終わりを遂げた人生に敬意を払う



僕のブログをすでに何度か見てくれている人たちは、僕のことをかなり暗い人間だと思っているだろう。
そんな皆さんの予想に応えるべく、今日も暗い話しを一つしようと思う。


知らない土地にいくと積極的に探す場所がある。
お墓だ。
どうしてなのかハッキリとした理由はわからない。
磁石のように引きつけられる。
お墓に行くといつも神聖な気持ちになり、おまけに目頭を熱くしてしまう。
突然に一人で訪れるお墓は、いつだって誰もいない。
枯れてしまったお供えの花にまじった真新しい花が、ここは人間が立ち入る現実の世界だということを言葉なく僕に知らせてくれ、少しだけホッとする。
僕には幸か不幸か霊的なものが見える力はまったく無いが、僕の足下にこの土地で人生を終えた人たちが何人も眠っているのかと思うと、これからの滞在期間、心してこの土地と接していこうという気持ちになる。

オーストラリアのお墓には墓石の下に眠る人の生前の人柄をしのばせる言葉がよく書いてある。
生まれた日と死んだ日。
フットボールを心から愛していたとか、いつも編み物をしていた面影が、とかそんな言葉だ。

短くても墓石に刻まれた言葉には口答えできない説得力がある。
「誰よりも愛する妻へ」
「僕たちの大好きなダディへ」
「マミー、いつまでもあなたを忘れない」
「まだ小さな息子よ、ダディとマミーはいつも一緒だよ」

時々、顔写真入りの墓石もあるが、僕はその写真をなかなか直視できない。
一人ぼっちのお墓で見るその写真は、僕の顔を必要以上に凝視し、その写真がたとえ笑顔でも、僕はその視線に耐えられない。

古い土地に行くとやはり古い墓がある。
1800年代に生まれ、1830年代にタスマニアで人生を終えている墓石を時々見つける。
もちろんイギリスから来た人のものだ。
お墓が残っているくらいだから、囚人ではなかっただろう。

タスマニアにはネイティブの落葉樹が1種類しかない。
なのに今ではそこらじゅう落葉樹だらけだ。
故郷を懐かしむ入植者たちがタスマニアに故郷の風景を再現しようと、ユーカリの木をバサバサと切り倒し、故郷の樹木を徹底的に植えたそうだ。
しかし入植時代、多くの人たちは、立派に育ったなつかしい故郷の樹木の落葉を見ることなく、このタスマニアで人生を終えたことだろう。

リッチモンドにはオーストラリアでもっとも古いセントジョンカトリック教会がある。教会の前にはタスマニアの州花でもあるブルーガムツリーが立派にそびえ立っている。
タスマニアに来る観光客は必ずといっていいほどここを訪れ、教会の中を見学し、ブルーガムツリーの前で記念撮影をするが、教会の裏にある墓には誰も足を伸ばさない。

タスマニアの歴史を見続けた先人たちの足跡が、すぐそこにあるのに。






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The gravestone of St John’s Catholic Church, Richmond, Tasmania




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コメントを残してくれた皆さんへ
ごめんなさい、もうちょっと返事待ってくださいね。
いま睡眠時間を確保することで精一杯なんです。
必ず返事、書きますよぉ〜!
でも、寝かせてぇ〜!









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by somashiona | 2007-06-25 19:24

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