パンケーキだけどホットケーキサンデー



どれくらい前からはじまったのかもう忘れてしまったが、子どもたちと過ごす日曜の朝はホットケーキを食べる事にしている。

基本的に彼らの母親も、僕も、身体にいいと思えないものは彼らに与えない。(まあ、あたりまえだけど)
なので、普段の生活でお菓子、ケーキ、アイスクリーム、チョコレート、ジュースといったたぐいのものを彼らが口にする事はほとんどないのだ。
週末に子どもたちと散歩していて、喉が乾いたから好きなものを買っておいでと小銭を渡すと、嬉しそうな顔をしてミネラルウォーターを抱えて戻ってくる。
ジュースが飲みたい、とだだをこねるのはダディのほうだ。
彼らの母親にとってホットケーキもやはり身体に良くないもののカテゴリーに入るので、彼らがウィークデイにホットケーキを口にする事はない。
なので毎週末のメープルシロップがたっぷりとかかったホットケーキを彼らは心待ちにしている。

毎週末作っているので今じゃ僕も一人前のホットケーキ職人だ。
といっても、水を入れてシェイクするだけのインスタントを相変わらず使っているのだが。それでも数あるブランドの中からどれが一番美味しいか、指定された水の量より少しだけ多めのほうが滑らかだとか、絶妙なフライパンの温度に関してはもう職人芸の域に達していると自分では思っている。(少し誇張している)

ちなみにホットケーキは英語ではない。
日本でいうところのホットケーキを英語ではパンケーキという。
だが僕の子どもたちはホットケーキと呼ぶ。
いや、正確に言うと「ハットケーク」と発音しているが、それは「ホットケーキ」の事だ。
買い物をしていて僕が子どもたちに「Could you please find a bottle of Hotcake for me?」というと、周りの人はいったい何の事だろうと不思議そうな顔をする。
彼らにとってダディが作るパンケーキは、いつだってホットケーキなのだ。

数年以上に渡って毎週末同じものを食べていてはさすがに飽きるだろうと思い、しばらくクロワッサンにクリームチーズやスモークサーモンなど挟んで出してみたが、すぐにホットケーキが恋しいと、子どもたちからクレームがきた。

子どもというものは同じ事を繰り返すのが好きだ。
子どもを育てるにあたって自分なりに色々な本を読みあさり、どういう態度で臨むべきか研究したが、僕にとってのキーワードは「Consistencyコンスィスタンシー」いわゆる「一貫性」という事で落ち着いた。
一貫性は子どもたちに安らぎ、落ち着き、安全、自信を与えるのだ。
例えば寝る時間は8時という決まりを作り、子どもたちにそれを説明すれば、どんな楽しい事があっても8時には寝る。子どもたちを連れてパーティに行き、どんなに盛り上がっていても親は後ろ髪を引かれる思いで家に帰らないといけない。食事の時はテレビを観ない、というルールを作ったのなら1週間前から楽しみにしていた番組がやっていようともスイッチを消さないといけない。
これが定着すると子どもたちはみんなで決めた事に対してだだをこねないが、問題は親である僕のほうに生じる。ちょっとくらいならいいだろう、今日だけは特別だ、マミーにいっちゃダメだよ、と口止めしようか、などなど心に迷いが生じるが、言い出しっぺの親がルールを守らなければ、ルールを守る子どもになどなるわけがない、と自分に言い聞かし、諦める。
これが親の責任と言うものだ。(涙)
もちろん、子どもがいない時は心置きなく不良少年になる事を忘れてはいけない。

このコンスィスタンシーという言葉、オーストラリアでは働いている時、もしくはビジネスのシーンにおいてよく使われる言葉だ。
なぜなら、オージーにとってこのコンスィスタンシーということほど苦手なものはないからだろう。
皆が皆、好き勝手な事を主張し、好き勝手に振る舞うお国柄。
正確さよりもだいたいこんな感じ、というノリで全てが丸く治まっている国。
一貫性など大の苦手だ。
しかし一貫性のないサービスはやはりお客を失う。
僕の買った巻き寿司より隣の人が買ったもののほうが同じ値段で大きいぞ、と思ったら不満が生じるだろう。
日本と違って不満があるとその場でまくしたてる人が多い国だ。
お店の責任者としては忙しい時にそんな事態を招きたくはない。
なのでオーナーはスタッフができるだけ一貫性のある仕事をするように口を酸っぱくするのだ。
極端な言い方をすると、「いいかい君たち、皆同じ事をするんだよ」と指導するということ。
これは日本人にとっては得意技だが、オージーにとってはほとんど拷問だ。

日本では僕の生まれた時代くらいからQCサークルが徹底して職場に取り入れられ、常に安定したサービスを提供してきたが、逆に僕が日本にいた頃はいかに人と違う考え方をし、違う行動をとれるかが職場で抜きん出るためのキーワードだった気がする。
いわゆる「個性的な」という言葉に皆が憧れていたのではないか?

僕は日本で少し個性が強すぎて周りから浮いてしまっていた感があったが、今オーストラリアでは周りの人よりも個性を出せず目立たない存在になっているのでは?と怯えている。
中間の世界というものがどこかにないのだろうか?

子どもたちにはぜひ、バランスのとれた人間になって欲しいものだ。






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by somashiona | 2007-07-01 17:30 | ソーマとシオナ

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