シングルマザー 最終回



あれや、これやと予想外の出来事に巻き込まれ、カメラを鞄の中から出す事もろくにできず、僕は彼女たちとこのホテルで長い時間を過ごした。
お騒がせの痴話喧嘩女性も、コールガールの彼女も部屋に戻り、やっと母と子の時間が再び訪れたが、このドキュメンタリーの主役であるシングルマザーはすでにもう疲労困憊。
僕が少年を撮っている間、彼女はベッドで眠りに落ちていた。


夜も9時を回り、お腹がすいた少年が無言でベッドに寝ている母親を揺すり起こす。
目を覚ました母親と子供はしばし抱き合い、母親は食事の準備をする。
この日一日、僕はほとんど飲まず、食わずだったが、空腹は感じなかった。
夕食を勧められても断ったくらいだ。
夕食を食べたあと、少年はすぐにソファーで眠りに落ちた。
母も子も、朝起きた時と同じ格好だ。


今このテキストを書きながら彼女と交わした会話を思い出そうとしているが、何も思い出せない。
あの時、僕はきっと、何も言えずにただただカメラを抱え、目の前で起こる出来事を見ていたのだと思う。
30代に入ったばかりの僕、まだ物事を見る目が成熟していなかったのだろう。
まあ、今もさほど変わりはないが。


この時の記憶で強烈に覚えているのは子供が寝たあと、一人で食事をとる彼女の姿がとてもきれいだったことだ。
たった一日だけしか彼女と時間を過ごしていないが、僕が感じたシングルマザーとしての彼女の人生が凝縮された瞬間に思えた。
この瞬間を撮ったとき、「やったぞ、僕はシングルマザーを撮った!」と心の中でつぶやき、安堵した。


仕事でも、個人的テーマを撮影する時でも、僕は呆れるほどシャッターを押し続ける。
一見、『下手な鉄砲数打ちゃあたる』的な撮影方法だが、僕なりにその終点はある。
与えられたテーマ、その撮影で自分が最も強く感じたこと、自分の狙い、そういったものが「撮れた!」と思えたら僕的には撮影を終えていいのだ。
その「撮れた!」の手応えがなく、時間切れで撮影が終わった時は、夜ベッドの中で眠りに落ちる直前まで考え込む。
時には夢にまで出てきてうなされる。
これは冗談ではない、マジな話しだ。

だが、実はこの時こそ、写真を学習している時間だと思っている。
あの時、自分は何を見るべきだったのか?
アプローチの仕方は正しかったのか?
あそこで躊躇せず撮っていれば良かったのではないか?

なぜか、写真の技術的な問題は浮かび上がらない。
僕の写真の技術はまだ未熟だが、やはり考えれば考えるほど、写真を撮るということは、そこでの戦いではないと思うのだ。



ベッドで子供と寝る準備をする彼女にお礼をいい、このホテルを僕は去った。



家に帰るとすぐに現像だ。
アサイメントの締め切りは翌日の午後、どう考えても寝る時間はない。
フィルムが乾くとすぐにコンタクトシート(ベタ焼き)を作り、神に祈りながらルーペで各コマをチェックする。
この瞬間、一番胃が痛む。
たしか使ったフィムルは4〜5本だったと思う。
プロとなった今では信じられないほど少ない本数だ。
今僕がこの出来事を撮るとしたら、同じ状況だったとしても、30〜40本は絶対撮ると思う。
第一、ホテルの写真がまったくないし、部屋の番号、彼らを語る食べ物、本、薬、手紙どころか、主役以外の人間たちの後ろ姿すら撮っていない。
現場に行っていない編集者の人たちはこれらの写真から記事を作らなければならない。
彼らのためにそのときの状況を判断できる写真を撮っておくのがプロの仕事だ。
もしこれが仕事だったとしたら、大失敗だ。



フォトジャーナリズムのクラスを受け持つミスタードイチャック先生はプリントのクオリティにかなり厳しい人だった。
というか、これはミスタードイチャック先生に限らず、この学校ではどんなに写真の中身が良くても、プリントのクオリティが悪ければ評価してくれない。
ファッションを除く日本の雑誌の世界ではモノクロプリントのクオリティを軽視する傾向があるが、アメリカではモノクロプリントのクオリティこそが、写真家のクオリティを語る、とミスタードイチャック先生は言っていた。



プリント作業をしながら、僕は何度も舌打ちをする。
この頃、フラッシュの使い方をまだ心得ていなかったせいで、日中シンクロした被写体に醜い影が出てしまい、プリントでごまかそうとしても、ごまかしきれないのだ。



一睡もできないまま、まだ半乾きのプリントを持ってフォトデパートメントに向かった。
締め切りの数分前にアサイメントは提出できたが、プレゼンテーションのためのシナリオがまったくないことに気がついた。


まあいいさ、ストーリーは頭の中にある。


このフォトジャーナリズムのクラスが始まった時、受講生は40人近くいたが、毎回のアサイメントをクリアーできず、結局クラス最後の日のプレゼンまで生き残った生徒は15人ほどだった。
アメリカの学校は入るのは簡単だが、出るのは難しい。
ここオーストラリアもそうだ。



僕が最後プレゼンテーターだった。
起こった出来事を、僕は身振り手振りを交え、下手な英語で夢中で話した。
話し終わった時、先生たち、生徒全員から拍手がわき起こった。
写真をやりはじめてから、はじめて多くの人に自分の写真を賞賛された瞬間だった。
今まで味わったことのない満足感を、この瞬間味わった。
ミスタードイチャック先生から話があるので彼のオフィスに来るように言われた。
フォトジャーナリズムのクラスの教材で僕の作品を使いたいので全てのプリントを寄贈してほしいということ、フォトジャーナリズムの方向で将来進みたいのならどんな雑誌社にでも推薦状を書くのでいつでも相談してほしいと言われた。
あいにくこの時、僕は写真家アーヴィング・ペンを目指していたのでフォトジャーナリズムの道に進み気はない、と丁重にお断りした。



しかし、この経験によって、あるテーマのもと、特定の人に的を絞って写真を撮ることの喜びを僕ははじめて知った。
カメラがあればどこにでも潜り込み、自分の知らない人生を垣間みることができるということをこの時知ったのだ。


カメラは未知の世界への招待状だ。


今回アップした写真は、今からもう10年以上前のものだ。
写真技術も被写体へのアプローチも知らない僕が撮った拙い写真。
写真を長く続けていると、自分の撮ったどの写真が自分を次のステージに誘ったのか分かる時が来る。
そういう自分の転機になるような写真はそうそう撮れるものではない。
今回の写真は未熟な僕を次のステージに運んでくれ、写真をより一層愛する機会を与えてくれた、僕にとっては忘れることができないお宝写真、という訳だ。











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by somashiona | 2008-03-23 10:37 | B&W Print

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