記憶の長距離ドライブ




僕が小学校に上がる前、僕の一家はほとんど毎週末、母の姉の家に遊びに行っていた。車で30〜40分の距離だったと思う。
ある夏の日、自転車で遊んでいた子供の僕は思い立った、伯母さんの家に一人で行ってみようと。
道はいつも自動車の窓から見ていたスーパーマーケットの看板、中古車屋さん、不動産屋のビル、学校などが目印だ。
すごくドキドキしたのを覚えている。
思ったよりもずっと時間がかかったが、道に迷ってはいないという確かな自信もあった。
伯母さんの家のドアをノックし、僕が一人できたことを知って驚いた伯母さんの顔が忘れられない。
もちろん僕は得意満々の笑みを顔に浮かべていただろう。
大変なことをしてしまったと分かり、迎えにきた母に怒られるだろうとビクビクしていたが、僕の大冒険を母は絶賛した。
あの時、もし母が怒っていたら僕は冒険をしない子になっただろう。
あの時から僕は遠くに行くことの喜びを知った。



僕の大学時代のハイライトはオートバイで日本一周したことだろう。
和歌山県以外の全ての県をまわった。
1ヶ月半、宿に泊まったのは大雨の新潟でたったの一度、あとはキャンプ、野宿、駅、公園のベンチでごろ寝、そして多くの親切な人たちに無償で泊めてもらい、おまけに美味しいものまでご馳走になった。
和歌山県に行かなかったのはたいした理由ではない。
大学の夏休みはとっくに終わってしまい、すぐに帰らなければ試験に間に合わず、それを逃すと落第してしまうからだ。
その時は重要なことに思えたが、いま考えると落第など気にせず、1、2年じっくりと日本を見るべきだった。
日本一周の最大のテーマは自分にとって一番日本らしい場所を見つけることだった。
尾道あたりが一番日本らしい街だろう、と行く前は思っていたが残念ながら予想は外れた。
僕のオートバイ仲間何人かも時同じく日本中を駆け巡っていた。
出発前に尾道で一度再会しようと半ば冗談で約束した。
8月8日だ。この日付を覚えているのは僕の母の誕生日だから。
この日ではなかったら、きっとこの尾道出の再会の約束はキレイさっぱり忘れていただろう。
一度、阿蘇のやまなみハイウェイのコーナーを攻めているとき、偶然にも友人の一人とすれ違った。お互いに気づき、その日は一緒にキャンプした。
尾道での再会はそれ以来だ。約束に地になんと約束したメンバー全員が揃った。
SR、SRX、GB、なぜか皆、単気筒のライダーだった。
一人一人が恐ろしいほど自由を満喫し、興奮状態だった。
その夜、何を話したかまったく覚えていない。
あの年頃の男たちは、皆自分のことしか考えていないのだ。
あの頃、僕はカメラのカの字も知らなかった。
「見たものは心のフィルムに焼き付けるからカメラはいらないさ」とその時付き合っていたガールフレンドに決め台詞をはいた。
いま考えると超もったいない。
今は「旅をする」はイコール「写真を撮りにいく」だ。
この日本一周の間ほど多くの人と出会った時期はない。
毎日目ん玉が飛び出るほど個性的な人たちと出会い、語り合った。
あの時の僕はまったくなんのフィルターも介さず人を見ていた。
初めて会う人について、何をやっている人か、どんな地位か、金持ちか、結婚しているか、それどころか善人か悪人かも気にしていなかった。
さすがに今はそういかない。大人になるということは使いたくもないフィルターが知らないうちに増えていくことだ。
そんな世の中を知らない青二才に多くの人が、人生を、愛を、冒険を、時には憎しみを、暴力を、悲しみを語ってくれた。
もし僕に文才があったなら、きっと毎晩寝る前にその日に聞いた話をノートに書き留め、10年後には執筆していたかもしれない。
だが、若く、浅く、軽い凡人にはそんなアイディアは頭の片隅にも浮かばなかった。



今回、両距離ドライブをしながら子供の頃の数々の冒険や、この日本一周のことを思い出していた。
これらの冒険や旅によって今の僕の物の考え方のようなものが作られたのだろう。
もし僕の息子が突然自転車と共に姿を消し、3時間後に遠く離れた知り合いの家で発見されたら、さぞかし大騒ぎだ。
でも僕は彼に「おい、よくやったな、すごいぞ」と小声で褒め讃えると思う。
「かわいい子には旅をさせろ」というが僕もそうしてあげられる親でいたい。
僕の人生はいまだに先の見えない旅のようだ。
僕の親は可愛い息子にまだ旅をさせてくれているのだろう。
この旅に終わりはあるのだろうか?
もし写真に出会っていなかったら、僕はこんな人生の長い旅には出ていなかったと思う。
撮ることは考えることであり、行動を起こすことであり、見ることであり、そしてすくいとったものについて再び考えることだ。
撮ることは僕にとって生きることへの原動力みたいだ。
しかし同時にそれは僕にとどまることを許さず、安定を許さない。
いつも獲物を求めている。
しとめる手応えを求めている。
そしてそこに永遠の問いに対する答えを求めているような気がする。


長距離ドライブ。
何度も止まっては写真を撮ることにも疲れ、目の前に飛び込んでくる風景にもいい加減飽き飽きしてくると、思考は過去の記憶がぎっしりと詰まっているハードドライブへ移行する。
ハードドライブの中にはたくさんのフォルダがランダムに並べられている。
フォルダを開けては閉じ、また開けてはしばらく立ち止まって閉じる。
記憶の長距離ドライブは年齢を重ねるほど長くなる。








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by somashiona | 2008-01-19 22:10 | デジタル

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