ヨハンおじいさんの唄-最終回



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「今日のディナーはわしが持つ。お前さんにはびた一文払わせんからな」
突然、ヨハンはあらたまって僕にそう言う。
「いいんだよ、ヨハン。僕がお世話になっているんだから、僕に御馳走させてよ」
「いいや、いかん!わしは前回お前さんに持ってもらった。今回はわしの番じゃ!」
目には絶対にゆずらないという決意が表れていたので、僕はヨハンの厚意に甘えることにした。
でも、本当は心が少し痛む。


酒、タバコはやらない。
沸かしたお湯は必ずポットに入れて、さめる前に何かに使う。
寒い冬も家の暖房は滅多に使わない。
ヨハンの家の中は朝から晩まで凍えるように寒く、話しをするたびに口から白い息が漏れる。
それでも、ヨハンにヒーターを使おうと言えない理由は、彼が電気代を節約しているのを知っているからだ。

ヨハンは国からの生活補助金で細々とやりくりしている。
彼の生活はストイックそのものだ。
「仕事が無いって文句を言ってる若者たちを見てごらん。彼らは片手にビールをのジョッキを持ち、口には煙草をくわえているじゃろ。分相応に生活し、その中で幸せを見いだすということを、奴らは知らないんじゃ」
ヨハンの生活を見ていると、今の生活に不満を抱く自分を戒めたくなる。

どれだけ苦労して貯めたお金なのかよく知っているだけに、この夜のピッツァの味は心に染みた。









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「ヨハン、今夜は何をしようか?またビーバーのドキュメンタリー番組やっていないかな?いつも夜はテレビを見ているの?どんな番組を見るの?」
ヨハンの顔が急に険しくなった。
「これはわしの個人的見解なんじゃが、テレビなんじゃよ。テレビが悪の根源なんじゃ。あの箱から垂れ流される醜い情報によって人々は変ってしまったんじゃよ。本当だ。わしは人々が変っていく様を見てきたんじゃ。若いもんたちを見てごらん。どれだけの時間をあのくだらん箱を眺め過ごしているか。彼らの言動のほとんどはあの箱から教わったもんじゃよ、親からじゃないんじゃ!」
まるで毎日繰り返し頭の中で言っているテレビへの怒りを僕にぶつけているようだった。
「じゃあ、テレビはほとんど見ないの?」
僕はなんだか楽しくなってきた。
「ドキュメンタリーとニュース番組以外は観ないな。でも映画は時々観とるよ。おっと、誤解してもらっちゃ困るが、わしが観ているのは最近の汚らわしい映画なんかじゃないよ。ちょっとだけ古いやつだ」
ヨハンの表情から険しさが消えていく。
「えっ、ヨハン、映画が好きなんだ。何が一番お気に入りなの?」
僕は興味津々だった。
「いいかね、この世で一番美しい映画は、ジョン・ウェインの西部劇なんだよ。知っとったかい?」
もうこの時点でヨハンはニコニコだ。
「え、本当?それは知らなかったよ!」
僕もニコニコ。この後、僕たちがどんなふうにこの夜を過ごすのかは、この時点ですでに見えていた。
「お前さん、ジョンの映画で何が一番好きかね?まあ、あまりにも多くの名作があるので一本に絞り込むのは難しいじゃろうが、、、」
「もちろん何本か観たことあるけれど、題名が思い浮かばないよ。特に英語ではね」
「自慢するわけじゃないが、彼の映画のコレクションをわしは持っとる。今夜はジョンの映画を一緒に見よう!」
はい、そう来ると思ってました。
「いいね、ヨハン!」
「映画を見る時は家の中を暗くせんとな、入り込めんじゃろ、あの美しい世界に!」

ジョン・ウェインを立て続けに2本観たが、僕には1本目と2本目の違いがよく分からなかった。でもそんなことはどうでもいい。ジョン・ウェインが馬に乗って悪党を撃ち落とすたびに、手を叩いて喜ぶヨハンを見ているほうが、僕にはよっぽど面白かった。









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ヨハンの家には数枚だけ人物写真が飾ってある。写真はどれも同じ人物だ。誰かの家に人物写真が飾ってあるとき、その写真の人物は間違いなくその人の人生で一番大切な人だ。
彼の部屋でヨハンを優しく見守る人物は、彼の娘さん。
奥さんとはとうの昔に離婚した。
野暮だと知っていながら、別れた理由を聞いてみた。
「わからんねぇ、、、まったく謎じゃよ。分かっているのは女っていうのは、まったくもって難しい生き物だっていうことだけじゃよ」
僕がヨハンなら、やはりそう答えるだろう。
最愛の一人娘はシドニーのテレビ局で忙しい毎日を過ごし、彼女と会うどころか、声を聞くのに電話をかけるのも、ヨハンはためらってしまうと言っていた。
そう話すヨハンは寂しそうだ。












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翌朝5時前に僕は起き、足音を忍ばせてヨハンの家を出た。
凍えそうなほど寒い、静かな朝だった。
この朝撮った一枚は以前僕のブログで紹介した「朝焼けに、馬一頭」だ。
あの写真は僕にとってはただの馬の写真ではなく、ヨハンとの思い出の写真なのだ。
この日、僕は朝の光りで目を覚ますシェフィールドの町を撮った。
毎日繰り返される朝の、ほんの一日を僕はここで過ごしただけなのかもしれないけれど、何か今までにない新しいことがはじまる予感を持たずにはいられない朝の光景だった。








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朝7時半にヨハンの家に戻ると、ガァ〜ラ、ガァ〜ラと何か不思議な音がキッチンのほうから聞こえてくる。
覗いてみると、ヨハンは年代物の自転車漕ぎマシーンに跨がり朝のエクササイズをしていた。
何かハミングしながら完全に自分の世界に入っている。
口ずさんでいるのはモーツァルト、セレナーデ第13番ト長調『アイネ・クライネ・ナハトムジク』だ。
これをi-podで聞いているのならさらに驚いたに違いないが、ちょっと大きめの古いソニーのウォークマンだったので、安心した。








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エクササイズが終わると壁画フェスティバルの写真を撮るため、ヨハンは大きな脚立を担いで足早に会場へ向かった。
その顔はプロのフォトグラファーが仕事に行く時の顔と同じだった。










ヨハンとの出会いで僕の中の何かが変わった。
それが何なのか知りたくて今回この『ヨハンおじいさんの唄』を僕は書いてみた。
不幸なことに、どんな対象を撮影しても僕は自分との関係という枠から飛び出す考え方をできない。
本当は自分が体験したことを通して何か世の中に役立つメッセージを送りたいところだが、いつだって自分の抱える小さな問題と向き合うことに帰結する。


ヨハンは自分の世界をしっかりと持っている人だ。
彼の口からよく出る言葉は "It's not my cup of tea."
今どきの人はあまり使わない表現だけど「これは性に合わない」とか「これは僕の趣味じゃないね」と言う意味。
なんでも上手くやらないといけない、みたいに考えてきた僕にとってなんだか新鮮な言葉だった。
年齢ももちろんあるだろうけど、彼は自分という人間を良く知っている。
得意分野では自分の力を発揮するが、不得意分野では決して無理をしない。
割り切ってしまえば、これは人生をストレス無く生きるコツかもしれない。
でも、彼の今までの人生物語を聞くと、この好き嫌いをはっきりさせる性格が
多くの軋轢を生じさせてきたに違いないことも、察しがつく。
しかし、あのヨハンのワークショップの写真が写し出すように、全てのボックスに見出しがきっちり張られ、あらゆる工具が整然と美しいまでに並べられているのを見ると、「少なくても、自分の世界では妥協を許さない」という彼の強い意志が伺い知れる。


彼の言動の一つ一つが僕の琴線に触れたのは、目立たず、慎ましやかに、それでいて自分に厳しく生きる人間の寂しさを見たからかもしれないし、どこか似た者同士と感じてしまう彼に、自分の将来の姿を見た彼かもしれない。


手先の器用なヨハンは自宅の一室にスイス部屋を作った。
民芸品が飾ってあるあの板張りの「スイスの部屋」には生まれ故郷の村の絵が一枚、壁にかかっている。
淋しい夜はきっとこの絵の前で一人お茶を飲み、子供の頃の記憶の中を漂うに違いない。

人は最終的には生まれ故郷の土に帰りたいと思うのだろうか、、、。

僕の個人的なことかもしれないが、僕を含めた人生を上手く生きられない多くに人たちにとって、ヨハンのような名も無い老人たちの人生から、これからの人生を幸せに生きぬく多くのヒントが得られるのではないかという、ある種の見えない糸のようなものを、ヨハンと一緒の時間を過ごせたことによって、探り当てた気がした。




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(おわり)




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いやぁ〜、いやぁ〜、長い話だったねぇ〜。
こんな長い話、卒業論文以来だよぉ!
え?ルパンって大卒かって?
まあ、その、、、ヨーロッパにある大学でぇ、、、。
まあ、いいじゃん、そんなことは!
それよりみんな、ヨハンの話に付き合ってくれてありがとうね!
それと、コメントの返事こんなに遅くなってごめんよ!
「早い」って言われると情けなくなる事柄もあるけれど、これに関しちゃ「早い」ほうがいいよね!


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by somashiona | 2007-07-19 19:16 | 人・ストーリー

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