写真家にポテンシャルは必要か?



僕はマウントネルソンという山の上に住んでいる。
僕の家からホバートの街の中心部までマウンテンバイクで約15分ほどだ。
途中の下り坂は時速70km/hのスピードが出る。
しかしホバートの中心部から僕の家に帰るときは、そうは問屋が卸さない。

僕の家から自転車でどこかへ行くときは、必ず最終的に僕の住むマウントネルソンの山のくねくねした坂を登らないと家に帰れない。
ホバートの街の中心部からマウントネルソンの坂のふもとまで約15分。
坂のふもとから僕の家まではじめてマウンテンバイクで登ったときは45分かかった。
これはこの時の僕の最大級の努力で、坂を登っている途中で何度も諦めようとしたし、あまりの肉体的負担に吐き気さえ催してきた。この時身体から出た汗は普段かく汗の一年分は軽くあったと思う。

次の日、さっそく自転車屋でサイクルコンピュータという自転車の走行距離、スピード、時間等をはかる便利な武器を買い、毎日マウントネルソンの坂のふもとから僕の家までの記録時間更新にチャレンジした。

すぐに30分だいで登りきるようになったが、それでも毎回吐き気を催すくらい疲労困憊する。
毎回、毎回、自分ができる事の最大限の努力をしようと心に決めて、この坂にチャレンジした。
この時、僕は度々人の持つポテンシャルを見せつけられる。
僕が全身から汗を噴き出し、呼吸困難になりながら、顔を真っ赤にし、27段変速を駆使してペダルを踏んでいるその横をツールドフランス風の輩がビュ〜ンと音を立てて抜き去っていく。
こんな登り坂をどうやったらあんなスピードで走れるんだろう?
まあ、相手は何といってもツールドフランスだ。
戦う相手じゃない、と自分を納得させる。
ぜえぜえと荒い息が聞こえてきたかと思うと僕の横を50歳代後半に見えるおじさんがやはり汗を吹き出しながら抜いていく。
うぉ〜っ、努力すれば歳をとってもこんなに速く走れるのかぁ、と感動する。
ここまではいい。
でも、スカートをはいた女子高生風の女の子が変速ギアもろくに付いていないようなママチャリで僕のスーパーマウンテンバイクに追いつき、汗ひとつかいていない爽やかな笑顔で「ハァ〜イ!」と言って僕に手を振り、前方に消えてしまったときは、さすがに落ち込んだ。

そういえばプールに毎日通い、クロールで1000m泳いでいたときも、平泳ぎのおばあちゃんによく抜かれていた。

ブッシュウォーキングに友人たちと一緒に行ったときも、彼らが目の前の美しい風景について思いつく限りの言葉を交わす中、僕はと言えばリュックの中に入っている水やチョコレートの事を考え続け、何度も足がつってしまいみんなに迷惑をかけてしまった。

持久力を必要とする運動に関して、友人たちが楽しむレベルで、僕はいつだって苦しみを味わっている。

僕がこんなに一所懸命に、自分の限界で、吐きそうになるまで自分を押し上げてやっている事を、いとも簡単にやってしまう人たちがいる。もちろん、毎日の努力の結果そういう状態になっている人が多いと思うが、最初からたいした苦労もせずにその域にたどり着ける人もいる。
タスマニアに住みはじめ、身体を動かす機会が多くなるにつれ、「ポテンシャル」という事を考えはじめるようになっている。
もしかするとそれを考えるのは僕の年齢のせいかもしれないし、辛い人生のせいかもしれない。
僕にはその手の運動で人より抜きん出るポテンシャルがまったく無いのだと認めざるを得ない。
そしてそれは運動に限らず、どんな分野でも平均的なレベルまではある程度の努力で到達できるが、あるレベル以上になるとやはりポテンシャルというものが必要で、それがなければたどり着けない世界があるのだと、40歳を超えてようやく認めはじめてきた。

それは写真にもいえるのだろうか?
世界で通用する写真家になるためには、やはり生まれ持った高いポテンシャルというものがないとダメなのだろうか?


オーストラリアのF1レーサー、マーク・ウェバーがはじめたアドベンチャーレース「マーク・ウェバー・ピュア・タスマニア・チャレンジ」を取材したとき、普通の人たちが世界で活躍するアスリートたちを相手に、超過酷なレースを繰り広げるのを見て、僕は感動した。
もちろん結果だけを見ると普通の人たちがポテンシャルの高いプロのアスリートにかなうわけがない。
しかし、普通の人たちは世界のトップクラスのアスリートと戦っているわけではなかった。
彼らは一人一人自分自身と戦っていた。
僕は写真の仕事として商品価値のあるプロフェッショナルなアスリートよりも普通の人たちの姿にレンズを向け、多くのシャッターを切っていた。
語りかけてくるものの強さが彼らの中にあったからだ。


僕が最近感動する写真は狙っていない写真だ。
男に媚びる若い娘の態度がいやらしく目に映るように、写真だって経験を積んでくると、媚びたもの、狙ったもの、安全なもの、妥当なもの、そういう計算が見えるものはつまらない以上に、いやらしく目に映る。
もちろん技術的な事、ものの考え方、人生観、基本的な部分のレベルはクリアしていなくてはいけないと思うが、淡々と自己の世界を追い求めた結果創りだされた作品を見ると、愛おしさのようのものを感じる。
そこには誰にも真似できないその人の世界がしっとりと横たわっているような気がする。

写真家の相原正明さん(別名金剛力士像)(ごめんなさい)は写真のことを「写心」という。
的を得た表現だなぁ、と感心する。
僕が相原さんの写真のプリントを写真展ではじめて見たとき、風景の美しさ以上に相原さんの心を感じた。
いい写真を見ると写真に写し撮られたものの素晴らしさもさることながら、その裏側にある精神に触れたような気持ちになる。
それはシリアスな写真でも笑える写真でも同じだ。

やはり、どう考え、どう生きるかが結局は写真に現れるのだとおもう。
僕の写真が未熟なのは、まだきちんと自分の目でファインダーを覗き、自分の目で世の中を見て、自分の目で自分自身を見ていないからだろう。

もしいい写真家になるためのポテンシャルのようなものが存在するとすれば、それは考え方、生き方を磨くことのできる資質があるかどうかの問題のような気がこのごろする。
写真というものを仕事にすることによって、自分が求める写真のそういった側面を持ち続けることが出来ないようであれば、写真という手段で表現したかった自分のメッセージを変えざるを得ないようであれば、仕事として写真とは付き合わないほうがいいような気がする。
自分の愛する数少ないものへの態度は、限りなく透明でありたいから。

最近、やっと思えるようになった、自分自身のための戦いをしようと。
マウンテンバイク、水泳、人間関係、仕事、子育て、自分ができる精一杯の事をしよう。
人より劣っていてもかまわない。
ベストを尽くそう。
スゴい人を見れば、スゴいなぁ〜、この人、と素直に感動し、上手くできない人がいれば、この人なりに頑張っているのだと考え、手伝える事があれば手伝う。
そんな皆がよく知っている当たり前の事を、最近やっとわかるようになってきた気がする。
ちょっと遅すぎるけど。

最後に忘れないで言っておきたい。
マウントネルソンの坂のふもとから僕の家までの自己最高記録は20分05秒。
この20分の壁を1年以上破れないでいる。
僕の友人の記録は15分だ。


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Mark Webber Pure Tasmania Challenge 2006
一連の写真は山と渓谷社『アドベンチャースポーツマガジンWEB』にて掲載したものです。
http://www.adventure-sports-web.com/blog/archives/cat7/






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by somashiona | 2007-06-30 19:10 | 仕事

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