ありがとー、写真!



数ヶ月前、知らない女性から突然電話がかかってきた。
僕は電話が苦手で、非通知の電話は出ないし、知り合いからかかってきて僕が電話に出られなかったときも、用件がメッセージに残っていなければ、僕からは絶対に電話をかけ直さないほどのへそ曲がりだ。
このときはある友人から電話がかかってくる予定で、電話が鳴ったとき、反射的に通話ボタンを押してしまった。

電話をかけてきた女性は自分の名前を告げ、僕がほんの少しだけ知っている人物から僕の携帯番号を教えてもらい、こうして僕に今電話をかけているのだと言った。
名前から察するに、アジアの国の女性だが、英語力から判断すると、十分に大人になってからこの国へ移住し、たぶんまだ10年くらいしかオーストラリア生活を経験していないだろう、とみた。
彼女は1年前から写真を始め、今はもう、寝ても覚めても写真のことが頭から離れられないくらいのめり込んでいるのだと言った。
僕は「なるほど、写真は楽しいですからね、夢中になる気持ちはよくわかります」というようなことを言い、このまま放っておいても話が見えないと思ったので「で、Sさん、用件は?」と率直に聞いた。
受話器の向こうで3、4秒沈黙が続き、その沈黙をかき消すかのように少し大きな声でSさんはこう言った「あの、今日電話したのは、つまり、、、友達になってください!」。
あまりにあっけらかんとストレートだったので、僕は失礼だと思ったが、笑ってしまった。
そして、「もちろん、いいですよ」と応えた。

Sさんに僕の電話番号を教えた人の年齢から察すると、Sさんもおそらく50歳前後の女性だろうと思った。
40歳から50歳くらいの年齢で、第二の自我みたいなものに目覚めてしまった女性に時々出会うことがある。
第二の自我という言い方がピッタリかというと、ちょっと違う。
どう説明すればいいのだろう?
人生の長い期間を子育てや旦那、家のことに捧げ、自分というものを真っすぐに見つめるチャンスがなかった女性が、あるときを境に、それは子供の手が離れたとか、離婚したとか、人によって色々な理由があるのだが、これからは好きなように、自分らしく生きていこうと、まるで神の啓示でも受けたかのように決心する。
これは中年男性によくあるミドルエイジクライシスの真逆ヴァージョンみたいなもの。
ティーンエイジが思春期なら、ミドルエイジは思秋期だ。
思秋期、若かりし頃をもう一度思い出し、これからの人生を改めて考え直す時期。
多くの男性がミドルエイジクライシスなどで自暴自棄になったり、引きこもったりと困った問題に直面するが、女性はやはり強い、開き直り、残された人生を精一杯楽しもうとする。
女性のこういう時期の心のあり方、僕が勝手につけた「第二の自我の目覚め」ではなく、正式な名前があるのだろうか?

とにかく、Sさんは予想通り50歳くらいで、自分のビジネスをバリバリとこなす人だった。
早朝、仕事の前に写真を撮り、夕方移動中でもチャンスがあればシャッターを切り、週末は必ず写真を撮るためにどこかへ出かける。
ネイチャーフォトが中心で使っている機材は7D, 5DMarkll、16mm~200mmをカバーするLレンズ3本、ジッツオの三脚、そしてLightroom4と1年間でどれだけ写真にのめり込んだのかがよぉ~くわかる。
撮っている写真もなかなか構図が安定していて、華やかな色使いの作品たちだ。
アドバイスを求められても、僕には何も言うことがない。
僕はきれいでまとまった写真というものを全く求めていないので、ナショナルジオグラフィックのコンテストのネイチャーフォト部門を狙うような人にアドバイスを求められると本気で困る。
そういう写真はもちろん素晴らしい、でも、僕が写真に求めるものはそこには全くない。
「じゃあ、どんな写真が見たいの?」と聞かれたとき、「あなたの目にしか写らないものを、しっかりと捉えた写真」と応えると、彼女はますます困惑してしまった。
どんなに機材が揃っても、そういう話をするのは、もっと後なんだろうな思った。
ちょっと上から目線で恐縮だが。

食事に招待されたとき、(まだ2度しか会ったことがなかったのだが)彼女は写真にのめり込んだ経緯を話してくれた。
子供たちが家を出た後、離婚をし、外国で一人ぼっち、毎日泣いて暮らしていたらしい。(とてもそんなタイプの人には見えないが)
暗いトンネルから抜け出す方法を必死で模索した。
離婚とともに家族ぐるみの付き合いだった人たちとは疎遠になった。
仕事以外は家から一歩も外に出たくなかった。
このままでは本当に自分が壊れてしまうと、恐怖を感じた。
外に出るきっかけを作るために、オリンパスのPEN2を買った。
それまで写真などまともに撮ったことがなかった。
撮った写真を見ると、心が癒された。
癒されるために、もっと撮りたいと思った。
きれいなものを撮れば撮るほど心は癒され、きれいなものを撮るために山へ海へとカメラを持って出かけるたびに、傷はだんだん癒えていった。
もっときれいに撮るために、カメラが増え、レンズが増えた。
写真が好きだという人には、片っ端から会い、どんどん知識を吸収した。
知らないうちに、友達が増えた。
元旦那とも、子供たちとも、まったく繋がりがない、自分だけの友達だ。
今後の夢は、一所懸命仕事をしてある時点でビジネスを売り、まとまったお金を持って何年間が撮影の旅を続けること。
そして、写真集を作りたいと。
写真は文字通り自分を救ってくれた、本当に感謝している、と彼女は言った。

こんな素敵な話を聞けて、本当にうれしかった。
僕も写真に関わる人間でいれて、よかったと思った。
僕にとっても写真は常に生きる原動力で、未来に向けていつも夢を見させてくれるものだ。
ありがとー、写真!










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昨日行われたNew Norfolk Autumn Fest (ニューノーフォーク・オータムフェスティバル)。
毎年、これが終わると、ああ、いよいよ秋だなぁ、と思ってしまう。
「秋はオータム(Autumn)(秋)、木の葉がフォール(Fall)(秋、落ちる)」と中学の時に英語の先生に教えられた呪文のような英単語の覚え方が頭の中を流れる。




















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by somashiona | 2012-04-02 23:01 | デジタル

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