません。
このブログは僕にとって記録的役割もあるので、とりあえずニューイヤーズイヴの夜まで記憶を巻き戻し、時系列で今年のブログをはじめたいと思います。


大晦日の夜まで続いていた仕事をとりあえず終え、手土産も持たず直接ピーターの家に行く。
大人の香りムンムンとしたアダルトなニューイヤーズイヴのパーティはすでにかなり盛り上がっていた。
「ああ、今年も一年の最後の日を親しい友人と送ることができて良かった」という思いで僕の心は満たされていた。
プライベートでは人と接することが少ない僕だが、さすがにクリスマスやニューイヤーズイヴは一人でいたくない。
都合のいい時だけ人を求める僕。
この性格、2011年は少し変えてみよう、とアルコールの酔に身を任せ踊る大人の女たちを見つめながら思った。
誰もいない裏庭では、ピアノ教師をしているという青年がカクテルグラスとタバコを手に室内から洩れる音楽に合わせて気持よさそうに一人きりで踊っていた。










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元旦は子どもたちと一緒に過ごすことができた。
オーストラリアにおいて元旦というは祭りの後的な印象がある。
クリスマスからニューイヤーズイヴにかけてはしゃぎ回った人たちが電池切れでベッドやソファに倒れこむ日だ。
家から一歩も外に出ず、家の中でテレビを見ながらだらだらと過ごすのだ。
日本人にとって大晦日から正月の三ヶ日がどんなに大切なものなのか子供たちにじっくりと話して聞かせると「じゃあ、どうしてダディはいつもそんな日にも仕事をしてるの?」と突っ込まれた。
「余裕のある日本人にとって大晦日から正月の、、、」と話を少し修正してみた。
「とにかく、今日は正月だからダディは何もしたくない、君たちが食事を作りなさい」というとその日の昼ごはんはツナとおかかのおにぎりからはじまり、夜はサーモンのフライをメインにした美味しい夕食を作ってくれた。
魚の骨抜きをするのはソーマにとってこの日がはじめて。
ちなみにサーモンのように太く、強い骨の魚は毛抜きのような骨抜きよりも写真にあるラジオペンチのようなもののほうが簡単だ。
この日、ソーマはほとんどの時間をケーキ作りに費やしていたのだが、その話は日を改めてしよう。










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僕的には元旦に一番やりたかったことは、父の写真に向かって子どもたちと一緒に手を合わせることだ。
僕の寝室にあるプチ仏壇に添えるための花を夕食の後シオナと探しに行った。
近所の林の中まで草花を求めてシオナと歩く。
父に供える植物をアレンジするのはいつもシオナの仕事だ。
ユーカリの花や葉がさり気なく入っているところに、オーストラリアを感じる。
「いいかい、昨年一年の報告と御礼をグランパ(おじいちゃん)に心の中で言うんだよ。それと今年何をするのかもちゃんと報告してね」と言うと、お線香の匂いが立ち込める部屋の中で、子供たちはプチ仏壇の前で目を閉じ、とても、とても長い時間手を合わせている。
少し後で、子供たちは僕にこう尋ねる。
「ダディはいつも人が死んだら天国も地獄もなくて、ただ全てが消えてしまうって言うでしょ。ダディは信じている神様もいないでしょ。じゃあ、グランパに手を合わせているとき誰にお話ししているの?」
オーストラリアで生活をしていると信仰の厚い人たちとよく出会う。
彼らはあたり前のこととして僕が何を信仰しているのかを聞く。
「僕は何も信仰していない」と答えると、彼らは心の底から驚く。
「神なしで、どうやって生きて行けるのか?」と。
正直いうと、僕はかなり頻繁に祈っている。
山に行って樹齢がかなりたっているような大きな木に出会うと祈り、見上げた夜空に綺麗な星が輝いていると祈り、プチ仏壇の上で笑っている父の写真を見るたびに祈る。
神社でお賽銭を投げ込んだ後はとっておきのお願いをするし、絶体絶命のピンチに陥ったときは必ず心のなかで「ああ、神様、お願いです、どうか、、、」とはじまる。
神道の国で生まれ育った僕はたぶん自然や先祖を崇拝する細胞を持っているのだろう。
そういう感覚を、子供たちに説明するのはかなり難しい作業だ。 
僕が何かに向けて頻繁に祈ること、それはいつも同じだ。
「神様、お父さん、どうか僕から子供たちを奪わないでください。彼らが健康で幸せに暮らせるよう見守ってください。母や妹のこともよろしくお願いします」
例えばクリスマスや元旦など特別な節目の時にはこの祈りも個人的なことから人類に向けて規模が大きくなる。
「どうか世界の子どもたちから笑顔が絶えないように、人々が憎しみ合わないように、戦争や紛争が一つでも減るように」と。










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近所の小学校の壁に人々が手をつなぐ絵が書かれていた。
昨年、僕はどれだけの人たちを手をつなげただろうか?
人々が手をつなぎあうこと、手に手をとって輪を作ること、そんなことが日常様々な場所で起こる世界になってほしい。
そのためには、ひとりひとりの人間の尊厳を守ること(Respect for one and all,,,)確かにそういうことからはじまるのかもしれない。
大人より、子供のほうがそういうことを知っているようだ。










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神様、皆さんが幸せに過ごせる2011年でありますように!


















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by somashiona | 2011-01-18 21:42 | ソーマとシオナ

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