切れるナイフとキレない人が好き




僕の家には何本かナイフ(包丁)があるが、お気に入りは一本だけだ。
学生時代にガールフレンドがプレゼントしてくれたドイツ製のナイフ、ヘンケルス。
絶妙なバランスがとても好きで、素敵な彼女の思い出と共に、いまでも大切に使っている。
子供たちの料理が本格的になるにつれて、彼らにもお気に入りの一本があってしかるべきだと考えはじめた。
というと聞こえはいいが、もう一本いいナイフがあると料理の準備がはかどるだろう、という思惑もある。








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実は僕、子供の頃からかなりのナイフ・フェチだ。
ナイフが好きになったのは、子供の頃に観ていた西部劇に出てくるインディアンのナイフの使い方がカッコよかったから。
彼らは映画の中では悪役だったけれど、鉄砲をバンバン撃つ白人なんかより、僕にはヒーローだった。
その後、夢中になった漫画の中の登場人物、例えばカムイやサスケなどはナイフの達人だったし、無人島に流れついてナイフ一本でサバイバルする話や、悪漢たちに囲まれた絶体絶命の主人公が敵の隙を突き、ブーツに隠し持っていたナイフを投げ、状況を打破するときなどはもう最高に胸がときめいた。
ナイフ一本で人はどんな苦境からも抜け出せるような気になってしまうのだ。

一時期、日本で未成年の悲惨な事件が続いたとき、バタフライナイフのことがよくマスコミに取り上げられていた。
サバイバルナイフを隠し持つ少年たちの心の闇をマスコミが書きたてるたびに、僕はかなり居心地が悪かった。
バタフライナイフを持つ彼らの気持ちが分からないでもない自分を知っているからだ。
僕はタトゥーをしたいと思ったことがないが、身体にタトゥーが彫り込まれている気持ちと、ナイフを所持している気持ちにはどこか共通点があるような気がする。
最近では警察に職務質問され、カバンの中からナイフが出てきたら状況はかなり不利になるだろう。
こんなこと大声じゃ言えないが、人に危害を与えるつもりはないのだから、それくらいはほっといて欲しいと言いたくなる。

小中学校時代、僕のカバンには常に折りたたみ式のナイフが入っていた。
銀色の日本製のナイフで文房具屋さんで普通に手に入った。
なんというブランドだったか、もう覚えていないが。
「ナイフを持ち歩く子供」ちょっと危ない響きがあるが、僕にとってはキリストを信じる人が身につける十字架のペンダントや試験会場へ向かう受験生のカバンの隅に入っている、なんとか神社のお守りのようなものだった。
近所の林の中で的を作り、投げナイフの練習も沢山したが、ナイフで誰かを殺傷したいなどと考えたことは一度もなかった。
ナイフはただ触れているだけで安らぎと、安心感を与えてくれる不思議な力を持っている。
特に、砥石でナイフを研いでいるときは、ほとんど瞑想の世界だ。
ナイフを使って仕事をしている人のナイフに対する思い入れは簡単に想像できるが、そうでない人たちもナイフに魅了されるのは他に理由があると思う。
人間が生きるためにナイフに頼って来た歴史は長く、過去に多くの男達が自分の勝負ナイフに多くの言葉を語りかけてきたにちがいない。
そういった記憶の断片が現代を生きる僕たちの細胞の何処かにまだ残っている気がするのだ。

僕のナイフ好きのもう一つの理由は母親にある。
幼い頃から家の中にはたくさんのナイフ、彫刻刀などの刃物があり、木を使って様々な作品を作っていた母親はいつも刃物に触れていたし、それらを頻繁に砥石で砥いでいた。
あの濡れた灰色の砥石の上を鈍い光を放って行ったり来たりする刃物は官能的だし、水を含んだ石と刃物がこすれ合って立てるあの規則的な音は、気持ちを落ち着かせる効果さえある気がする。
とにかく、僕は子供の頃からよく刃物に接していたし、刃物は限りなくシャープであるべきだというおかしな信念すらある。
シャープなナイフは扱い方を誤ると自分自身を傷つける。
ナイフはなめて扱ってはいけないのだ。

日本ではどうか知らないが、ここオーストラリアではGLOBAL(グローバル)というブランドのナイフが圧倒的人気だ。








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料理番組を注意してみているとかなり高い率でグローバルを使っているし、料理好きの友人のキッチンを覗くとあのシルバーに黒いドットのグローバルのナイフが必ずどこかにある。
子供たちの料理熱を受けて最近彼らの母親が買ったナイフもグローバルの6本セットだ。
僕はあれこれ悩んで、結局VICTORINOX(ビクトリノックス)のキッチン用ナイフを子供たちのために購入した。
ビクトリノックスといえば、やはりスイスアーミーなので、キッチン用と言われてもあまりピンとこないかもしれないが、こちらのシェフにはヴィクトリノックスのファンが意外と多い。
以前、ソーマの誕生日にプレゼントしたスイスアーミーは予想通り大いに気に入られた。
僕が普段持ち歩いているデイパックの中にも必ずヴィクトリノックスのスイスアーミーが入っている。
スイスアーミーやポケットナイフを普段持ち歩いている人はタスマニアでは意外と多い。
ロープがからまったり、りんごを半分に分けたり、バイクのネジが緩んだり、そんな状況を見て手を貸してくれる人たちのポケットから何気にスイスアーミーやポケットナイフが登場する場面がよくあるのだ。
そんなとき、男同士の細胞を感じる。








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新しいナイフを使ってはじめて試し切りをするときのあの喜び。
切れ味のいいナイフはゾクゾクする。
子供たちの新しいヴィクトリノックスのナイフを使ったとき、僕の愛するヘンケルスの切れ味がいまいち良くないことに気がついた。
いつもまめにシャープナーで砥いでいるので切れ味に問題はないと思っていたのだが、、、。
ホバートにあるプロ用のキッチン専門店にを何件かまわり、ナイフを砥がせたら誰が一番か、いろいろな人に聞いた。
ほとんどの人が同じ名前の男の人を僕に紹介してくれた。
その皆が勧めるナイフ砥名人の店を訪れ、僕のヘンケルスを彼に見せてこう言った。

「今の状態で十分シャープだと思うんだけど、もし、今よりもシャープになる可能性があるなら、あなたにこのナイフを砥いでほしいのですが」

たぶん、ヨーロッパ系の移民であろう彼は、僕のヘンケルスを手に取り、刃先に親指を2,3回ひっかけたあと、かなりアクセントの強い英語で僕にこう言った。
「あんた、このナイフがシャープだと思ってるの」と。

ナイフマニアがナイフの砥の達人からそんなセリフを言われたら、もう嬉しくてたまらない。
彼にナイフを預け、翌日ウキウキしながらそのナイフを引き取りに行った。
僕のヘンケルスは長年の使用でナイフの柄をとめる3つあるうちの2つのビスが取れてなくなっていた。
僕はビスの代わりに割り箸のかけらを使ってナイフの柄を留めていた。
ナイフの達人はそのビスも全て新品にし、しかもナイフの刃そのもの全体もぴっかぴかになって帰ってきた。
まるで違うナイフだ。
渡されたナイフの刃先に僕は親指で触れた。
その引っかかり方は今まで体験したことのない種類のものだった。
気を抜いて触れると簡単に指が切れてしまいそうな緊張を強いるシャープネス。
刃先に触れる親指の皮が少しずつ削られていく感覚、う〜ん、たまらない。
家に帰ってさっそくキャベツの千切りをしてみた。
力を入れなくてもストンとナイフがまな板に落ちる、体中に鳥肌がたつような素晴らしい切れ味だった。
とにかく、野菜でも果物でも鶏肉でも、なんでもいいから何か切りたくてたまらないナイフ禁断症状を誘発する切れ味。
達人にナイフを砥いでもらってからもう数カ月たつが、いまだに僕のヘンケルスを使うたびにウキウキしてしまう。
すぐに切れる人は好きでないが、切れるナイフが僕にくれる喜びは、大げさではなく大きい。
僕のヘンケルスが蘇って以来、友人の家で彼らのナイフを使うたび、僕はそのナイフ砥ぎの達人の話をする。

「騙されたと思って一度ナイフを砥いでもらいなって!自分のナイフに惚れ直すから!最低3ヶ月間はキッチンに立つたびに幸せになれるから!」

この興奮、まだ本当の意味で誰も理解してくれていない。








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by somashiona | 2010-09-17 22:51 | デジタル

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