ヨハンおじいさんの唄−3



ヨハンとの夕食を終え、彼の家に戻ると「今晩は泊まっていきなさい」とヨハンに強く勧められたが、その夜はすでにシェフィールドのB&B(民宿)にチェックインを済ませていたので丁重にお断りした。
帰り際、どうしてももう一つだけ見て欲しい物があるからもう少しだけ帰る時間を延ばして欲しいと彼に言われた。
すでに時計の針は深夜をまわっている。
「もちろんオーケーさ。何を見せてくれるの?」と僕は彼に聞いた。
上機嫌でニコニコしているヨハンの顔を見て「ノー」といえる人がいたら教えて欲しい。

この国では誰かの家を初めて尋ねたとき、普通は最初に家中を案内してくれる。
この「家の中ツアー」はどこのお宅にお邪魔する時もとても楽しい。
家の中を見るとその人のセンスや人となりが掴めるし、何よりも特に古い家はバスルームやドアノブの美しい作りを見るだけでワクワクしてしまう。
日本では初めて家を訪れたゲストに夫婦の寝室を見せる人は滅多にいないと思うが、この国ではそれが普通なのだ。
まだ手錠や鞭のたぐいを発見した経験はない。(おっと、失礼)

ヨハンの家を訪れたときも彼は僕に「家の中ツアー」をしてくれたが、一部屋だけ見せてくれない部屋があったので、ちょっと気になっていた。
よく知らない人の家の中へ乗り込む時は、こういう小さなことに敏感になる。
彼が僕に見せたいといったのはその部屋だった。
ドアを開けたとたん中から拷問の道具なんかが登場したらどうしようと思いつつ僕は恐る恐るドアを開いた。




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すぐに新築の家で嗅ぐことができる、あの独特の木の匂いがした。
部屋中全てが木目調で、この部屋だけ明らかに他の部屋とはまったく違うムードが漂っていた。
どう反応していいか決めかねている僕に「この部屋、昨年、やっと完成したのじゃよ。わしの手作りなんじゃ」ヨハンが得意そうに言った。
「ヨハン、なんだかこれでここが熱かったらサウナの中みたいだね」
「は、は、はっ、サウナときたか!この部屋はだな、純スイス風じゃ。分かるかな?この部屋にある物は全てスイスの物だ。わしはこの部屋の中で、スイスの食べ物を食べ、スイスの飲み物を飲み、スイスの音楽を聴いて故郷に思いを馳せるのじゃよ。わかるかな?この部屋はわしには特別な部屋なんじゃ。だから、本当にたまにしかこの部屋には入らないんじゃよ」

僕は突然目頭が熱くなった。
考えるより先に涙があふれた。
本当に突然だったので、自分で自分にビックリした。
僕はホームシックというものとおよそ無縁な男だが、それでも遠くはなれた国で一人住んでいると、知らぬ間に故郷をおもう気持ちは強くなっている。
ヨハンはどれほど長い間そういう気持ちを抱いて生きているのだろう?
父が死んでから涙腺が壊れっぱなしの僕だが、こんな所でトラブルに見舞われるとは思いもよらなかった。
「分かるなんてもんじゃないよ、ヨハン!写真撮らなきゃ、写真だよ!」
僕はカメラで顔を隠した。


また必ずここに来て、こんどは泊まらせてもらうよ、とヨハンと約束して、彼の家をおいとました。




B&Bについても得体の知れない感情に包まれよく眠れぬうちに5時に起きた。




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朝一番にどうしても撮りたい物があった。
マウントローランドを背景にシェフィールドの町を撮りたかったのだ。




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町を挟んで向かい側の山の頂上からいい絵が撮れとヨハンも、このB&Bのオーナーも言っていた。
本当は昨日の夕方そこに行きたかったのだけど、夕方は危ないからヤメたほうがいいとヨハンは真顔で僕に言っていた。
彼は滑落して首の骨を折るまでは趣味ではあるが、シリアスな登山家だったらしい。




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ヨハンになぜシェフィールドに移住してきたのか?と聞くと「そこに山があるからだ」と真面目な顔で答えた。
あなたはジョージ・マロリー(イギリスの登山家「なぜエベレストに登るのか?」「そこに山があるから」と答えた人)ですか?とつっこみたいところだったが、ドイツから数年前にここへ移住し僕が泊まったB&Bのオーナーに同じ質問をすると、やはり同じ答えが返ってきたし、町で立ち話をした人たちもほとんど同じように答えた。ちがうのは"Because it is there."(そこに山があるから)のitがエベレストではなく、マウントローランドということくらいだ。
どうやら皆それが本当にこの町に移住した理由らしい。




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1時間半くらいで頂上につくはずだが、あまり人の行かない山だから登山道を探すのが難しいかもしれないと忠告は受けていた。
三脚とカメラバックと1ℓのミネラルウォーターを持って歩きはじめた。
登山道らしい道があったのは最初の40分ほどで、その後は沢の中をかき分けながら歩いた。
もちろん心の中は不安でいっぱい。
でも、これがもしナショナルジオグラフィックのアサイメントだったら絶対引き返しはしないだろう、と自分に言い聞かせ山を登った。
2時間以上歩いてもまだ頂上につかない時点で迷ったと分かった。




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でも、そんなに高い山じゃない。上がってさえいれば頂上につく、と思いながらひたすら歩いた。気温はどんどん上昇し、三脚は重たい杖になり、ペットボトルの水はもうとっくになかった。3時間半かかって頂上についたが恐ろしいくらいに退屈な景色に目眩がした。
そう、他の誰かがいいと思う景色と、自分の求める物はいつだって違うのだ。面白い映画だよ、と言われ観にいき何度ガッカリして映画館を出たことがあるだろう。それと同じだ。
だが今回はちょっと状況が違う。うだるような暑さの中、しつこいアブに追われ、水もなく、右も左も同じに見えるも林の中を歩かなくてはならない。
僕は脱水症状で具合が悪くなるたび地面に倒れ込み、絶望的な気持ちで何度も木々の間から空を見上げた。




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僕の気持ちに反して、木々の間から見える空は綺麗だった。
結局、帰りも3時間半かかって車を止めた場所にたどり着いた。
頭の中は冷たい水のこと以外、何も考えられなかった。


午前中にこの町を出てホバートに帰る予定だったが、カフェで冷たい飲み物を飲んでいるうちにもう少し人を撮りたい気持ちが高まってきた。

お年寄りの人たちを撮りたかった。




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ヨハンとの会話の後、お年寄りたちを眺め、話しをすると、なぜだか彼らが今までとまったく違う人種に、僕には見えた。
当たり前のことだけど、僕が今まで経験したようなこと、そして、これから待ち受けているであろうこと、この人たちはもうすでに経験済みなのだ。

今彼らは人生をどう見ているのだろう?
人間というものをどう見ているのだろう?

僕が知りたいことの答えを、彼らの一人一人が持っているように見えた。
いや、きっと持っているだろう。







シェフィールドを去る前に、もう一度壁画フェスティバルの会場を覗いてみた。
ヨハンがいきいきとあちこちを走り回っている。
その顔は昨夜僕が見た顔とは、少し違っていた。
僕は彼に声をかけず、その場を後にした。




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(つづく)


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by somashiona | 2007-07-16 19:40 | 人・ストーリー

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