ヨハンおじいさんの唄 – 2



ヨハンおじいちゃんは家のドアを開けたが、中からは犬の声もしなければ、おばあちゃんの声も聞こえてこなかった。
一年間誰も住んでいなかった、と言われれば信じてしまうほど、生活の匂いのしない簡素な室内だった。
ヨハンはここで一人暮らしだったのだ。




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「さあ、さあ、コーヒーでいいかな?」
魔法瓶に入れてあったお湯でネスカフェを入れてくれた。
「朝起きるとまずはこれに熱々のお湯を入れるんだよ。そうすればお茶を飲むたびにいちいちお湯を沸かす必要はもうないからね。エネルギーの節約だよ、節約」
ちょっとぬるめコーヒーはなぜだかヨハンおじいちゃんに似つかわしかった。




「さっそくこんなことを言うのもなんなのじゃが、わしは今日楽しみにしていたドキュメンタリー番組をどうしても録画したいのじゃ、かまわんかね?」
もちろん問題ない、と僕が言うとヨハンおじいちゃんは難しい顔をして録画の設定に取りかかった。手を貸そうか?と聞くとあっさり断られた。




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設定が終わってこれから楽しい会話がはじまると思いきや、ヨハンはどっさりとソファーに腰を下ろし、本格的にテレビを見る体勢に入った。
「ねえ、ヨハン、番組は録画するんだよね?」
「そうだとも。でもわしはテレビコマーシャルというものが大嫌いなんじゃ。だからコマーシャルの間はビデオテープの一時停止をするんだよ」
「ヨハン、一時停止って、誰がするの?」
「わしじゃよ」
「それって、これから僕たち一緒にテレビを観るって言うこと?」
「そうじゃよ。今日のドキュメンタリーは面白いはずじゃよ、は、は、はっ」
「、、、、、、、。」




それから約1時間半、僕たちは北米に住むビーバーの物語を一緒に鑑賞した。
ヨハンおじいちゃんはビーバーの生態をいちいち頷きながら感心して観ていたが、僕はお金と時間をかけてこんな遠い町まできて、写真のゴールデンタイムに老人と一緒にビーバーがダムを作るのを眺めている自分に対して、100回くらい「ばか、まぬけ、ダメ男、、、」と並べられるだけの言葉を並べて自分を罵った。




番組が終わり、僕は力なくヨハンに言った。
「ヨハン、僕明日の朝早く起きて写真を撮りたいからもうそろそろおいとまするよ」
幸せ一杯だったヨハンの顔に影が差した。
「何を言っとるんじゃ、、、さっきここに来たばかりじゃないか、、、」
「うん、でももう2時間以上経ってるし、、、」
「でも君、日本からここへ移住した君とスイスからこの国へやって来たわし。まだ若い君と年老いたわし。ホバートに住む君とシェフィールドに住むわし。そんなわしらが今日偶然に出会ったんじゃ。話すことは山ほどあるんじゃないかね?」
「え?ヨハンってオージーじゃないの?」
「ヨハンなんて名のオージーがいたら、そりゃモグリだよ。まあ、多くの人たちはわしのことをジョンと呼ぶのだが。君もジョンのほうが呼びやすいかね?」
「おじいちゃんにはヨハンが似合ってると思うよ。で、ファミリーネームは何ていうの?」
「ファイファーじゃ。ほれ、映画女優でミッシェル・ファイファーというべっぴんさんがいるの知らんかね?あのファイファーじゃ。彼女、わしの娘なのじゃが、忙しくしてるよ」
「え、えぇぇ〜!ヨハンそれホントぉ!すごいよ、それって!」
「嘘じゃよ、は、は、はっ!」
「、、、、、、、、冗談キツいよ、、、」
「ところで、わしが今までに撮った写真を見てもらいたいのだが、その壁の写真なんてどう思うかね?わしの愛するマウント・ローランドだよ」
「うん、うん、ヨハン、いいじゃない。アンセル・アダムスみたいだよ」
「ほ、ほんとかね!」
「嘘だよ、ヨハン!は、は、はっ!リベンジ、リベンジ!」
「や、やりおったな、、、君、なかなか抜け目のない男じゃな、、、は、は、はっ!」




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知らない間にヨハンのペースにすっかりハマっていた。
と、いうよりむしろハマった演技を僕はした。
ヨハンの家の中、見れば見るほど「孤独」という言葉が僕の頭に浮かぶ。
壁にかかっている絵も、棚に並べられた無数の本も、彼が撮った写真さえも全てが遠い昔の物ばかりだった。絵の中の、本の表紙の、カラー写真の、全ての物から過去の色鮮やかだったはずの色がすっかりと抜け落ち黄ばんでいる。この老人はまだその抜け落ちた色の世界に住んでいるのだ。ほとんどの時間をワークショップで過ごし、時折町の人たちと話し、ニコンをぶらさげ美しい風景を撮る。でも、一日の終わりに彼が一人佇む場所は、やはりこの色あせた世界なのだ。




この人はインテリジェンスな人だ。
本棚の並べてある本にくだらない物はない。




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このタスマニアの田舎町で彼の知的好奇心や繊細なユーモアを理解する人間がどれほどいるだろうか?僕の知っている限り、田舎では知的な話を切り出すとたちまちローカルの人間から煙たがられる。




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ローカルニュースを読むテレビの中のお姉さんが唯一黙って彼の話を聞いてくれる人かもしれない。
僕がどれくらい彼の知的センスについていけるのかは分からないが、少なくても彼の話を煙たがらず、楽しそうな顔をして話を聞くだけの許容範囲はあるはずだ。
実際、こうしていきいきと楽しそうに話すヨハンの顔を見ると、明日早朝の撮影などまたいつかここに来てすればいいじゃないか、という気持ちになってくる。
少なくても、こんな僕が一人の孤独な老人をハッピーにできるのなら、それでいいじゃないか、というちょっとおごった気持ちが明日の撮影に対する意欲を上回った時、僕は腰を据えてヨハンとの会話を楽しみはじめた。




僕はポートレイトを撮る時はその人の部屋なり、家なりで撮影するのが好きだ。
被写体の住む場所を見ると生きた被写体以上にその人が見える。
その人に関する深い情報が無言で、しかしながらもの凄いスピードと量をともなって僕の脳に飛び込んでくる。
特に一人暮らしをしている人の家の中はその情報がより明確になる。
そんな中でもヨハンの家から僕の脳に入ってくる情報はあまりにもシンプルでハッキリとした輪郭を持っていた。




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彼は木工と写真と、そしてクラッシック音楽の中で生きている。
それ以外の物は排除し、彼のそばには寄せつけない態度が家中にハッキリと現れている。
彼が持つ本の90%以上は実用書だ。
小説のたぐいはほとんどない。
ワークショップ同様、全ての物が理路整然と組織だって並べられている。
そしてこれもワークショップ同様、あらゆる物にラベルが貼ってあり、その内容が何なのか一目で分かるようになっている。
これが彼の生き方なのだ。
このスイートな笑顔を僕に見せる老人は自分に対してあくまでもストイックで厳しい人なのだ。




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お腹がすいた僕はお茶に誘ってくれたお礼に夕食を御馳走することにした。
彼は何度も僕のオファーを断ったが、それならもうヨハンに会いにこない、と僕がちょっと脅すと、しぶしぶ承諾してくれた。




この町の夜に開いているお店はほとんどない。
最近開店したばかりだというお店で働く女性に対し、彼は饒舌だった。
僕のことを彼の写真の先生で親友だとお店の人に紹介してくれた。
僕もヨハンをもはや親友と呼びたい気持ちになっていた。
その気持ちを彼に伝えようとしたが、その代わりに嬉しそうにテーブルに出されたディナーをたいらげるヨハンおじいさんの顔に、僕はカメラのピントを合わせた。




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(つづく)


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by somashiona | 2007-07-12 19:41 | 人・ストーリー

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