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坐禅#最終回

久しぶりに親友のピーターを訪れた。
僕は気が滅入っていたり、自分にポジティブなエネルギーが不足していると感じる時は人に会うのを避ける。
自分のネガティブさに他人を巻き込みたくないからなのだが、そうすると自分の低エネルギー状態も続くことになる。
何をやっても満足を得られず、常に身体は痛みに蝕まれ、自分を外に向けることが段々と難しくなってきている、という話をピーターにすると、「それはね、たぶんスペースが不足しているんだよ」と彼は言った。
「スペースって、それは時間的余裕?それとも経済的余裕?心に余裕がないってこと?あのね、ピーター、経済的余裕と時間的余裕さえ僕にくれたら、僕は明日からでも常夏の島に行って、ビーチチェアの上でグアバジュースを飲みながら3ヶ月を過ごして、それから100%身も心もスペースたっぷりの健康体になってタスマニアに帰ってくるよ」とついつい僕は皮肉たっぷりに言い返す。
そう、誰もこの気持など分かってくれないのだ、と思いながら、ダダっ子のように。
「いや、スペースっていうのは、頭の中の話だよ。マナブには頭の中に自由なスペースを作ってあげることが今大切なんじゃないかと思う」とピーターは僕の皮肉にもたじろがず、続ける。
「じゃあ、どうやってスペースを作るのさ?なにか驚きのアイディアでもあるの?」と僕。
「うんあるよ。メディテーションさ」とピーター。
「ねえ、君だって知ってるだろ、僕が6ヶ月間もメディテーションに本気で取り組んだのを。もうたくさんだよ。あれはまったく僕向きじゃないもの」と僕は少し期待を裏切られたような気持ちになった。
「たぶんね、やり方が悪かったんだよ。ジョン・カバット・ジンって知っている?メディテーションをはじめて西洋医学に取り入れることに成功した学者なんだけど、彼の講演会の様子をね、YouTubeで観れるんだ。ねえ、マナブ、騙されたと思ってそれを観て、15分でいいから彼の言うとおりメディテーションをやってご覧よ。ね、これは男同士の約束だ。今晩君は必ずメディテーションをする」とピーターがいつになく熱く僕に訴えかける。
渋々、僕は男同士の約束をしてしまった。


男同士の約束をしたからには、守らねばならない。
その日の夜、ベットに入る前、正直、やれやれと思いながら、ピーターが教えてくれたYouTubeを観てみる
ドクター・ジョン・カバット・ジンがその講演会で話したことは極めてシンプル。
我々は皆、常に考え続けている。
過去のことを、今現在のこと、そしてまだ来ぬ未来のことを。
寝ている時ですらその思考は止まらなず、脳は常に考えっぱなしだ。
一日の中で、ほんの短い時間でいいから今この瞬間、いま自分がここに存在し、確かに生きているというその事実だけに目を向けてみよう、ということだ。
生きている証、それは呼吸だ。
自分の体に入る空気、出て行く空気、それだけに意識を集中してみる、それが彼がすすめる初歩的なメディテーションの方法だ。
彼の言うとおり、約15分だけやってみた。
そしてその後、僕はさっさと寝た。
翌朝、近年稀にない素晴らしい目覚めを僕は経験した。
もの凄く深い眠りと爽やかな目覚め。
夜中に一度もトイレに行くことなく、いったい何が起こったのかと考えているうちに昨夜メディテーションをしたことを思い出した。
まさかねぇ、、、と思ったのだが、あまりにも心地よい眠りだったので、この日の夜もまたやってみた。
次の朝もすごぶる快調、その晩もまたメディテーションをやってみる。
それが1週間、2週間と続き、時間も15分から20分、20分から30分と増えていった。
朝は忙しいから5分~15分、夜は30分と回数も増えた。
10分でも長く睡眠時間が欲しい時も、その時間をメディテーションに費やした。
その方がいい眠りにつけるから。1時間の良質なメディテーションは3時間分の睡眠に匹敵するらしい。

大学を卒業したあと、僕が就職した企業の会長が坐禅をとても大切にしている人で、新人研修では寺で座禅させられた。
その時もらった「参禅入門」という本をなぜだか今も大切に持っていて、なんとなく何十年ぶりにその本を読んでみて、目から鱗が落ちた。
すっごくいいことが書かれている。
それ以来、僕はメディテーションではなく、坐禅を目指している。
やっていることはほぼ同じ、いまこの瞬間、息を吸い吐くということだけにひたすら意識を集中し、それ以外の考えは排除するのだが、その座禅という行為をストレス解消のためや、身体の痛みを軽減するため、などという目的のためにやるのではなく、ただ毎日座り、無になる時間を作るということのためだけにやることにした。
座る前には壁に向かって一礼し、時計回りで反対方向にも一礼する。
線香を焚き、部屋の空気を清める。
相変わらず雑念や煩悩との戦いだが、それでも坐禅を終えた後はとても清々しい。
"考える"ということを自分の意思で止めること、その気持よさを僕ははじめて知った。

先日、アフリカのスーダン出身で難民としてオーストラリアに永住した女性と話をしていてハッとさせられた。
戦争に巻き込まれ、家族や友人たちが殺された。
命からがら何カ国かに家族がバラバラに逃げ、今はこの小さなタスマニアという島で落ち着いている。
いつもニコニコと幸せそうな彼女に、なぜあれほど悲惨な経験をたくさんして、いまだって決して良い給料とはいえない職場で毎日休む間もなく働いて、それでも自分の人生は幸せかと思うか?なぜいつもそんなにニコニコしていられるのか?と聞いてみた。

「マナブ、そんなの簡単なことよ。考えないこと!過去のことを考えたってそれはもう変わらないし、まだ起こっていない未来のことを心配してもしかたがないでしょ。今こうやって生きている瞬間瞬間を楽しむのよ。私たちは楽しむために生まれてきたのだから。人生はダンスよ、踊るのよ。」とアフリカの特有のダンスのステップを踏みながら笑って答えてくれた。
アフリカ人なのに仏教してる、、、。

坐禅をして以来、考えることは大切だが、考えることを止めることも大切だということに少しずつ気がついてきた。
仕事をしている時、今現在時間に追われてやっていることと同時に電話やメール、様々な人間の依頼や質問、ドクターへの予約、燃えないゴミの出し忘れ、友人との食事のための買い物をしなくてはいけないことなどなど、次から次へと考えが打ち寄せる波のように押し寄せる。
そういう時、一度作業の手を止め、坐禅の時の腹式呼吸を繰り返してみる。
たった今やるべき事だけに気持ちを集中させることによって、効率よく物事を運べることが分かってきた。
これも坐禅効果だ。
効果を期待せず座れば座るほど、じわりじわりとどこかで効果が現れる。

この現実世界を生きている限り、予定や計画通り物事が進まず、気持ちとは裏腹に健康や体力が低下しそれによって多くのことを断念しなければいけないことは、やはりある。
しかし、それはけっしてGive upするということではない。
リタイアしたらゆっくり旅行しようとか、この病気が治ったらあのプロジェクトを進めようとか、お金が貯まったらじっくりと動き出そうなどと思ってはいけない。
今、この時点でできることを、今、やらなければ何も起こらない。
先のことなどあてにせず、過去のことにもこだわらず、今やるべきことを精一杯やるのだ。
自分を信じて、今日もただ静かに座わり、立ち上がったら行動を起すのだ。

坐禅、皆さんも騙されたと思って、やってみては?


終わり












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自宅の窓から ウェスト・ホバート















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by somashiona | 2012-06-29 23:51 | デジタル

坐禅#2




よく昔から、「君は考えすぎだよ」とか「そんな事考えたって仕方ないだろう」と言われるのだが、その度に「考えるのをやめたら、人間じゃないだろ!」と心の中で言い返してきた。
しかし、坐禅をはじめてからその”考え方”が少し変わってきた。

タスマニアで僕の尊敬する友人たちのほとんどが坐禅をする。
といっても彼らにとってそれは坐禅でではなく、メディテーション(瞑想)だ。
坐禅とメディテーション(瞑想)は似ているが、同じではない。
上手く説明できないが、どうしてそれをするのかという根本的な姿勢が違う。
メディテーションは宗教とは無関係で、エクササイズやヨガの延長線上にあるもの、すなわち身体に良いからやる、という感覚のものだ。
日本の坐禅は座ることに結果を求めない。
ストレス解消のため、心のやすらぎのため、と座った時点でもうそれは坐禅ではない。
ただ座る。そして限りなく無になる。何も求めず、何も期待しない。座るという行為だけで十分。それが坐禅だと思う。
あまりにも周囲の人達に勧められるので(メディテーションを)、数年前に中国仏教のお寺(ホバート)が主催する初心者のためのメディテーション・コースで半年ほど修行を積んだことがあるのだが、僕にはまったく向いていなかった。
そのコースがちょうど夕食前の時間だったこともあって、座るとすぐに食べ物のことが頭をよぎり、どうしても集中できないばかりか、毎回ものすごい勢いでお腹がぐぅ~ぐぅ~と鳴りはじまるのだ。
このコースでメディテーションをする前に、このお寺で一番偉いマスターと少しだけ話しをする時間を頂いた。
「メディテーションで一番大切なことは何ですか?」という僕の問に、「決して目を開けないことだ」と七福神のような顔をしたマスターが、神のお告げを囁くように答えてくれた。
なので僕はメディテーションの最中、何があっても決して目を開けなかった。そう、根は素直なのだ。
お寺の中の広い空間の壁には漢字で書かれた掛け軸や仏像のようなものが所狭しと置かれている。
タスマニアの中で100%アジアな空間、これがまたいい。
線香の匂いが、まるで建物に染み付いているかのように、階段を歩いていても、トイレで用を足している時も漂う。
メディテーションの時間が近づくと、「ドラゴン怒りの鉄拳」に出てきた中国拳法の門下生のような服装をした人たちが続々と集まってくる。
男も女も、老いも若きも、頭を丸めている。
時折、頭を丸めた色白の超美形な中国人女性などがいて、場違いな興奮すら感じる。
(この時点でメディテーションをやる気構えの欠落に気づくべきなのだが)
中国拳法の門下生のような人たちには階級があるらしく、位の高い人らしきお坊さんたちが広い空間の中央正面に座り、門下生たちはボーリング場のコースに立てられたピンのようにその後ろに続く。
そして一般人、スーツ姿のオフィスワーカーらしきオーストラリア人、ジーンズとTシャツ姿で髪の毛を立て身体にはタトゥの橋下氏の下では絶対に働けないタイプのオーストラリア人、どこからどう見ても専業主婦のオーストラリア人、高校生らしきオーストラリア人などが続々とやって来て、正面の位の高いお坊さんの方に向き合う形で、各々好きな場所に座る。
ゴォ~ンという鐘の音と共に目をつぶり、皆が一斉に僕にはまったく意味のわからないお経のようなものをひたすら唱え続ける。
約1時間ほどのセッションなのだが、メディテーションがはじまって10分もすると広い空間のあちらこちらから様々な雑音が何故か発生し始める。
連続してゲップをする者、オナラをする者、すすり泣く声、あえぐ声、ドタンバタンと飛び跳ねるような音、目をつぶっている僕には何が起こっているのかまったく分からず、頭の中は???がたくさん浮かぶのだが、それが浮かぶということは心を無にしていない証拠だ、と自分に言い聞かせ、雑念を振り払い、ひたすら耳コピーで覚えたお経を唱える。
「おぉ~ん まにべ~ めにほ~ん」


半年たったある日、いつものように「おぉ~ん まにべ~ めにほ~ん」と唱えながら頭をよぎるオージービーフやカルボナーラを掻き消そうと相変わらず見た目には静かな戦いを繰り広げる僕だったが、この日、まわりの人々のすすり泣く声やオナラ、そしてドタンバタンと飛び跳ねるような音はいつになく激しく、いつしか僕の頭の中の戦いは目を開けて何が起こっているのかを見るべきか否かの戦いにすり替っていた。
最高位のマスターはメディテーションへの道は絶対に目を開けないことだと言ったが、半年たっても僕は食べ物の煩悩すら追い払うことができないじゃないか、、、よし、ちょっとだけ見てみよう。
誰にも気づかれないよう、僕はうっすらと薄目を開けてみた。もう寝なさい、と親に怒られた子供時代に何度もやったように。
たぶん眼球はまつ毛に隠されているだろう、、、よし、よし、、、あ、あれぇ~、全員が座っているはずのこの空間で、、、女性が数人踊っている、、、、あ、あれぇ~、男性が転がって泣きわめいている、、、あ、あれぇ~、女性がお尻を半分上げてオナラしている、、、あ、あれぇ~、ティーンエイジャーの少年が悪魔にとり憑かれたように白目を剥いて身体を揺すっている、、、。
気がつくと、僕は目を皿のように大きく開け、火星探査機の白いアンテナのように首を右へ左へ、前へ後ろへと360度忙しく回している。
そして、お経を唱える位の高いお坊さんが僕を睨みつけているのに気が付き、慌てて目を閉じた。


この日のメディテーションが終わった後で、勇気を振り絞り、位の高いお坊さんに目を開けてしまったことを詫び、どうして皆が目をつぶり静かに座っているはずのこの空間であんなことが繰り広げられていたのか、自分を抑えられず詰め寄った。
お坊さんの説明では、長くここでメディテーションをしている人たちは完全に自分を開放状態にできるので、意思とは無関係にそれぞれの人が心に抱える状態に応じた行動をとってしまうという。


僕はこの日からここへ通わなくなり、メディテーションとも一度は縁を切った。



つづく













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タスマニア北西部、グランビルハーバーへ向かう道
















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by somashiona | 2012-06-27 09:10 | デジタル

坐禅#1



このブログは自分自身の記録、子供たちへのメッセージでもあるので、時には今時点(47歳)で自分が何に悩み、何を考え、何を目指しているかということを記しておくのも良いことではないかと思う。
ブログでは政治、宗教、環境問題、歴史問題、人種差別などといったトピックスについてできるだけ触れないように注意している。
実は言いたいことが人一倍ある分野だけに、これについて語り始めると収集がつかなくなりそうというだけでなく、ネットで不毛な議論を仕掛けられるのも嫌だし、もっと正直にいえば、自分の発言について他者から攻撃されることが怖いという小心者の心理が働きこの話題を避けている部分もある。
例えば、大阪の橋下市長のことは常にとても気になっていて、公務員の国歌斉唱は当たり前だと思うが、なぜタトゥ(刺青)がそんなに問題なのか僕には解せない、というようなことを語り始めると間違い無く僕は毒舌になり、多くの日本の人たちの気持ちを害するに違いない。
話題が自分に関することならば問題はないだろうと思うのだが、これは聞く人にはつまらないだけでなく、これを正直に語るのはやはり恥ずかしい。
文章は僕がいかに未熟で、教養や深みに欠ける人間なのか簡単に暴露してしまう。
しかし、何かを表現しようとする者が、これを恐れてどうする、自分をさらけ出している写真や本に出会うたび、僕はいつだって感動しているじゃないか、と自分に言い聞かせたりする。



僕はここ数年、自分の人生に対しどうしょうもなく悩んでいる。
多くの人に会い、話を聞き、本を読む度に物事は段々とグレーになってくる。
全てにおいて、白・黒をハッキリとつけられない。
世界は限り無くグレーで、自分の信じるものが何か分からなくなってくる。
本当に自分がやるべき事をやらずに、しかもそれが何なのか分からぬまま、毎日が無駄に過ぎ去り、ただ歳をとっていっている気がしてならない。
少し前まではやりたい事、なりたい自分が明確にあったのに、そういうものがここ数年で波打ち際に作った砂山のように、波が押し寄せるたび静かに崩れていくのが分かる。
年齢を重ねるということは、グレーだったものがハッキリと白や黒に見えてくることだと思っていたのに、今のところ自分はまったくその逆を行っているようだ。
思春期の少年じゃあるまいし、何を今さら青臭いこと言っているのだ、と言い聞かせたいところだが、どうしてもそう思えない。
人は何歳になっても成長し続け、ものごとを柔軟に受け入れる心を持ち続ければ、自分を変えることさえまだ可能なのだと僕はどこかで信じている。
いろいろな本を読む限り、こういう人間は大きな犯罪を起こしやすいらしい。
ダラスでケネディを暗殺したとして逮捕されたリー・ハーベイ・オズワルドの記録などを読むと、あまりにも彼に共感できる部分が多く、鳥肌がたつ。
もちろん僕は、オズワルドなんかになりたくない。

色々考えていると、頭が破裂しそうになることがある。
気がつくと、思考に身体が汚染され、身動きがとれなくなりそうになる。
そんな時は水泳、マウンテンバイク、ウォーキングで心身をデフォルト状態に戻すのだが、腰や膝をはじめとする様々な問題が悪化しているここ数年、それもままならない。
そんな時に出会ったのが、坐禅だった。



つづく












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写真はマウントフィールド国立公園
テキストとは無関係です。

























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by somashiona | 2012-06-25 15:57 | デジタル

ちびちび飲む



子供たちがホットミルクを飲むとき、厳格な流儀がある。

一、ホットミルクにバニラエッセンスを数滴垂らす
二、木製のティースプーンを使って砂糖を入れる
三、カップの中のミルクは決してかき混ぜない
四、ミルクは決してカップから飲まず、木製のティースプーンを使ってちびちび飲む


そんな貧乏くさい飲み方はやめなさい、と貧乏な父親が言っても、子供たちは耳を貸すワケがない。
そういえば、子供の頃、母親がヤクルトレディをやっていたことがあって、僕はヤクルトを毎日飲んでいた。
当時、ヤクルトを飲むための厳格な流儀を子供ながらにも僕は確かに持っていた。
ヤクルトの魅力は何と言ってもあのアルミ箔のフタだ。
途中で破れないように注意深くあのフタを全て剥ぎ取って飲むと、大好きなヤクルトがあっという間になくなってしまう。
そこで、フタを半分だけ開けてみたり、ストローをさしたり、指で穴をあけたりと試行錯誤を繰り返すのだが、その結果、爪楊枝で3〜5個の穴をあのアルミ箔に開け(まるでフタを取った味の素の容器のように)(爪楊枝を刺すときの手応えがなんともいえずいい)、ちゅーちゅー音をたてながら飲むのが、最もヤクルトを堪能できる飲み方だということに子どもの僕は気づいた。
ちゅーちゅーとやるとき、小さな穴の中から飛び出してくるヤクルトの水流が一本一本ハッキリと、シャープに舌の上に当たるのを感じることが出来る。
そう、僕もやはり、ちびちびと飲んでいたのだ、あはは。
ってことは、子供たちのちびちびも、遺伝ということだ、あはは。

ちなみに、ヤクルトにはもう一つ超スペシャルな飲み方がある。
これは時々しかやらなかったが、これをやる日は特別な日だった。
それはヤクルトのプラスティック容器を逆さまにし、容器の底の端っこを前歯で少しずつ噛む。
まるで、夜中に天井の片隅で悪さをするネズミのようにカリカリと。
そうすると、噛み砕いたプラスティックの小さな破片と共にヤクルトの甘酸っぱい味が、じわぁ〜っと口の中に広がる。(破片は飲み込む)
頭の中ではコンクリートのダムの壁が水圧に耐え切れず欠壊するイメージが広がる。
そして、さらに穴を歯で噛み砕きながら大きく広げ、ちゅーちゅーと音を立てて飲む。

あ、これ以上この手の話をすると、我が家の生活レベルが人様に晒されることになるので、やめておこう。
ちゅーちゅー。













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by somashiona | 2012-06-22 21:06 | ソーマとシオナ

Don't give up (あきらめないで)




数ヶ月前、締切りが迫る提出物を目の前に、何度も髪の毛を掻きむしったり、頭を叩いたりするのだが、どうしても言いたいことがまとまらず、僕は爆発寸前だった。
頭の回転と反比例し、時間だけはまるで普段の3倍の速さで進むようだった。
もう、睡眠時間は諦めるしかない(この年齢になると一度の徹夜で、回復に1週間を要する)、腹を決めて30分休憩しよう、と腹をくくり、普段はあまり聞かないiTunesのラジオストリームから適当に局を選んだ。
プリンス、ブルース・スプリングスティーン、ロキシーミュージック、ZZトップ、ジョージ・マイケル、カルチャークラブ、、、どうやら80年代のロックをかける局を選んだようだ。
あまりに懐かしくて、思わず提出物のことは忘れ、まさに青春まっただ中(青春という言葉はもう死語か?)だった当時に思いを馳せた。
そして突然、馴染みの深いイントロが流れた。
イントロを聞いただけで胸が締め付けられ、男性のヴォーカルがはじまると鳥肌がたった。
ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュの「Don't give up」だ。

彼が歌う


このプライド高き国で”強くなれ”と育てられた
僕らは皆強くあることを期待された
戦って、勝つことを教え込まれた
失敗するなど夢にも思わなかった
もう戦う気力はなくなり、夢も希望も消え失せた
顔を変え、名前も変えたけれど、誰も負け犬の相手などしない



するとケイト・ブッシュがそれに応える


あきらめないで 友だちがいるじゃない
あきらめないで まだ力尽きていないわ
あきらめないで きっとあなたはまだやれるから



人生のどん底に落ちヘロヘロになった男の愚痴を、恋人が必死に慰めるという設定の歌なのだが、この曲を聞いているうちに、涙がこぼれそうになった。

この曲が入っているピーター・ガブリエルの「So」というアルバム。
当時、確か22、23歳だった僕は、何度も何度も繰り返し聴いた。
どうしょうもなく辛い問題を抱えていた時期で、ケイト・ブッシュが”Don't give up”(あきらめないで)と優しく語りかけてくれるその声に、僕は本当に癒され、なんとか持ち堪えることが出来た。
心理学で言うところの過去のトラウマのように、久しぶりにこの曲を聞いただけで胸が絞めつけられ、目頭が熱くなったのだが、当時どんな問題を抱えていたのか思い出そうとしても、どういう訳かまったく思い出せない。
恐らく、当時は問題を解決するための方法をあの手この手で必死に考え、考えられる行動はすべてやりつくしたりしたのだろうが、時を経てみると、問題の具体的内容や結果についての記憶は跡形もなくなり、その時に受けた心の痛みだけが、まるで肌の上についた微かな傷跡のように残っているという事実に、僕は驚いてしまった。
でも、このことは、裏を返せば、たとえ今、人生最大のピンチ、どん底、全てを失う、というような現実的問題に直面し、いっそう死んでしまいたいような気分だったとしても、心の痛みを最小限に収めるような努力や考え方をしていれば、時間の経過と共に人は立ち上がれるということなのだろう。
その時に必要な言葉は結局”Don't give up”(あきらめるな)という、シンプルなものなのかもしれない。

原発の再稼働、生きるために大切なものを失いすぎた日本人が本当の意味での”豊かで人間らしい暮らし”を見つめ直す最高のチャンスをあまりにも簡単に放棄してしまったのでは。
世界が注目するエネルギー問題の大ピンチに立たされた日本が、これからの先進諸国のお手本になる違う次元の豊かさ、消費ということについてのまったく新しい発想を提案し、実現する国になれたかもしれないのに。
日本人には”もったいない”の思想があり、良い意味でも悪い意味でも比較的簡単に一つの考えに向かって皆が一丸となって進む国民性がある。
何がなんでも”今原発を止めろ”という話ではない。
今回の再稼働への決断の理由を見る限り、3年後には原発を中心としたエネルギーの生活に完全に戻り、5年後にはあの事故のことなど多くの人がすっかり忘れてしまっているだろう。


お父さんが家族を集めてこう言う、「みんな聞いてくれ。ここ数年続いた不景気のせいで夏のボーナスが出ないことになり、給料も3年間は30%減ってしまうことが決まった。隆、悪いが来年計画している卒業旅行は取りやめてくれ。充、私立大学進学の件だが、正直言って今の家計では無理だ。違う進路をもう一度お父さんと一緒に話しあおう。明子、お前の携帯電話、しばらく解約してくれないか?それと、母さん、これからは夕食を一品だけ減らしてみたらどうだろうか?みんな、こんなことになって本当にすまないと思っている。どうすればこの状況が今より良くなるか、みんなで話しあおう。もしかすると収入源そのもの、すなわち転職も視野に入れて、お父さんも考える必要があるかもしれない。それと、細かいことを言うようだが、これからは電気、ガス、水道、電話代、そういったものも今までより気をつけて暮らして欲しいと思う。協力してくれるな、みんな」

いや、こんな簡単な話しでないのはわかっているが、、、。
それでもやっぱり、”Don't give up”と言いたい。
私が動けば、世界も動く。
私が変われば、世界が変わる。











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by somashiona | 2012-06-20 21:46 | デジタル

何かと問題を起こす彼女の右手



ある分野の知識がどうしても必要で、2日間の受講で資格が取れるコースを受けに職業訓練大学校のような所へ行った。
オーストラリアで何かのクラスに参加すると、授業やワークショップの中で生徒たちが何人かのグループに別れ、そのなかで話し合い、問題に取り組み、結論をまとめ、発表するという作業が必ず出てくる。
僕が参加したクラスでも予想通りこのグループ発表をやらされた。
6人のまったく知らない者どうしが一つの大きな机に集まり、意見し合う。
日本語ならともかく、英語でのこの作業、僕はとても苦手。
話しについていけなくなると黙りこみがちだが、こういう場で黙りこむ奴は無能で頭の悪い役立たずな人間としてかなり冷たい視線を浴びることになる。
一度ダメな奴として冷たい視線を浴びると、2日間がとても辛い時間になるので、わからない単語が出てきたり、話の内容が分からなかったときは「ごめん、悪いけどもう一度分かるように説明してくれ」と声を上げ、なんとか他の人たちについて行かなければならない。
とにかく、ここでは受身の態度というものが通用しないのだ。


僕たちのグループで書記をしてくれた女性は他の生徒たちとまったく違うタイプのオーラを放っていた。
歳はたぶん40代後半から50代、とても細身の女性で体にぴったりの黒いレザーパンツとパンクな黒いTシャツに毛皮のジャケット。
眼が異常に鋭く、低いハスキーな声で独特の話し方をし、ネコ科の動物を彷彿とさせる。
見た目はちょっと怖い感じなのに、言葉や視線、そして態度の端々から胸の中に灯る温かな光がなんとなく透けて見えるような女性だった。
この人は気質(かたぎ)じゃないぞ、人生の中でかなり本気の場数を踏んできたに違いない、良いことも悪いことも含めて、と思わずにはいられない女性だった。
皆の意見を大きな紙の上に書き続ける彼女の右手、僕は気になって、気になって仕方がない。
ボールペンを握る彼女の右手の中指が常にまっすぐ伸びているからだ。
そう、むかつく相手に中指を立てて「ファ◯ク ユー!!!」と言うときのあの指そのものなのだ。
障害者や認知症患者に対する社会の態度みたいな問題を話し合っている時でさえ、顔では真剣にその話を聞いていても、心のなかではこのむかつく社会に対して「ファ◯ク ユー!!!」と無言で主張しているように見えて仕方がない。
まるでそれは、彼女が今まで生きてきたなかで培った、揺るぎない基本的態度であるかのようだ。
もちろん、すべて僕の勝手な想像なのだが。



休憩時間中、建物の外のベンチでカフェラテを飲んでいると、彼女が一人やってきて僕の横に無言で腰を下ろした。
ジェケットからタバコを取り出し、マッチで火をつけようとした瞬間、まるで僕が横にいることに突然思い出したように、低くハスキーな声で「構わないわよね?」と言った。
風はほとんど吹いていないと思っていたが、微妙に僕は風下に座っていたようで、煙の中から彼女がタバコを吸う様子を眺めていた。
彼女は目の前にある建物の壁を透かして、中で行われている授業を眺めているよう。
お互いにしばらく無言のまま。
あまりの長い沈黙の気まずさに耐えられない小心者の僕は、何かを話そうと彼女の顔を見てみたが、タバコを挟んだ彼女の右手は僕に向かって「ファ◯ク ユー!!!あんたのつまんない話なんて聞きたくないのよ!」と言っている気がして、また自分の足元に視線を戻し、もじもじしてしまう。
今度は彼女が僕を見る。
右手は相変わらず無言で僕を傷つける。
僕はたまらずこう言う「あのぉ、、、君の右手の中指なんだけど、、、」まずい、、、頭より先に、口が動いてしまった、、、。
彼女は顔いっぱいにシワを寄せて、まるで別人のようにチャーミングな笑顔で僕を見てこう言った。
「そうなのよ、この指のせいで私はすぐにゴタゴタに巻き込まれるのよ。誰にでもファ◯ク ユー!!!ってやるんだから」
彼女の笑顔を見て思いっきり安心した僕は「それって昔から?」と聞くと「そう、十代の頃からよ。ケガで中指が曲がらなくなってね。このせいで嫌なことばかり。私の性格はこの中指が作ったようなものよ。いいことなんて、ひとつもない。私がレズビアンだったら、少しは役に立ったかもしれないけどね」と言ってタバコの煙を秋の冷たい空気の中にはきだす。
僕たちはその後、この指についてさらに楽しい会話を続けた。



その日の授業が終わり、家に向かって車を走らせているとき、「車を運転しているとき、一番問題が起きやすいのよ」という彼女の言葉をふと思い出した。
試しに、中指を立ててハンドルを握ってみた。
ハンドルを左に切るたび、まるで冗談のように僕の右手は世の中に向かって「ファ◯ク ユー!!!」とか「ファ◯ク オフ!!!」と叫び声を上げる。
これは笑えないな、、、と思い彼女のことを少し気の毒に思った。
そして、人の体に起った機能障害を僕たちはどう受け止めるべきかという、その日の授業の核心に少しだけ触れた気がした。















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by somashiona | 2012-06-18 17:33 | 人・ストーリー

ヒツジザンマイ 最終回







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羊といえば、この曲「メリーさんの羊」。



Mary had a little lamb
little lamb, little lamb,
Mary had a little lamb
Its fleece was white as snow

メリーの子羊 メエメエ子羊 
メリーの子羊 雪のように真っ白なフリース

And everywhere that Mary went
Mary went, Mary went
Everywhere that Mary went
The lamb was sure to go.

メリーの行くところにはどこでも どこでも どこだって 
メリーの行くところにはどこだって 必ずついていく

It followed her to school one day
school one day, school one day,
It followed her to school one day
That was against the rule

ある日、学校へいく日 子羊はついて来た 学校へ 学校へ
ある時、学校へついて来た でもそれは校則違反

It made the children laugh and play
laugh and play, laugh and play
It made the children laugh and play
To see a lamb at school.

生徒たちは大はしゃぎ うはは うははは〜
生徒たちは大はしゃぎ 学校へついて来た子羊を見て

And so the teacher turned it out,
Turned it out, turned it out,
And so the teacher turned it out,
But still it lingered near

そして先生は子羊を追いたてる 追いたてる 学校の外へ
そして先生は子羊を追いたてる でも子羊はまだその辺をうろうろ
 
And waited patiently about,
Patiently about, patiently about,
And waited patiently about
Till Mary did appear

子羊はじっと待った しんぼう強く じっと待っている
子羊はじっと待った メリーが現われるのを

“Why does the lamb love Mary so?
Mary so? Mary so ?
Why does the lamb love Mary so?”
The eager children cry

どうして子羊はメリーのことをそんなに好きなの?ねえねえ どうして?
なんでメリーのことがそんなに好きなの?生徒たちは声を上げる

Why, Mary loves the lamb, you know,

lamb, you know, lamb, you know,

Why, Mary loves the lamb, you know,
The teacher did reply.

なぜって、それはメリーはその子羊が大好きだからよ そう、大好きなのよ
なぜって、メリーはこの子羊が大好きだからよ 先生はそう答えた








日本人で「屋根より高い鯉のぼり〜」や「夕焼けこやけの赤とんぼ〜」を一度も口ずさまずに幼少期を過ごした人がいないように(今の時代はいるかも)、オーストラリアで「メリーさんの羊」を通らなかった人はいないだろう。
ソーマやシオナが小さい頃、この曲を何度も英語で歌うのを聞いて、なるほど、そういう歌詞だったのか、と妙に納得した記憶がある。
ここで書いた僕の訳詞はちょっとへんてこりんかもしれないが、、、。

世界で初めてレコードに録音されたのもこの曲だ。
なんと、トーマス・エジソンが自分で歌い、蓄音機に吹き込んだそうだ。
彼がこの曲を選んだのは”誰でも知っているから”というシンプルな理由だったらしい。

ちなみにこの「メリーさんの羊」は実話をもとに作られた曲で、後日談のようなものがある。
この子羊、ある日、ふらりと牛小屋に入り込み、牛の角に突かれて死んでしまった。
メリーにとっては、子羊が学校へふらりとついて行き、生徒たちに笑われ、先生に追い出されたときとは比べものにならないショックだったろう。
メリーの母親は死んだ子羊の羊毛を使って、メリーのためにタイツ(ストッキング?)を編んであげたそうだ。
これでしばらくの間、メリーの気持ちは癒されたかもしれない。
真っ白なタイツをはいている限り、メリーの気持ちは子羊と共にあったかもしれない。
タイツの膝に穴があいてしまっても、メリーはこのタイツをはき続けたかもしれない。

のどかな牧場で羊たちを眺めているとき、僕は真っ白なタイツをはいたメリーが牧草地を走り去る姿を想像してみた。

僕たちはニワトリを見て可愛いと思いながら、その首をはねて美味しいバターチキンカレーを食べる。
遠目では真っ白に見える羊も、吹きっ晒しの大地で間近にその姿を見ると、オイルをたっぷり含んだ汚らしいグレーの色をしている。
嫌がる彼らを犬で追い立て、引きずり、温かな毛を刈った後、寒い大地にまた放り込む。
彼ら羊が与えてくれる恵みで生活する人たちは、羊たちを追いかけ、引きずりだしたとしても、羊たちへのリスペクトは忘れない。
ウールのセーター、カーディガン、ソックス、マフラー、毛布、どれも僕のお気に入りだが、どれだけの羊や人間たちが、どんな工程を経たものなのかについて、正直言ってあまり考えたことがなかった。
今回はその一端を見ることが出来て、嬉しかったし、その経験や感触をブログを見てくれている人たちとシェアしたかった。




「ヒツジザンマイ」シリーズ、付き合ってくれてありがとう。
毎日が羊は、毎日が鹿ほど威力がないということがハッキリとしたが、それでも僕は羊が大好きだ。
何故なら、羊は僕だから。
次は羊同様タスマニアにうじゃうじゃいる牛シリーズでいこうかという考えが一瞬頭をよぎったが、そうするとこのブログ、本格的に支持されなくなりそうなのでやめておくことにした。
オーストラリアなので、「カンガルー日和」でいこうか、、、。
う〜ん、あの長い「1Q84」を一気に読み終えたばかりのなので、どうも頭の中が村上化している。




















The End








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by somashiona | 2012-06-17 16:37 | デジタル

羊たちは、僕たちか?




眠れないときの定番は「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、、、羊が千二百、、、、」と羊の数を数えるという方法だが、なぜこれが効果的なのかということについては色々と説がある。

羊たちがいるのどかな風景を想像することでリラックス出来る。
単調なことを繰り返すことによって眠気を誘う。
Sheep(羊)とSleep(睡眠)の発音が似ているから。
などなど、たぶん探せばもっと出てくるだろう。

オーストラリアに住んでいると(特にタスマニア)羊は本当にそこらじゅうにいる動物で、多くの人にとっては目の前にいてもまったく目を引かず、退屈この上ない動物だ。
「好きな動物は?」と聞いて「羊です」と目を輝かせる人に、僕はまだ一度も会ったことがない。
羊と言われたら、僕の場合まずは一匹の姿を想像するだろうけど、オーストラリア人なら、いつも群れをなして行動し、一頭一頭というより塊(かたまり)として羊を想像する人のほうが多いかもしれない。
羊は英語でSheepだが、二匹以上の複数形でもSheepsにはならず、羊の複数形はSheepのままだ。
もう、語尾にSを付けるのでさえ、彼らにとっては面倒な動物なのだ。
そんな動物のことを考えるだけで、眠気に襲われるのも無理はない。
ちなみに、日本人が羊を数えるときは「Sheep」ではなく「羊が」とやるので、シープのスリープ効果は期待できない。
さらにいえば、世界の羊の家畜化の歴史は8千年前といわれているそうだが、日本に羊が本格的に入ってきたのはほんの明治以降のことで、しかも今では畜産としてほとんど採算がとれない家畜だ。ということは、日本において羊というのはかなりマイナーな動物で、退屈どころか物珍しいくらいだ。
日本の子供がライオンやキリンさんの絵を簡単に描けたとしても、羊の姿は頭に思い浮かばないかもしれない。
そんな日本人が羊を数えはじめると、想像力が頭の中を駆け巡り、眼が冴えて仕方ないだろう。












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今回、羊の毛刈りの撮影で、タップリと羊たちを観察できた。
僕は羊が好きだ。
パウロ・コエーリョの「アルケミスト」に出てくる主人公の少年は羊飼いで、羊を引き連れて旅をすることに僕は憧れをもった。
トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」で主人公のFBI訓練生クラリス・スターリングが少女の頃、牧場で処理されそうな子羊の悲鳴を聞いて、一匹だけ抱き抱え必死で逃げるシーンは、まるで自分の記憶のように強烈に残っている。
村上春樹の初期三部作は羊三部作といわれるようだが、「羊をめぐる冒険」は羊マニアにはたまらない。

しかし、実際に羊たちを一日中見ていると、なんともいえない気持ちになる。
羊マニアのはずなのに、どこか悲しい気持ちになり、しまいには怒りさえ感じ始める。
こう言っちゃなんだが、彼らは食べることと、逃げることしか考えていないように見える。
顔は常に怯えた表情だ。
僕の姿を見つけると、ものすごく怯えた顔をし、一目散に逃げる。
シマウマだって、リスだって、逃げるときには、少しは考えや計算があって逃げようとする気持ちが顔に出るが、羊の場合、思考が見えない。とにかく逃げる。
羊たちは常に群れをなす。
そもそも、「群」をいう感じをよく見て欲しい。
そう、この漢字は羊たちの話をしているのだ。
動物の群れにはリーダーやボスが存在するものだが、羊の群れにはそういったものがない。
なので、だれかが動くと皆動く、誰かが逃げると皆逃げる、そこには思考も理由も何も無い、皆がそうするから私もそうする、自分の頭では考えないのだ。
群れをなすという彼らの生き方は、捕食の連鎖で底辺にある生き物が身を守る為の手段だ。
彼らは結局、人間と暮らすことで狼や他の猛獣から身を守る生き方を選んだのか?
その結果、日々の生活はむしゃむしゃと草を食べながら安定して送れるが、さて、これから寒い季節になるぞ、というときに突然犬に追いかけられて、暗く狭い小屋に閉じ込められ、怖いおじさんに引き摺り出され、身ぐるみ剥がされた上に、冷たい風が吹く大地にまた放り出されたりする。
彼らを一日中観察して、とてもい心地が悪くなるのは、そういう彼らの生き方がどことなく僕たち日本人を彷彿とさせるからだ。
渋谷のスターバックスからスクランブル交差点を眺めるとき、いつも羊の群れを思い出す。
もちろん、あそこを歩く人たち一人ひとりにはそれぞれ人生があって、生きる努力もしていて、仲間から、家族から尊敬もされ、沢山の愛に包まれているだろう。
羊も一匹、一匹を注意してみれば、たしかにハンサムな奴がいたり、可愛らしかったり、彼らもそれぞれ思うところがあるんだろう、とさえ感じる時がある。
でも、日本という国が進む方向、外交、世界の中の位置づけ、その独特な考え方、地震や原子力発電所をめぐる対処の仕方、政治家たちと彼らを選ぶ国民、そんな大きな事柄をひとまとまりに考えると、やはり「誰かが動くと皆動く」的な羊の群れを想像してしまうのだ。












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世界の国々(オーストラリア)では羊は退屈な生き物だという話をしたが、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教などでは、羊は良き物とされている。
聖書では、我々人間は迷える子羊であり、良き羊飼いに導かれるべきだと言っている。
もし僕たち日本人が迷える子羊なら、せめて良き羊飼いが現れて、僕たちの日本人の未来が光り輝く方へ向かっていけるよう、しっかりと導いて欲しいものだ。
タスマニアから生意気言うようですが、めぇぇ〜〜〜え。












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つづく(To be continued)














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by somashiona | 2012-06-13 21:03 | デジタル

チームの姿







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今回、僕に羊の毛刈りを見せてくれたのはウール・クラッサー(Wool Classer)(刈った羊の毛のランクを選別する羊毛評価鑑定者)であるデイビッドの率いるチームだ。
身体を使って仕事をする集団のリーダーには常に独特の存在感のようなものがある。
ほとんどの場合、たぶんこの人がリーダー(ボス)だろうな、と外見やムードから目星をつけた人に間違いない。
リーダーからは厳しさと包容力が混じり合ったようなもの、お父さんやお母さんが子供たちに対して見せる温かさのようなものがある。
これがある人がリーダーになるのか、それともリーダーになったからこういう力がつくのか、たぶん前者の方だろう。
デイビッドは時々、冗談を言って周囲を和ませ、また自分の仕事に対する集中力と厳しさを示すことで、メンバーたちの各々の仕事に対するモティベーションを自然なかたちで高める。
あの大きな手で羊毛の何ミクロンかの差を感じ取るその作業は、超一流の寿司職人がシャリを握る姿のように素早く、無駄がなく、そして正確だ。
どんな分野でも職人の仕事を見るのは楽しい。












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ある集団を取材(撮影)するとき、キーマン(リーダー)を素早く探し出すのと同様、注意すべき人物をできるだけ速く見つけることも大切だ。
注意すべき人物、曲者、変わり者、そういう人の気分を害してしまうと、取材そのものが難しくなってしまいかねない。
集団の中には必ずこういうタイプの人が混じっている。

写真の彼、決して曲者でも変わり者でもなく、正真正銘の良い人物であり、ネガティブな意味ではなく「注意すべき人」であった。
このチームの中のムードメーカーであったことは間違いない。
僕が被写体に集中してファインダーを覗いているとき、レンズの前にわざとパラパラと羊の毛を落としてみたり、「ワッ!」と突然大声を出して脅かしてみたり、予告なしで脇腹を突っついたりと。
僕は何度も飛び上がり、カメラを落としそうになった。
それでもめげずに彼にレンズを向ける僕に対して、睨んでみたり、危なく指を一本あげそうになったり、、、。
「どうして俺たちを撮るんだ?撮った写真を何に使うんだ?えっ、日本の人たちに俺達の仕事を紹介するだと?って事はお前、スパイか?」僕に向かって一番話しかけてくるのも彼だった。
撮った写真を早く彼に見せてあげたい。












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取材する人たちと一気に距離を縮めるチャンスは休み時間にある。
羊の毛刈りをする農場には作業をするシェアリング・シェッド(羊の毛刈りをするための専用の小屋)の他にシェアラーズ・ハウスという毛刈りをする人たちが寝泊まりし、短期間の生活が出来るような小さな家を用意している。
今でこそ、シェアラーたちは車に乗って仕事場である依頼主の牧場や農場にやって来るが、昔は馬や馬車で時間をかけてやって来た。
一日の仕事が終わった後、いちいち自分の家に帰ることなど出来なかったので、毛刈りの期間中はシェアラーズ・ハウスに寝泊まりすることになる。
寝室、キッチン、トイレ、バスルームなど生活のために最低限必要なスペースを備えた家(小屋)だ。
伝統的に仕事を依頼した農場主が腕によりをかけて美味しい食べものをシェアラーたちにご馳走する。
シェアラーたちは依頼主からとてもリスペクトされ、大切にされている。
今回、依頼主はジュリアンとチャシーなので、シェアラーたちは、それはそれは美味しいご馳走を朝、昼、晩と堪能したはずだ。
僕が訪れた日のラザニアやアップルパイも最高に美味しかった。
鬼のような顔で汗を垂らしながら羊たちの毛を刈っていたシェアラーたちに笑顔が戻り、とても和気あいあいなお昼休みだった。
彼らには珍しい日本人の僕はたくさんの質問を浴び、僕には珍しいシェアラーたちにもこのチャンスを逃すまいとたくさんの質問を浴びせた。
こうして僕たちはお互いを少しだけ知り、昼食の後は午前中よりも格段一歩前に突っ込んだ写真が撮れた。












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学生時代、測量や土方仕事をたくさんやった。
こういう肉体労働は昼休みの後、必ずといっていいほど昼寝をする。
山の中で測量の仕事をした時など、アリやクモがうじゃうじゃいる地面や草むらの中で昼食を食べ終えた労働者たちがヘルメットを枕に一斉に昼寝をはじめるのだ。
都会育ちのお坊ちゃんな僕は(自分で言うな)無理、無理、こんな場所で寝れっこない、と思うのだが、ちょっと横になったとたん、天国の雲の上に浮かんでいるような深い眠りに落ちる。
ほんの30~40分の仮眠に過ぎないのだが、この昼寝、恐ろしく気持ちがよく、病みつきになる。
資材置き場の片隅でも、道路の路肩でも、目をつぶればホテルニューオータニのベッドの上だ。
この習慣、海外の肉体労働者にも当てはまるようだ。
休憩中、最初は話をしているが、そのうち床の上やそこらじゅうで寝てしまう。
どこで寝ようが、肉体労働の後の昼寝は天国だが、働き者の娘さんが選んだ寝場所は100%正しい。
山積みになった刈りたての羊の毛のベッドだ。
いい夢みれるに違いない。












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この娘さん、休むことなく、常にものすごく真剣に働いていた。
まだ若いのに感心するな、と思って僕は見ていた。
昼休みの時に僕たちは少しだけ話をした。
幼い時からシェアラーである父親の仕事について行ったらしい。
そのうちに、見よう見まねで仕事を手伝うようになり、今ではチームの一員として立派にお金を稼ぐ。
「将来は君も女シェアラーとして活躍するんだろうね」と僕が言うと「私がやりたいことは、他にあるの」と彼女はキッパリ応えた。
「私はね、この後、学校でツーリズム(旅行産業)を学び、将来はタスマニアの素晴らしさを一人でも多くの人に体験してもらえる仕事をするの」
たしか彼女は16歳か17歳だったと思う。
幼い頃から父と共に仕事場で汗を流し、自分の学費や食費がどこからどうやって出てきたものかよく知っている彼女なら、なにをやってもきっと一所懸命に取り組み、自分の夢を叶えていくことだろう。

尊敬する父と愛する娘、仕事を終えた後の二人の顔は、まるで別人のように清々しかった。












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つづく(To be continued)
















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by somashiona | 2012-06-11 18:45 | デジタル

グレッグとシープドッグ#4







午後から大仕事が待ち受けていた。
羊たちの大移動。






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トラックの荷台の上のピップはもうすでに仕事モード。
羊たちがいる牧草地の方角に向かって、じっと目を凝らしている。






今回はピップの他、もう一匹のシープドッグが加わる。
名前はメグ、シャープな印象を与えるそのシープドッグもやはりピップのようによく働くのだろう。












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トラックが動き出すとメグも羊たちの待つ牧草地の方角をじっと見つめるが、なんだかピップほどの迫力は感じない。
どことなく口元も緩んでいる気が、、、。












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と思って、彼女をじっくりと観察していると、まるでディズニーランドへ向かう車の中の子供たちのように、これから起こる楽しいを考えると胸がわくわくして落ち着いてなんていられない、という笑顔を浮かべている。
メグ、本当に大丈夫なんだろうか、、、。












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牧草地というのは遠目で見るとのっぺり真平らだが、実際にそこを車で走るとかなりでこぼこで、運転するグレッグの横の席に座る僕は何度も頭が天井へ付くくらい跳ね上げられた。
まるでパリ・ダカで疾走するミツビシパジェロの中のナビゲーターといった気分だ。






牧草地に散らばり黙々と草を食べる羊たちの姿が見えた。
車を一瞬停めると、ピップとメグが放たれた弓矢のようにまっすぐ羊たちに向かって走り、いつそんな相談をしたのか分からないが、ピップとメグは突然ふた手に分かれ、羊たちを挟み撃ちにする。
逃げ場を奪われた羊たちはトラックに向かって猛スピードで走ってくる。
羊の大波がクラックを取り巻き、ひとしきり過ぎっていったところで、グレッグはゆっくりとトラックを発信させる。
ピップとメグが先導する羊たちのお尻を、僕は感心して車のフロントガラス越しに眺める。
と、ここであることに気がついた。
僕がトラックに乗っている限り、この後も羊たちのお尻しか見えないということを。












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セクシー美女たちのハート型のお尻なら、それでも構わないのだが、、、。
目的地のシープシェッドまではまだかなり距離があるし、羊たちの足取りもかなり早いが、ここは車から降りて彼らの先回りをしながら撮るしかないだろう。
トラックから飛び降り、羊たちの前へ回ろうと僕が走りだしたとたん、せっかくまとまっていた羊たちが、またバラバラに散ってしまった。
その時のピップとメグの表情を僕は見ていないが、たぶん「まったく素人はこれだから、、、」とため息をついていたかもしれない。
トラックを運転するグレッグに向かって僕は「ごめんなさい」を意味する合掌のゼスチャーをしたが、このゼスチャーの意味を果たしてオーストラリア人のファーマーが理解するのだろうか?












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走る、走る、息を切らせてとにかく走る。
羊たちの話ではない。
走っているのは僕だ。
自分たちの進む方向に僕が立っていると羊たちは歩みを止め、そして右左へと必ず散っていく。
くそっ、忌々しい奴らだ、君たちにはガッツってものがないのか、臆病者めが、、、とぶつぶつ言っても仕方がない。
羊たちの群れが散るたび、苦労するのはピップ、メグ、そしてグレッグなのだ。
彼らに迷惑をかけてはいけない。
首にEos 7D+15-85mm+スピードライト、左肩にEos 40D+70-200mm、右肩に小さなカメラバック+50mm+20mm+スピードライトのバッテリーパック+カメラのバッテリー4本+8GBのCF6枚、4GB2枚、16GB1枚、スピードライトのスペアバッテリー12本、ポケットには財布、iPhone、車の鍵、家の鍵、コンドーム(いや、これは冗談)、、、そんなモノを身にまといながら、とにかく走る、走る、そして羊たちが通ると絵になるだろう場所で待ち構え、そこで数枚撮ってはまた走りに走って羊たちが来るのを待つ。
せめて靴はブーツではなく、ランニングシューズにしておくべきだった。
最近深刻な問題になりつつある両膝がギシギシと痛むが、神経質な僕も写真を撮っているときだけはアドレナリンが出ているのか痛みも寒さも空腹も気にならない。
牧草地を羊たちが移動している分にはピップやメグもほとんど羊の群れを乱さずに綺麗な形を保っていたが、一度牧場の柵を超え、道路に出ると話は大きく変わる。












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舗装されていない道路を羊たちが移動するさまは、まるで氾濫した河川から溢れ出た新たな水流の上にまとまって浮かぶ白い流木たちのようだ。
こんなことさえ起こらなかったら、今日もいつものように暖かい太陽の下でのんびりとできたろうに。
川の水に押し流される流木くんたちが水路を外れそうになると、ピップとメグが飛んでくる。












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狭い道を歩き、












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坂を登り、












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扉を開けて、












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ブロックリーエステイトの庭にもお邪魔し












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坂を下っていく












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僕にはとても可愛らしいピップとメグだが、羊たちにとっては余程の脅威なのだろう。
ピップに睨まれた羊たちは思わず数メートル後ずさりし、蛇に睨まれた蛙のように身動きできなくなる。
アルプスの少女ハイジのセントバーナードもシープドッグだしフランダースの犬もシープドッグらしいが、ピップやメグは彼らの優しいイメージとちょっと違う。
純粋なワーキングドックなのだ。












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シープシェッドが近づき、地形が少し複雑になったり、越える柵が多くなってくるとさすがにグレッグもせっせと働き出す。
ピップやメグたちへの指示はよく響く口笛。












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口笛をぴ、ぴぃ~っと鳴らすとピップやメグは突然方向転換をしたり、群れから遠くはなれてしまった一頭を見つけ、すかさず次の行動へ移す。
部下をたくさん持つ管理職のお父さんたちがこれを見たら、こんなふうに口笛一つで部下たちが的確な仕事をしてくれたらどんなにいいだろうと願うだろう。
僕は口笛が吹けないが、、、。












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ようやくシープシェッドにたどり着き、後は柵の中に追い詰めるだけ。
最初は大丈夫なんだろうか、と思っていたメグも睨みをきかせて羊たちを追い詰める。












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すごいなぁ、メグ、と思ったら、、、どや顔された。












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仕事を終え、充実した様子のピップとメグ。












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「すごいねぇ、まったく」と心から感心した僕が彼に言うが、表情ひとつ変えないグレッグ。
「どうしたら犬たちがこんなにきちんと仕事をするようになるの?」とグレッグに聞くと、「俺が教え込めば、そうなる」とまたしてもまったく表情を変えず答えてくれた。
そして帰り際、「今日写真に撮った犬たちの写真だが、俺にも少しわけてくれんかな?」とまた表情を変えずに僕に言った。












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つづく(To be continued)












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by somashiona | 2012-06-08 21:03 | デジタル

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