愛に至る基準




この齢になっても新しい友達が出来るのは嬉しいことだ。
最近友達になりつつある、僕と同世代の男性のことで少し驚いたことがあった。
オージーの彼はいかにもおとこ、おとこしているタイプ。
映画ならドラマよりアクション、デスクワークより外で身体を動かす仕事、ジョークの80%は下ネタ、小さなことなど気にせず、身の上に起こる問題などいつでも何処でもガハハハと大声で笑い飛ばしてしまう、そういうオージーらしい男だ。
そんな彼からパーティのお誘いがあった。
会場は彼の自宅だが僕は彼の家も彼の友人たちも誰も何も知らないので、少し緊張ぎみでパーティを訪れた。
家にはすでにたくさんの人が訪れ、カクテルグラスを傾けながらキッチンで盛り上がっていた。
僕の友人はまだ仕事から戻っていないらしく、ホスト役の彼のシェアメイトが僕を皆に紹介してくれた。
知っている人が一人もいないパーティほど緊張するものはない。
しかし、72歳の品のある美しい女性が僕をつかまえ、とても、とても面白い話を聞かせてくれたおかげで、僕は大きな家の中で一人孤立することにはならなかった。
その会話の輪に次々と人が加わり、はじめて買ったレコードの話題で僕がベイ・シティ・ローラーズだと告白した途端、それまで僕に対してお行儀のよかった人たちは「オー、ノー、信じられない〜、ダサすぎる〜」と態度を豹変させ、彼らの代表曲「サタデーナイト」を僕が唄ってみせると彼らはのけぞって笑い、僕は背中を叩かれ、首を絞められ、すっかり皆と打ち解けた。
心に余裕が出て来て家の中を見回すと「あれっ?」と思う点が次々と出て来た。
友人の男性と一軒家をシェアしていると以前聞いたとこがあったが、そのことは僕の記憶のほんの片隅にかろうじて引っ掛かっている程度だった。
家の中の統一感、一体感、同じテイストでまとめあげられた家具や絵や装飾品をしげしげと見ていると、それは二人の大人の男が住んでいる一般的なシェアハウスと何かが違うことに気づく。
そんなことを思っている時、僕の友人が家に帰ってきた。
彼はとても嬉しそうな顔をして「来てくれてありがとう」といい、そして「マナブ、君にいわなくちゃいけないことがある」と真面目な顔になった。
「僕がわかっているよ。一緒に住んでいる君のシェアメイトはパートナーだろ」というと「そうなんだ、僕はゲイなんだ」と彼がいい照れくさそうに笑った。
今まで彼の中にゲイの要素をまったく見いだせなかった僕は、彼がパートーナーとときどきキスをするのを見るたび、まだまだ、人間の観察力が甘いな、と思った。

翌日、土曜日の朝早く、床屋さんで髪を切ってもらった帰りに違う友人の家に寄り、美味しいエスプレッソ・コーヒーを飲みながら僕の驚きについてはなし、話題はゲイ、レズビアン、バイセクシャルの話に発展した。
僕も、一緒にコーヒーを飲んでいる友人もゲイ、レズビアン、バイセクシャルの人たちに対する嫌悪感や違和感をまったくもっていない。
それどころか、あらゆることを乗り越えて、自分や相手に対し正直に生きられる彼らの勇気や姿勢に尊敬の眼差しさえ向けてしまう。
オーストラリアの社会ではゲイやレズビアンの人たちが社会的に高い地位についていることが多い。
彼らの他人に対する態度、人生や世の中に対する姿勢を見ていると納得が出来る。
器が大きいのだ。
冷静に考えてみると、僕の友人たちの10人に一人はゲイかレズビアンだ。
僕の友人もそれくらいの割合だという。
日本に住んでいたときはゲイやレズビアンの友人は一握りしかいなかったが今の日本だともう少しその数は増えているのだろうか?
その数というのはカミングアウトしている人の数という意味だが。

僕たちはある人間を前にした時、「好き」が「愛」に変わる必須用件をどこで判断しているのだろうか、というテーマについてかなり真剣に友人と話し合った。
土曜の朝なのに。
この「愛」というのは親子間で生じるその「愛」とは違う「愛」の話だ。
このテーマを話す前提として異性に対する「愛」という条件を外してみた。
それがたとえ、男であれ、女であれ、人間として好きになるのに性別は関係ない。
しかし、「好き」を通り越し、特別な人であって欲しい、もしくは、特別な人でありたい、と思う時、そこにはやはり性的なアクションが介入するだろうという点で僕たちの意見は一致した。

そこで
シナリオ:1

パーティで出会った女性にあなたはひと目で恋に落ちた。
スレンダーな体つき、褐色の肌、少しカールのかかった髪、きらめく瞳、笑ったときの口元、彼女の外見はあなたの求めるものを全て満たしている。
話をするとその思いはさらに強まった。
笑いのテイスト、話題性の方向、趣味、価値観、あまりにもあなたと一致する。
こんな女性とはいままで出会ったことがない。
彼女が見せる態度もまるで鏡のようにあなたと同じだ。
大勢の人たちでざわめくパーティ会場はもう二人だけの世界。
お互いどうしよもないほど惹かれ合っていることに、もう疑いの余地はない。
パーティを二人揃って早めに切り上げることにした。
一人暮らしの彼女を家に送った。
家の前の車の中で「今夜は一緒にいて欲しい」と彼女にいわれる。
彼女の部屋に入った途端、二人は夢中で貪り合うが、彼女は突然あなたの身体を引き離し、こう言う「言っておきたいことが一つだけあるの」と。
「わたし、、、実は男だったの。手術やホルモン剤で今はほとんど女になっているけど、でも、あれだけはまだついたままなの。わかるでしょ、その意味」


シナリオ:2
*彼女の部屋に入るところまではシナリオ1と同じ
彼女の部屋に入った途端二人は夢中で貪り合うが、彼女は突然あなたの身体を引き離しこういう「言っておきたいことが一つだけあるの」と。
「わたし、、、実は男だったの。でも手術やホルモン剤のおかげで今はもう完璧な女よ。分かるでしょ、その意味。どこからどこまでまったくの女なのよ。違いはね、昔は男だったっていうだけ」










メイク・ラブ、、、果たしてあなたは愛を作ることが出来るだろうか?


僕と友人は「う〜ん、、、」とお互いに唸った。
そしてお互い牽制するように、自分の意見を先には言いたがらなかった。

そして、さらに

「告白された後、自分の身体は反応すると思う?」

「う〜ん、、、」
「う〜ん、、、くそ〜、むつかしいなぁ〜、、、う〜ん、、、」
「悩むなぁ、、、う〜ん、、、人生最大の葛藤だよなぁ、、、う〜ん、、、」

僕たちストレートな人間たちはまだ本当の「愛」の深さ、人間を愛すること、人間を受け入れることの意味を分かっていないのかもしれない。
この越えられない壁についてはもう少し時間をかけて考える余地がある。
土曜の朝に考える問題かどうかは別として。
















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質問:
話はまったく変わるが、いつも「とし」という漢字で悩む。
「このとしになってもまだ私は」
「あんた、そんなとしなんだからもういい加減に」
「あ〜あ、オレもとしをとったよなぁ、、、」
こういう時に使う「とし」は
1、年
2、歳
3、才
4、齢
どれがピッタリくるのでしょうか?
僕的には4の「齢」なのですが、どうでしょう?
海外生活が長くなると日本語に自信が持てなくなります、はい。
















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by somashiona | 2009-11-29 12:28 | デジタル

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