僕の瞑想は迷走だ



ブログをはじめてまだ3ヶ月ほどしか経っていないが、毎日何かについて書くのは思っていたよりも大変なもんだ、と最近感じる。
朝起きてから夜寝る瞬間まで、ああでもない、こうでもうないと絶え間なく何かを考え続けているはずなのに、いざ何かを書こうとすると頭の中で論争中のほとんどの事はとりとめがなさすぎてまとまった話にならない。
はじめから今日はこれについて書こう、というテーマがあると楽なのだが、例えば今日のように、睡眠不足て頭は朦朧、身体は疲労困憊、モティベーションが低い、そういう時は書くよりもただベジタブルでいたい。あっ、これは英語の表現で何もせずボォ〜っとしている状態を「being vegetable」という。仕事から帰った夫が缶ビール片手にソファーに座り、口を開けてボォ〜っとテレビを見ているとき妻がいうであろう小言は「Don’t be vegetable」だ。
「バカ言っちゃいけない、オレは今瞑想しているんだ!」といういい訳は通用するか?

前にも話した事があるが、頭痛持ちの僕が医者に行くと決まって言われるのが「もっとリラックスした生活を送りなさい」とか「あまり難しい事を考えすぎず、明るく前向きに過ごしなさい」という台詞だ。
僕の友人たちで日常生活に瞑想を取り入れている人が多い。
瞑想はリラックスするための最善の方法だ、と彼らは声を揃えていう。
瞑想、座禅、他にも色々と言い方はあるのだろうが、僕にはここで皆が言う「メディテーション(meditation)」という言葉のほうがしっくり来る。
ここで皆が使うこのメディテーションという言葉は単に瞑想であって宗教的要素が含まない。実に多くの人たちがこのメディテーションを生活の一部にしているのだ。

チベットに数ヶ月留学し、質の高いメディテーションを経験した女性からメディテーションの話をたくさん聞いた。
「メディテーションの素晴らしさはコントロールなの。自分で自分の意志をコントロールできるようになること。ねえ、マナブ、自分の思考が止まっていると感じる瞬間がある?」
「うぅ〜ん、そうだなぁ、マウンテンバイクでスピードを出して山道を下るときはたぶん何も考えてないなぁ、、、ただただ自分の走っているコースに神経を集中しているよ」
「きっとその時は何も考えていないかもしれないけど、それは自分の意志でコントロールしているわけじゃないの。自分の意志で考えない状態を作るのよ」
「なるほどぉ」
僕は人の話しをすぐ真に受けるタイプだ。

僕も親友の女性も先週10日間のメディテーション・コースを山の中で終え、別人のような清々しい顔をして帰ってきた。
約20人の人たちがそのコースに参加したそうだが、規則で10日間インストラクターに質問をする意外は誰とも話してはいけない。朝4時に起き、夜9時に寝るまでとことんメディテーションをするらしい。それは果てしのない自分の内面との戦いで、くたくたになるほど疲れるそうだ。10日間、話し相手は心の中の自分だけだ。座り続ける事による身体の痛みを意志の力でコントロールし、つま先から頭のてっぺんまで自分の身体を細胞レベルで感じる事ができると言う。それじゃあ、これからすごいマスターベーションができるね、というと彼女はしばらく顔を真っ赤にして笑い転げていた。実際、毎日がオーガズムの嵐のようだったと彼女は言っていた。とにかく、人生で3本の指に入るほど素晴らしい体験だったらしい。
この気持ちは口では説明できない、体験すべきだ、と彼女は言うが、タンゴのときと同じでサムライはもう充分に瞑想の経験を積んでいるから気持ちはよく分かる、といい訳した。
オーガズムの嵐の体験は捨て難いが、、、。

実は、僕は週に一度のメディテーションのコースを約6ヶ月続けた事がある。
中国の仏教系の団体が宗教とは関係なく無料で教えてくれるコースだ。
人気のあるコースでたくさんの人たちが参加していた。ビギナーの僕らは1時間、30人ほどの人たちと一緒にメディテーションをおこなう。メディテーションの間は、先生が唱えるお経のようなものを、意味はわからないのだがオウム返しで復唱する。守らなくてはいけないルールはただ一つ、メディテーションの最中に目を開けてはいけないという事だ。僕にとって1時間のメディテーションは拷問だった。目を閉じたとたんに眠くなり、その眠さを振り払うために家に帰ってから食べたいものを毎回考えていた。無我の境地からはほど遠い。しかし、それよりもキツい事は周りの様子を見れない事だった。メディテーションがはじまり5分ほどするとすすり泣く人、果てしなくゲップを繰り返す人、何度もおならをする人、そしてドタバタと色々な雑音が周りから聞こえてくるのだ。ただでさえたくさんの雑念を抱えながらメディテーションしている僕だったので目を開けないというたった一つのルールだけは守ろうと心に決めていた。でも周りがどんな状態なのか気になるので、コースが終わった後、このコースに参加している僕の友人たちに周りで何が起こっているのか聞くのだが、目を開けた事がないからわからない、というのが皆の答えだった。6ヶ月目のある日、いつもよりも激しい泣き声、ゲップ、おならの音、そしてドタバタで僕はまったく集中できなかった。そして誰が泣き、ゲップをし、おならをしているのか確認したい誘惑がいつになく強く僕を支配していた。寝たふりをする子どものように、僕はゆっくりと薄目を開けた、そしてぶったまげてしまった。僕はここに来ている約30人の人全員が僕のように座禅しているものだと思っていたのだが、何人もの人たちがホールの中を陶酔した顔でひらひらと踊り、飛び跳ね、ある人は白目をむいて半ば失神状態、ゲップをしているのは方向的にあの美しい女性、おならは白髪の紳士だった。皆、完全に自分を捨てている。メディテーションの快楽に酔っている。こ、これがメディテーションというものだったのか?
それ以来僕はこのコースに行かなくなったし、メディテーションは自分には向かないと諦めてしまった。

今日は短い話にしちゃおう、と思っていたのにこれだ。
最近睡眠時間が極端に短い。
毎朝3時起きだ。
以前、僕の友人が言った「質の高い30分のメディテーションは2時間分の熟睡に匹敵する」という言葉がひっかかっていたのだろう。
相変わらず煩悩を土台に思考を展開する自分が悲しい。

僕の瞑想はまるで、迷走だ。






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昨年の夏のキャンプで、瞑想するピーター。


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瞑想するワンコ。


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瞑想する岩。


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瞑想する地衣類。


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瞑想する草。


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瞑想する風景。







写真は全て、Cockle Creek, Tasmania






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by somashiona | 2007-06-26 20:42 | デジタル

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