広角レンズで人を撮る




お父さん、お母さんともすっかりお友達になってしまったニューヨークのファッションフォトグラファー、マキ・カワキタさんことマキちゃんとはじめてお茶した時、当たり前だが写真談義に花が咲いた。
マキちゃんは写真史にも通じていて今の写真の流れ、これからの写真の流れを一歩引いた場所から冷静に観察している。
大学で教えているだけあって、撮る写真に裏付けがある。






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広角レンズで構成された奥行きのある構図、ビビッドなカラー、人形のような被写体が踊るようなポーズ、僕が初めてマキちゃんの写真を見た時すぐに連想したのはファッションフォトグラファーのデイヴィッド・ラシャペルだった。






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彼はアンディーウォーホールのファクトリー出身。コンピュータグラフィックを使ったように見える写真は膨大な予算をかけた本物だから驚いてしまう。彼の強烈なカラー写真はモノクロ中心だったファッション写真界に多大な衝撃を与えた。
失礼な僕は初対面で「ラシャペルの影響を受けているでしょう?」とマキちゃんに聞いた。マキちゃんは笑いながら「よくそう言われるけど私が好きなフォトグラファーはヘルムート・ニュートンとギイ・ブルダンなの」と答えた。
ギイ・ブルダン、、、?
恥ずかしながら僕はギイ・ブルダンをこのとき知らなかった。

ギイ・ブルダンは1960年〜70年代にフレンチ・ヴォーグを中心に活躍したファッションフォトグラファーだった。
写真を見ると過去に見た覚えのある写真が何点もあった。
彼の写真を見て僕は鳥肌が立った。






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色使い、広角レンズを使った絶妙な構図、想像が広がるストーリー展開、フォトショップがなかった時代にこれをフィルムでやってのけたなんて天才以外の何ものでもない。かなり昔の写真なのにまったく古くないのだ。
篠山紀信さんの初期の作品はギイ・ブルダンの影響を受けている気がする。(逆だったらさらに驚きだ)
多くの名作を残した彼だが、生前どんなに素晴らしいオファーがあっても自分の作品を写真展や写真集にすることはなかった。
広告写真は掲載した媒体や依頼した会社に属するという強い信念があったらしい。
彼の写真が再び注目されたのは彼の死後だ。

ファッション写真と広角レンズといえばこの人を避けては通れない。
フランスのジャンルー・シーフだ。
報道畑出身のフォトグラファー、シーフは広角レンズを熟知していた。
1960年代、ファッションフォトに広角レンズという概念を取り入れ、定着させたのはまぎれもなく彼の功績だと思う。






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彼の撮る広角レンズの写真はまったくはしゃいだ写真ではない。
静かで、エレガントで、そしてエロチシズムに満ちている。
白状するが僕は彼の影響を受けまくっている。
女体を前に広角レンズでカメラを構えるときはシーフになりきることにしている。

人物写真の話になるが、写真をたくさん見て、たくさん悩むとその表現が広角レンズを使ったものにシフトしていくような気がする。
なぜか?それは写真は情報だからではないか?
写真をはじめて、段々と一般的にいい写真といわれるものが撮れるようになると次第に明るい望遠レンズが欲しくなる。
望遠ンレンズで背景をぼかして人物を浮き立たせる。
この表現が悪いとは決して言わない。
シンプルな写真は強い。
現代写真史のモナリサ的写真といわれるナショナルジオグラフィックで表紙を飾ったあのアフガニスタンの少女のポートレイトがそのお手本だ。






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これを撮ったスティーブ・マッカリーはポートレイトの天才だ。彼のポートレイトの多くは望遠を使いフレームから余分な要素をそぎ落とし、真っすぐに被写体に向かい背景をぼかしている。彼は被写体の置かれている立場や環境を被写体そのものから十分に引き出す。自然光ほど美しいものはないと思わず唸ってしまう彼の写真は人物写真を撮る上で最高のテキストになるだろう。

しかしだ、この表現が続くとやがて考え込んでしまう。
自分の写真に何かが欠けている、と気づきはじめる。(マッカリーの写真に欠けているものがあるという意味ではない)
「被写体をもっと近くで観察し、被写体とコミュニケーションをとらなければ」という思いがふつふつと芽生えはじめ、レンズが200mmから85mmになり50mmで撮りはじめる頃になると被写体を取り巻く環境、いわゆる背景の重要性に改めて気がつきはじめるのだ。
そしてこの時点で多くの人はかなり重傷のスランプに陥るだろう。
広角を使い、絞りをf2.8からf4へ、そして恐る恐るf5.6を使うようになり、やがてf8で人物を撮ると昔ピント合わせがなかった「写るんです」で写真を撮っていた頃の自由さ(ピントの恐怖からの解放)を味わうが、同時に画面構成の難しさをも知ることになるからだ。
複雑な背景をまとめるという作業は絵的なセンスが求められるだけでなくインテリジェンスも必要だ。
背景と被写体の関係性をどれだけ読み取れるか、それが問われるからだ。
もちろんそれを3秒以上かけて考えていたらスナップ写真の場合などは被写体はもうそこにいないだろう。
写真はスピードが命だ。
このスピードの大切さは作り込むファッション写真の場合も変わらない。

ファッションフォトグラファーではない僕はこういう考え方を仕事やスナップの現場で取り入れようと努力しているが「言うは易し」だ。
めまぐるしく変わる撮影の現場で被写体を取り巻く背景を活かせず整理も出来ない。動きのある被写体を狙うように心がけているが、酷いときは頭から電信柱が突き出ていることに気がつかないときさえある。

作り込まない写真の現場において広角レンズの魔術師だと僕が思っているのはマグナムに所属するフォトグラファー、アレックス・ウェブだ。
彼は世界の一流雑誌に掲載する写真の仕事をライカに35mm一本という装備でこなしてしまう。
彼の写真は長く眺めるほどその世界を彷徨うことが出来る。
写真の中に自分を潜り込ませて知らない土地にた立ち、街の騒音を聞き、匂いを嗅ぐことが出来る。
一見、偶然に撮った写真、ノーファインダーで撮った写真に見えるが彼はファインダーの中の隅々までしっかり確認し計算した上でシャッターを切っている。
実際、それがノーファインダーであったとしても同じだ。(ノーファインダーで撮る写真は偶然の産物ではない。ファインダーを覗いていないというだけでほとんどの場合フレーミングは思い描いた通りに撮れている)






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こういう写真を撮るためには一に修行、二に修行なのだろうが、こういう写真を見る方にも実は修行が要求される。
今の時代、テレビ、映画、雑誌などなど見る方のインテリジェンスが要求されない映像で満ちている。
難しい写真を撮った方がいいという話をしているのではない。
本当に面白いものが欲しいのなら、深い満足を味わいたいなら、作る方も受ける方もそれなりの準備が必要なのだ。
みんな、大人になろう。


さて、偉大な写真家の話をたくさんした後に僕はどんな写真をアップしたらいいのだろう?
恐れ多くて広角レンズで撮った人物の写真など見せられない。
僕としては珍しく静物写真でいこう。
タイトルは「ジャンルー・シーフ的ランプ」
これでウケちゃった人はジャンルー・シーフ通。






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注)今日僕が書いているレンズのミリ数はフィルムカメラ(デジタル・フルフレーム)で換算した画角の話だ。フルフレームで28mm以上の広角レンズの使用を僕は避けている。理由は不自然だからだ。(仕事でそれを要求される場合はしかたがない)
写真史で名作といわれる作品に28mm以上の広角レンズが使用されているのはとても少ない気がする。28mm以上の広角はぱっと見のインパクトはあるが長く見続けたい写真ではないのかもしれない。あくまで個人的見解だが。












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by somashiona | 2009-02-16 13:21 | デジタル

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