Melton Mowbray Rodeo - 男たち -1

以前から話しには聞いていた。
メルトン・モウブレイで、年に一度、ロデオ大会があると。

オーストラリアで最も古い国道、ヘリテイジ・ハイウェイ(国道1号線)を、ホバートから北へ車で約1時間走らせた(時速110kmで)場所にある、小さな町だ。
11月、初夏のタスマニアは快晴。
メルトン・モウブレイで国道を降り、砂利道を少しだけ走ると、羊の牧草地の中にインスタントに作られたロデオ大会の会場があった。
辺りを見回すと、テンガロンハット、ジーンズ、ブーツ、馬で溢れ、競技の模様を実況解説する声がスピーカーからガンガンと響き、それに混じってカントリー&ウェスタンの美しい歌声が微かに聞こえていた。
この現実離れした光景に、僕は言うまでもなく胸が高鳴り、よほど目をぎらつかせていたのか、それとも、完全に場違いな格好でカメラを持ってうろついている東洋人は僕だけだったせいか、周りの人たちからの遠慮のない視線をビシビシと感じていた。
写真を撮るためなら、どこまでも卑しい人間になれるフォトグラファーという人種は、そんなことでは引き下がらない。

目の前でロデオを見るのは初めてだった。
牛たちに容赦なく鞭を叩きつける、ビュン、ビュンというその音は凄まじく、その行為に正直いって、胸が痛んだ。
でも、それが彼らの伝統。

メディアの申請もしていないのに、いつもの癖で、人を押し分けづかづかと前に進み、撮影のためのベストポジションを確保する。
こういう時に遠慮がちな行動をとると周りの人たちからヒンシュクをかうが、堂々と行動すると、なぜか人は場所をゆずってくれる。
たぶんオフィシャルか報道関係の人間だろうと誤解するのだろう。
まったく我ながら、図々しいといったら、ありゃしない。

時々、カウボーイたちのパフォーマンスに人々は歓声を上げるが、僕には今ひとつそのツボが掴めず、何を撮っていいのか戸惑う。
僕がシャッターを切る瞬間と彼らが歓声を上げる瞬間が噛み合ないのだ。
まあ、いいではないか。
僕はどういう訳か、何かしらの催し物を撮影するとき、メインとなるものよりも、その周辺の人たちに心奪われる。
観光写真を撮っていたときは、集合写真を横目に一服する観光バスのドライバー。
リングサイドで女子プロレスを撮っているときは、それを観戦する、熱狂的ファン。
大事件が起きて記者会見があるときは、それに群がる報道陣たち。
僕はへそ曲がりなのだろうか、、、。
でも、この日のように、仕事で写真を撮っているわけでないときは、自分の心に従う。
そのほうが楽しいのだから、仕方がない。

ロデオ競技そのものの写真は早めに切り上げ、他の被写体を探しはじめた。
すると、僕の正面を歩いてくる一人の少年に目が引きつけられた。
少年というより、小さな子どもだ。
きっと5歳前後ではないか?
ラフな男たち、タフな女たちで溢れるこの会場内で、色白の彼は体内から光を発散させているようだった。
歩いてくる彼を数カット撮った後、声をかけた。
「テンガロンハットにブーツ、なんだか君もカウボーイみたいだね」
すると彼は立ち止まり、数秒間僕の顔を見つめ、胸を張ってこういった。
「そうさ、見りゃ分かるだろ!カウボーイ。僕はカウボーイさ!」
あまりに真っ正面から、正々堂々と言い切ってしまったので、僕は一瞬きょとんとしてしまい、それから思わず微笑んでしまった。
「オーケイ、そうだね。君は誰が見たってカウボーイだよ」
すると彼は満面の笑みを浮かべ、すたすたと僕の前から去っていった。

数時間後、図々しい僕はこのロデオ大会の運営者を紹介してもらい、出場者たちが控える場所に入り込み、選手たちの競技前の表情を追いかけていた。
すると、先ほどの男の子がヘルメットをがぶり、馬にまたがっているのを見つけた。
なんと、彼もこの大会に出場するのだ。
彼が先ほど自信に満ちた表情で、自分はカウボーイだと言い切ったわけが納得できた。
彼に一言「頑張れ」と声をかけたかったが、闘志みなぎる彼に言葉をかけられなかった。
いよいよ彼の出番だ。
こんな小さな子が、どんなふうに馬を走らせるのだろう?と僕は期待でいっぱいだった。
彼のお姉さんらしき女の子が手綱を引いてゲートから走り出した。
お客さんから大歓声が響く。
彼は今にも馬から落ちそうだったが、歯を食いしばって馬にしがみつく。
そして、無事に戻ってきた。
拍手喝采。
満足気な彼の表情は、そこにいた全てのカウボーイたちのものと、まったく同じだった。


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# by somashiona | 2007-03-26 09:23

ソーマとシオナ Vol.1

僕は写真を撮る事が好きだが、それと同じくらい写真を見るのが好きだ。
どういう訳か大御所の先生と呼ばれる方々が撮った写真より、高校生がキャーキャー言いながら撮った写真、足腰の弱ったおばあちゃんが公園のベンチに座って撮った写真、初めての子どもを授かったママが飽きもせず毎日写す同じような写真の数々、、、こういう写真にハッとさせられる事が多い。

頭にこびり付いて離れない写真がある。
写真を学んでいた当時、僕はハリウッドに住んでいた。
当時ハリウッドは華やかどころか、映画スターを夢見て世界各国から集まった若者たちが、夢破れ、身を売り、ドラッグに手を出し、人を殺す、危険きわまりない場所だった。
一方、隠れた才能にあふれる街でもあった。
メチャクチャな生き方が許されるその街は他人の目を気にせず、自分の世界を追求するのにはもってこいの場所だったのだと思う。
1週間以上、誰とも口をきかず、暗室作業に没頭するなんていうことが、当時は度々あった。
僕の住んでいたアパートの男性住人の80%以上はゲイだった。
その中でも特に僕と仲の良かったMGは自称画家、ダンサー、俳優、そしてフォトグラファーだ。
ハリウッドでは好きなように自分を名乗れる。
僕がアクターだと言えば周りの人間はアクターとして付き合ってくれるだろう。
でも、誰も他人の事など信じてはいなかった。

ある日、彼はカメラのマニュアルを手にして深刻な顔で僕の部屋のドアの前に立っていた。
「マナブ、最近思うように写真が撮れないんだ。それでカメラの事をもう一度勉強しようと思ったのだけど、シャッタースピードとアパチャー(絞り)のコンビネーションって何の話し?」
彼は既に40歳過ぎ。
それでそんな質問をするものだから、僕は彼の写真を見たいなどとは思った事がなかった。
かつてチャップリンや売れる前のジョニー・デップが住んでいたといわれるそのアパートの地下にはストレージ(物置)として用意された広い空間がいくつもあり、その一つをMGは自分のフォトスタジオとして使っていた。
フォトスタジオといっても、壁は一面カビだらけで、薄暗く、水の滴る音がつねにどこからか聞こえるような場所だ。
工事用に使うハロゲンライトが無数に置かれた(彼はストロボの使い方など知らず、値段も安く、目で光を確認できるハロゲンライトを好んでいた)その空間は友人の僕でさえ、二人きりになると身の危険を感じてしまう独特の空気が漂っていた。
彼の情熱は、毎晩ストリートにくり出し、若い男をハントし、このスタジオに連れ込み、自慰させ、射精の瞬間をフィルムに収める事だった。

シャッタースピードとアパチャーの関係を説明する際、彼は自分のポートフォリオを持ってきた。
ポートフォリオといっても、カラープリントされた8x10サイズの写真が無造作にファイルされたもので、その厚さは高価な百科事典ほどあった。
どんな内容なのか事前に知らせれていたので、イヤだなぁ、と思いながらそのフォリオを開くと、目が釘付けになった。
そこには、美、エロス、情熱、陶酔、愛、衝撃、全てがあった。
若い男の身体を心から愛する彼でなければ見えない視線が、たしかにあった。

僕は何が本当に好きなんだろう?
何を心から見たいと思っているんだろう?
彼の写真を見て以来、その事をつねに考えるようになった。

写真を学んでいる学生さんから写真を見て欲しいと言われる事が時々ある。
人の写真に意見するような立場ではないのだけど、なにせ、写真を見るのが好きなので、いつも喜んで彼らの作品を見せてもらう。
僕が彼らの作品を見る前に、無意識に期待しているのは、彼らにしか見えないものだ。
フィルターやフィルムのテストシューティングのような写真や、「道」みたいなタイトルのモノクロの重たい写真だったりすると、少しだけガッカリしてしまう。
例えば「道」のような写真を撮った19歳の少年がいたとして、彼が今一番夢中なのは付き合ったばかりの彼女だということが分かれば、僕は彼がその彼女を撮りまくった写真を見たいと思うだろう。
見る前から、面白い写真だと断言できてしまう。
僕は写真にそういうものを期待してしまう。
誰かの目を通して、その人が味わった感動、喜び、悲しみを疑似体験したいのだ。

さて、こんなに長々と前置きをしたのには訳がある。
今日の写真は僕のブログをみて頂いている皆さんをガッカリさせてしまうと思うからだ。
でも、早い段階で打ち明けておきたい。
僕がこのブログをはじめた理由は、タスマニアで成長する僕の子どもたちの姿を記録したかったからだ。
そう、まさに「タスマニアで生きる、親バカ日誌」だ。
ブログという場で自分の家庭の内情を暴露するのもなんだが、僕は子どもたちに土・日の週末しか会えない。
僕は毎週末を100%子どもたちに捧げている。
おかげで、見えないものが少しだけ見えるようになり、子どもと共に僕も成長し、タスマニアという土地にますます感謝するようになっている。

僕は写真に情熱を捧げているが、もし家が火事になってネガやデータが入っている箱を一つだけ外に持ち運べるとしたら、迷いなく子どもたちの記録をが入った箱を選ぶと思う。
彼らを撮る僕の写真こそが、まっすぐな僕の目だと思っている。
これからも子どもたちの写真をたくさんアップしていきたい。
退屈するかもしれないけれど、もしよかったら、見て頂きたい。



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ソーマ、7歳


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シオナ、5歳 


僕は彼らから、ダディと呼ばれている。
日本でダディと呼ばれるのは、郷ひろみくらいだろうが、ここでは僕のようなぱっとしない父親も、ダディなのだ。
二人が話せる日本語は「おはよう」「おやすみ」「こんにちは」くらいだ。
時折、「ごちそうさまぁ〜!」と叫んで食事をはじめる二人を見て、ガクッとしてしまう。



2006年は毎週末、自転車の特訓に明け暮れた。
子どもたちの自転車特訓には思い入れがあった。
僕が初めて自転車に乗れるようになったのは、シオナと同じ歳の頃。
運動グランドで母が何度も何度も背中を押してくれた。
僕も何度も何度も転んだ。
乗れたときの喜びは、今もなお鮮明だ。
僕の背を押す母の手の感触すらまだ感じる。
そして今、僕は同じ事を子どもたちにしている。
きっと子どもたちもこの思い出を忘れないだろう。
そして、彼らが彼らの子どもたちの背を押すとき、僕と同じ思いを抱くに違いない。
この小さな努力が親子の絆をつくるのだと思う。

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まずは、兄のソーマが手本を見せる。兄の力を誇示する絶好の機会を彼は見逃さない。


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兄のワンマンショーが何週間か続く。


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シオナはただただ、走って、兄を追いかけるばかりだ。


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しかし、この日のシオナは違った。
もう、兄を追いかけるのにはうんざりだ。
顔には、今日こそやってやるぞ、という闘志がみなぎっていた。


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ソウマがデモンストレーションをしている間、巨大な客船がホバートの港に寄港した。


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船の写真を写そうと立ち上がると、フレームの脇に、自転車に乗れず、悔し泣きをするシオナの顔があった。


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今度こそ、絶対に成功させてやる!


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でも、カメラを向けるとこの笑顔。フォトグラファーの父を持ってしまった子どもの宿命か?


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顔も、手も、身体も擦り傷だらけ。


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しかし、ついにやったぁ〜!一人で乗れたぁ〜!
周りの人たちが僕たちを見て笑いながら手を叩いているのに気がつく。
ハシャイでいるのは子どもたちではなく、僕のほうだった。


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シオナ、得意げな顔。


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兄のソーマも大満足。


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シオナ、よく頑張った!

# by somashiona | 2007-03-23 11:30

オーストラリアン・ナショナル・マウンテンバイク・シリーズ−1

2年ほど前からハマっていることがある。
マウンテンバイクだ。

当時働いていた職場を去って、再び写真の仕事をはじめたいという思いをボスに話すと、しばらくは間違いなく貧乏生活が続くだろう、と彼は心配してくれた。
「でもね、マナブ、ここホバートは自転車とご飯を食べさせてくれる友達さえいれば、なんとかっやっていけるところさ。実際、僕もそうやって何年か過ごしていたよ」
約一ヶ月後もその言葉がなぜか頭から離れず、職場の近くの自転車屋さんにブラッと立ち寄り、1台のマウンテンバイクに一目惚れした。

小学校以来自転車など乗ったことがなかった。
子どもの頃、自転車は足の延長であって、辛いとか、大変だなどという記憶は、僕にはまったくない。
でも、乗りはじめてすぐに1000ドル以上もするバイクを買ってしまったことを深く後悔した。
ホバートは坂だらけの街、加えて僕の住む場所はマウント・ネルソンという山の上だ。
どこへ行くにしてもこのくねくねの坂道を永遠と自転車で登るハメになる。
それでも泣く泣く続けると、1ヶ月もしないうちに身体は引き締まり、体重もみるみる落ちていった。
その頃、バイクで走るのは常に普通の道であって、山の中のトラックを走ったことはなかった。
そんなことは最初から考えていなかったし、マウンテンバイクのダウンヒルなどは頭のおかしい人間のお遊びだと思っていたからだ。
しかし、山を経験した後、考えがまったく変わった。
あの美しいタスマニアの自然の中を、汗だくになって駆け抜ける体験は、快楽とよんでもいいだろう。
(僕は快楽にひれ伏してしまう傾向がある)
しかし、快楽にはリスクがつきもの。
代償として腕、足はつねに擦り傷が絶えず、一度は頭を強打して、救急病院にも運ばれた。
このたぐいの話しをはじめるときりがないので今日はここで終わりにするが、マウンテンバイクのおかげで、このタスマニアをますます好きになっているのは事実だと思う。

今日お見せする写真はタスマニアのグレノーキーという場所で2006年11月に開催された「オーストラリアン・ナショナル・マウンテンバイク・シリーズ」の模様だ。
ローカルのライダーだけではなく、オーストラリアのトップライダーも顔を見せるチャンピオンシップだ。
そのレベルの高さには息をのむ。
この写真は今後何度かにわけてお見せしたい。

実はこのマウンテンバイク・シリーズを撮る前、オーストラリアのF1レーサー、マーク・ウェバーが主催する「マーク・ウェバー・ピュア・タスマニア・チャレンジ」というアドベンチャー・レースの取材で1週間にわたりタスマニア中を廻った。
取材自体は超ハードだったが、充実した時間を感動的な人たちとともに過ごすことが出来た。
しかし一方で、マウンテンバイクの躍動感溢れる絵が撮れなかったという個人的な課題が残った。
マーク・ウェバー・チャレンジには各国からのメディアが参加し、他の国のフォトグラファーたちと有意義な情報交換をしたが、強烈だったのはオフィシャルとして働いていたGettyimages(ゲッティイメージズ)のフォトグラファーだった。
ゲッティイメージズは今や世界でも最大級のフォトエージェンシーで、世界中にトップクオリティーの写真を供給している。
驚いたことにオーストラリアでのゲッティイメージズ・スタッフ・フォトグラファーは7人くらいしかいない、と彼はいう。
政治、芸能、スポーツなどとそれぞれの専門があるので、そういう意味では彼はオーストラリアのスポーツ・フォトグラファーとして、トップクラスの人物だろう。
サッカーワールドカップはもちろん、つねに世界中を撮影で廻っていると言っていた。
幸運なことに、1週間、僕は彼と二人で行動を共にし、マーク・ウェバー・チャレンジを追った。
この話しはいずれマーク・ウェバー・チャレンジの写真を紹介する際に詳しくするが、今ここで言っておきたいことは、彼の撮るための執念は半端なものではなかった、ということだけ伝えておきたい。それはもう、半端じゃない。
この時、彼から学んだ一番大切なことは、「安全な写真ばかり撮っていては、それがどんなにいい瞬間であったとしても、世界では通用しないさ」と言った彼の言葉だ。
"Manabu, take a risk!!"と彼はよく僕に言った。
仕事で写真を撮っている時、決定的な瞬間を1/8で流し撮りする、というようなリスクを負って写真を撮れ、ということだ。
これがどんなに恐ろしいことか、仕事で写真を撮っている人は痛いほど分かるはずだ。
失敗が許されないプロの世界で、それをやってのけるということは、凄まじいほどの技術的自信を持っているということに他ならない。

このマウンテンバイク・シリーズの撮影は、新たな撮影技術を身につけたいという思いでいっぱいだった。

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# by somashiona | 2007-03-22 10:40

"Calm" - 1

「タスマニアで生きる人たち」というお題目を立てておきながら、第5回目にして早くも趣旨から脱線するが、今日はタスマニアの風景を見ていただきたい。

ここタスマニアに来るまで意識して風景写真というものを撮ったことがなかった。
僕にとって写真とは、人が写っているもの以外の何ものでもなかったからだ。

オーストラリアに移住し、安住の地を求めてブリスベンから東部を中心に旅した。
毎日がテント生活で、娘が初めて自分の足で立ち上がったのもテントの中だった。
なかなか納得のいく場所が見つからず、ついに南の果てタスマニアまで来てしまった。
そして、この土地に一目惚れ。

ここタスマニアは光が美しい。
空を見上げているだけで、そのめまぐるしく移り変わる光や雲に心を奪われ、飽きることがない。
人、森、川、海、丘、大地、すべてが素朴で温かい。
ニューノーフォークという小さな町に居を構え、新しい生活がはじまった。
同時に僕の写欲も沸々と沸き起こった。
撮りたいと思ったのは、人ではなく風景、という自分の感情に、正直驚いた。
タスマニアの冬の静けさを撮りたい。
3ヶ月間限定で風景を撮ってみようと思った。
テーマは "Calm" 静けさ、だ。

ちなみに僕はテーマが見つからないと、なかなか写真が撮れない。
仕事の写真はテーマを与えられるので、純粋にそれに従えるが、個人的な写真は情熱を持って追いかけられる、このテーマを見つけ出すことが難しい。
本当にこれを撮りたいと思っているか?
時間やお金をかけてまで、それを追いかける価値があるのか?
それは本当に自分の心の奥底から沸き上がる欲求なのか?

朝くらい時間に起きて、車で走り回り、日が落ちたら家に帰る。
思いがけない発見がたくさんあった。
観察することの大切さ。語りかけてこない相手の声を聞く態度。
自分との対話。忍耐。素早さ。読み。
自分のイメージするモードにどうしても感情移入できず、諦めて家に帰ってしまうことも度々だった。
たった3ヶ月間だったが、1年間旅をしたような気持ちになれた。
人を撮るのも、自然を撮るのも、同じ態度でのぞまないと欲しい物は手に入らなのだな、と感じた。

写真の新たな楽しさを発見し、さらに写真に恋してしまった。


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# by somashiona | 2007-03-21 09:27

トニー・ブル

ドアのベルを押す手が震えていた。
全身が緊張の固まりだった。
一体どんな男だろう?

前日、オーストラリアの全国紙、The Australian、のデスクからアサイメントの依頼が来た。
サブジェクト:トニー・ブル
記事の内容:オーストラリアでもっとも悪名高いタスマニア・リズドン刑務所に17年間服役していた男がその独房での体験を語る。
コンタクト・ナンバー及びアドレス:ーーーーー。
ジャーナリスト:なし

この新聞の仕事を受けるのはこれで2回目だった。
1回目の仕事は自分としては60点の出来。
この点数はプロとしてのクオリティーはクリアしているが、自分も依頼主も感動するというまではいかない内容。
この1回目の仕事を終えた時点で、もうこの新聞の仕事は来ないだろうと肩を落としていた。感動、驚き、涙を与えられなければプロじゃないし、一度のチャンスでそれを見せられなければ、ここでは通用しないのだ。
それを見せられる技量を持ったフォトグラファーがごまんといて、皆ひょっとすると自分に訪れるかもしれないチャンスのために、諸刃の剣を磨いている。
この小さなタスマニアは特にそうだ。
メディアの仕事を依頼されるフリーランスのフォトグラファーはたったの3〜4人しかいない。
皆、その道のベテランたちだ。
日本人の、しかも語学もままならないフォトグラファーに依頼主が期待するのは今までにない感動だろう。

しかし、考えてみて欲しい。
日本に住む外国人フォトグラファーが新聞から仕事の依頼を受けるとする。
もとコメディアンのそのまんま東という男が県の知事になった。
驚く写真を提供して欲しい。
そのまんま東という名前を聞いた時点でフライデー襲撃事件、淫行事件、かとうがずこ、北野たけし、などというキーワードが頭に浮かばなければ、いい写真を得るのは難しいと思う。
報道写真はその背景となる知識や認識がどれだけあるのかが重要なのだ。
オーストラリアに住み、まだ5年の僕にはそれがない。

ドア・ベルを押すとき、いいストーリーを読者に伝えようという使命感よりも、自分の写真を認めてもらおう、という薄汚い煩悩が脳みそから溢れていた。

ドアがゆっくりと開いた。
薄暗い室内から浮かび上がったのは二つの鋭い眼差しだった。
「ヨシっ!いただきだ!」と心の中で叫んだ。
この目、この顔、このオーラ、いい写真が撮れないはずがない!

通常こういったアサイメントは15分から30分くらいで撮影を終わらせる。
でも、今回の仕事は締め切りまで数日間余裕があった。
僕はカメラを脇において彼と会話をはじめた。

見た目は怖いが、話し始めるとすぐに、彼が繊細で、自分に自信がなく、誰かに認めてもらいたがっているタイプの人間だ、と感じた。
歳を聞くと、僕と同じだ。子どももいる。
突然、親近感が湧いた。
その彼が17年間、自分の人生を失ったのだ。
17年間。
いったい何をしでかしたのだろう?
きっと誰かを殺したに違いない。
彼の刑務所での経験、子どものこと、将来のことなど話し合い、彼も心を開きはじめた。
でも、何をして刑務所に入ったのかは最後まで聞かなかった。
なぜか、それが礼儀だと感じたからだ。

「あの檻に閉じ込められれば、どんな善人だって悪人になるさ。奴らはオレたちをクズとして扱い、オレたちがどんなにクズで、これからもクズであり続けるってことを徹底的に叩き込むのさ」

「そういった扱いに対して俺たちは煮えたぎる怒りを感じるけれど、何も反論が出来ない。凍りつくような夜にブランケット一枚しか与えられなくても、人としての権利を主張できない。なぜだか分かるかい。オレたちには学がないのさ。感じたことを筋を通して、理路整然と伝える言葉を知らないんだ。そこでオレは本を読みはじめた。オレたちの主張を代弁する役割を担った。そして結果的に何度も独房に入れられたわけさ」

「出所してからすぐにオレは大学に行きはじめた。笑うかもしれないけれど、ムショを出るまで勉強だなんて気取った奴のする時間の浪費だと思っていたよ。最初の数ヶ月は黙って椅子に座って、人の話を聞くってことが苦痛以外のなんでもなかったよ。だってさ、子どもの頃から人の話しなんてろくすっぽ聞いたことないんだから。でもね、オレ、どうしてもソーシャルワーカーになって、オレたちのような人間を救いたいんだよ」

彼は失った人生を必死に取り戻そうとしている。
これからの人生を誰かの役に立ってすごしたいと思っている。
シャッターを押すのに十分な動機は揃った。
もう僕の頭の中からは、自分の写真を認めてもらいたい、という煩悩が消えていた。

彼の写真を撮りはじめる時間だ。


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# by somashiona | 2007-03-20 08:10

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