トニー・ブル

ドアのベルを押す手が震えていた。
全身が緊張の固まりだった。
一体どんな男だろう?

前日、オーストラリアの全国紙、The Australian、のデスクからアサイメントの依頼が来た。
サブジェクト:トニー・ブル
記事の内容:オーストラリアでもっとも悪名高いタスマニア・リズドン刑務所に17年間服役していた男がその独房での体験を語る。
コンタクト・ナンバー及びアドレス:ーーーーー。
ジャーナリスト:なし

この新聞の仕事を受けるのはこれで2回目だった。
1回目の仕事は自分としては60点の出来。
この点数はプロとしてのクオリティーはクリアしているが、自分も依頼主も感動するというまではいかない内容。
この1回目の仕事を終えた時点で、もうこの新聞の仕事は来ないだろうと肩を落としていた。感動、驚き、涙を与えられなければプロじゃないし、一度のチャンスでそれを見せられなければ、ここでは通用しないのだ。
それを見せられる技量を持ったフォトグラファーがごまんといて、皆ひょっとすると自分に訪れるかもしれないチャンスのために、諸刃の剣を磨いている。
この小さなタスマニアは特にそうだ。
メディアの仕事を依頼されるフリーランスのフォトグラファーはたったの3〜4人しかいない。
皆、その道のベテランたちだ。
日本人の、しかも語学もままならないフォトグラファーに依頼主が期待するのは今までにない感動だろう。

しかし、考えてみて欲しい。
日本に住む外国人フォトグラファーが新聞から仕事の依頼を受けるとする。
もとコメディアンのそのまんま東という男が県の知事になった。
驚く写真を提供して欲しい。
そのまんま東という名前を聞いた時点でフライデー襲撃事件、淫行事件、かとうがずこ、北野たけし、などというキーワードが頭に浮かばなければ、いい写真を得るのは難しいと思う。
報道写真はその背景となる知識や認識がどれだけあるのかが重要なのだ。
オーストラリアに住み、まだ5年の僕にはそれがない。

ドア・ベルを押すとき、いいストーリーを読者に伝えようという使命感よりも、自分の写真を認めてもらおう、という薄汚い煩悩が脳みそから溢れていた。

ドアがゆっくりと開いた。
薄暗い室内から浮かび上がったのは二つの鋭い眼差しだった。
「ヨシっ!いただきだ!」と心の中で叫んだ。
この目、この顔、このオーラ、いい写真が撮れないはずがない!

通常こういったアサイメントは15分から30分くらいで撮影を終わらせる。
でも、今回の仕事は締め切りまで数日間余裕があった。
僕はカメラを脇において彼と会話をはじめた。

見た目は怖いが、話し始めるとすぐに、彼が繊細で、自分に自信がなく、誰かに認めてもらいたがっているタイプの人間だ、と感じた。
歳を聞くと、僕と同じだ。子どももいる。
突然、親近感が湧いた。
その彼が17年間、自分の人生を失ったのだ。
17年間。
いったい何をしでかしたのだろう?
きっと誰かを殺したに違いない。
彼の刑務所での経験、子どものこと、将来のことなど話し合い、彼も心を開きはじめた。
でも、何をして刑務所に入ったのかは最後まで聞かなかった。
なぜか、それが礼儀だと感じたからだ。

「あの檻に閉じ込められれば、どんな善人だって悪人になるさ。奴らはオレたちをクズとして扱い、オレたちがどんなにクズで、これからもクズであり続けるってことを徹底的に叩き込むのさ」

「そういった扱いに対して俺たちは煮えたぎる怒りを感じるけれど、何も反論が出来ない。凍りつくような夜にブランケット一枚しか与えられなくても、人としての権利を主張できない。なぜだか分かるかい。オレたちには学がないのさ。感じたことを筋を通して、理路整然と伝える言葉を知らないんだ。そこでオレは本を読みはじめた。オレたちの主張を代弁する役割を担った。そして結果的に何度も独房に入れられたわけさ」

「出所してからすぐにオレは大学に行きはじめた。笑うかもしれないけれど、ムショを出るまで勉強だなんて気取った奴のする時間の浪費だと思っていたよ。最初の数ヶ月は黙って椅子に座って、人の話を聞くってことが苦痛以外のなんでもなかったよ。だってさ、子どもの頃から人の話しなんてろくすっぽ聞いたことないんだから。でもね、オレ、どうしてもソーシャルワーカーになって、オレたちのような人間を救いたいんだよ」

彼は失った人生を必死に取り戻そうとしている。
これからの人生を誰かの役に立ってすごしたいと思っている。
シャッターを押すのに十分な動機は揃った。
もう僕の頭の中からは、自分の写真を認めてもらいたい、という煩悩が消えていた。

彼の写真を撮りはじめる時間だ。


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by somashiona | 2007-03-20 08:10

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