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写真とは摩訶不思議



夕暮れ時の海岸沿いに立ち、いつもとあまり変わらない海を眺める。
すると、右の方から若いカップルが、左からは熟年の二人が歩いてきた。
二組の男女の歩調はほぼ同じ。
まるでビーチの真ん中に流れこむ潮水の辺りに大きな鏡があって、その中に、男女の過去と未来が映りこんでいるようだった。
この二組の男女が交差したとき、彼らはお互いの存在など気がつかなかったかもしれない。
たまたまそこを通りかかった、何の接点もない他人同士。
そして、この二組の男女と何の接点もない東洋人の男がその様子を眺め、写真に収める。
2012年秋の週末、タスマニアのビーチ沿いを歩いたことなど、彼ら自身でさえ2、3週間もすれば忘れてしまうかもしれないが、その瞬間は彼らの意思とは関係なく、永遠に残され、ひょっとするとこの写真を見たまったく知らない誰かの心にも残るかもしれない。
写真とは摩訶不思議なものだ。












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by somashiona | 2012-10-03 23:14 |

シオナと遊ぼ



ソーマがハイスクールに通うようになってから、子供達と過ごす週末の内容が少々変わってきた。
毎日、宿題一つでないソーマやシオナの学校の教育方針に呆れるよりも、不安が募っていた僕だが、ソーマが私立のハイスクールに通うようになって、状況は一変した。
宿題、課題の雨あられ、特に週末はタップリと。
僕としては週末が唯一の子供たちとの時間なので、皆で一緒に思いっきり楽しいことをしたいのだが、ソーマは僕の家に入るとすぐにノートブックの電源を入れ、ホームワークをはじめてしまう。
土曜日ですべて終わるときもあれば、日曜までまたぐ時もある。
「ソーマ、学校の宿題なんてさ、人生の中ではほんの些細なコトなんだから、たまにやらなくたってたいした問題じゃないよ。ねっ、コンピュータの電源を切って、ダディと遊びに行こ」と僕が言うと、「ダディ、こういう些細なコトの積み重ねが大切なんだよ」とソーマが答える。
親子関係逆転の瞬間、、、。
僕がソーマの年齢の時は宿題をこなすことより、やらなかった言い訳を考えることに、より労力を使っていたものだが、、、。
しかし、僕たちとの時間を作るために、日曜の朝5時頃一人で起きて、まだカーテンを閉めきった部屋で一人黙々と宿題をやる彼を見ると、これ以上悪の道へ引きずり込んではいけないと思い直すダディであった。












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そんな訳で、最近の週末はまだまったく宿題のないシオナと過ごす時間が多くなる。
ソーマが一人で集中できるよう、僕たち二人はよく散歩に出かける。












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僕がスナップショットを撮るのを後ろで見ていて「ダディ、今日は影を撮っているんだね」と指摘するシオナ。
はい、大正解!
「じゃダディ、今日は私たちの影を撮ろうよ!」と地面に長く伸びた僕たち二人の黒い影を指さすシオナ。
うん、いい考えだ。
そうやって、僕たちは影を観察しながらクリエイティブな散歩をする。












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家の中でもソーマが宿題をやっているとき、僕とシオナは料理やクッキー、ケーキ作りを一緒にし、そしてシオナの得意分野である絵を描くことに時間を費やす。
この日(昨日)は雑誌の中の一枚の写真をどちらが忠実に素描(デッサン)できるか選手権を二人で開催した。
短い時間で鉛筆だけを使ってコピー用紙の上に雑誌の写真を書き写すのだ。
結果を見て僕は認めざるを得なかった、シオナのほうが遥かに正確な絵だ(右がシオナ、左が僕)。












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子どもが二人いると、最初の子供のほうが一緒の時間を多く過ごしがちになると思う。
最初の子どもの写真はたくさんあるけど、二人目の子の写真は少ない、というお父さん、お母さん、きっとたくさんいるだろう。
もちろん二人とも比べようがないほど等しく愛しているが、どちらかと言えば、ソーマに対する方がシオナに対してよりも僕は厳しい態度をとることが多いようだ。
僕と同性の男同士だからということもあるが、最初の子供だから期待値もきっと大きいのだろう。
ソーマが忙しくなった今、シオナとより強い絆を作るチャンスだ。
いつかシオナにボーイフレンドが出来て、ダディLoveじゃなくなる前に、たくさん彼女といい思い出をつくろう。





ソーマの写真以外はX100




あ、そうそう、前回シオナがはじめて作ったYouTubeのビデオ、沢山の方々が観てくれて、彼女、凄く喜んでいました。
みなさん、ありがとう!

今日もシオナが作ったミニミニアニメーションを。
パソコンの前になにかもじもじやっていると思ったら、こういうものをあっさりと作ってしまう今の子供たち。
この子たちが大人になったとき、僕たちが目にするもの、体験することは、きっと凄いことになっていると思う。


























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by somashiona | 2012-10-01 16:12 | ソーマとシオナ

大切な一枚

これだけたくさん写真を撮っていても「あっ、大切な一枚が撮れた」と思える瞬間は年に3度もない。
大切な写真、意味のある写真。
写真はどんなものだって大切な写真だし、自分にとって意味がなければそもそもシャッターを押さないだろう。
あまり考えずに撮った一枚が誰かにとってとても意味のある大切な一枚になり得ることもあれば、それが大切な一枚だと後々になって分かることや、自分だけにしか分からない写真だってある。
しかし、撮ったときに「間違いなく大切な一枚が撮れた」と確かな手応えというのを感じることは少ないのだ。


我が娘、シオナの関心はもうかなり長いことアートに集中している。
生まれてから11年の人生で、彼女が何ものにも代え難く、好きだ、夢中だ、と言えるものがアートなのだ。
機関車トーマス、恐竜、折り紙、カードトリック、写真、料理、世界中で発生する地震のチェック、いつも何かに夢中だが、その内容がコロコロと変わる兄のソーマとは大違い。笑
シオナの心をアートが独占しているのは、もちろん画家である母親の影響が大だろう。
家の中はいつでも絵の具やキャンバスだらけ。
一緒にでかけスケッチをし、真っ白なキャンバスに徐々に色が乗せられる過程を眺め、完成した絵がアートギャラリーに飾られ、何千ドルという金額で売れていく様子を日々見ているのだ、影響を受けて当然かもしれない。
(僕が写真を撮ることに関しては影響を受けるどころが、ウンザリしている子供たちだが、、、涙)
シオナの母親もやはり小さい頃からアート、アートの毎日だったらしい。
自分のたどった道を幼い娘が同じように歩む様を見るのは、母親にとってもたぶん嬉しいことだろう。


週末、いつものように子供たちを迎えに行くと、子供たちの母親は仕事の真っ最中だった。
個人のお客さんからギャラリーを通して注文を受けた絵を期日までに仕上げるため、手を休められないのだと、少し疲れた笑いを浮かべた。
彼女は自分のアトリエではなく、自宅のキッチンで絵を描くことが多い。
たぶん、そこが一番クリエイティブな気持ちになれる場所なのだろう。
キッチンなので仕事をしている彼女のまわりを当たり前に子供たちがウロチョロしている。
子供たちにとって母親の記憶は、台所でまな板の上の野菜を切り刻む包丁の音と共に、ではなく、キャンバスに筆を走らす音と匂いと共にあるはず。
母親が絵を描く様子を母親と同じ視線でシオナが後ろから静かに眺めている。
僕は慌ててカメラのスイッチを入れ、シャッターを切った。
この一枚を撮ったとき、これがシオナにも母親にも忘れ難い大切な一枚になるだろう、と確信した。
シオナが将来有名な画家になり、画集が出版されたときに必ず使われる一枚だ。(親ばか)
この手応えは、年に3回あるかないかのうちの貴重な1回。
毎回こんな手応えで写真が撮れればいいのだが、こればっかりは突然降ってくるものであって、狙って撮れるものでない。
大切なのは、たぶん、いつもカメラを持ち歩いているということだろう。
DSLRでもミラーレスでもなんだっていい。
カメラを常に持っていることだ。
















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昨日シオナからメールが来た。

hi dad this is my first you tube video

(ハイ ダディ、私の初めてのYouTube ビデオよ)

タイトルは「コティ・ザ・ドッグ」
彼らはラブラドゥードルのアプリコットをコティと呼んでいる。





















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by somashiona | 2012-09-26 18:46 | ソーマとシオナ

靴の話のつもりが、、、



日本に帰ったとき、「ああ、いいなぁ」と感じるのは家のドアを開けると玄関があること。
たぶん、これを読んでいる皆さんにとっては「???」な話かもしれないが、ちょっと想像して欲しい、玄関のない自分の家を。
目をつぶって家のドアを開け中に入ると、何の段差もなくそのまま居間まで歩けてしまうということを。
日本では家の外と中を物理的にも精神的にも隔てるものがドアの他に玄関の段差というカタチで存在するのだ。
それは民家だけでなく、市営体育館やプールといった施設でも同じだろう。

こちらに住んでいると靴の置き場所に困る。
玄関がなく、下駄箱もないのだから。
下駄箱と書いて今ふと思ったが、靴を置く場所のことを今でも日本では下駄箱と呼ぶのだろうか?
下駄って何?という若い人はいないのだろうか?
あっ、話を戻そう。
例えば12足(12種類の靴ということ)くらいの靴を持っていたとしよう。
毎日の生活で必要なのはせいぜい2,3足だろう。
普段履かない10足はクローゼットの中にしまっておけばいい。
しかし、メインで活躍する3足はやはり家の入り口付近、すなわちドアのすぐそばに置いておきたい。
僕は一人暮らしだから3足で済むが、4人家族なら12足だ。
玄関のない家のドア付近に置かれた12足、これををいったいどうすればいいのか?












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僕は家のドアの外に3足、そしてドアの内側、つまり家の中のカーペットの上に3足置いてある。
家の中のカーペットの上に無造作に置かれている外靴というのは、たぶん日本人にとって生理的に不自然さを感じる光景ではないか?
海外生活13年以上の僕でも家の中に転がっている靴を見るたび、どうも気持ちがしっくりこない。
靴箱のようなものを買って、ドアの付近に置けばいいだけの話なのだが、ドア付近にはマウンテンバイクや空気入れやらが散乱していて、それ以上余分な物を置きたくない。
と、ここまで書いて気がついたのだが、要するに僕は整理整頓が出来ないのだ。












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そういえば、今日は家の中で一日書類整理をしているのだが、家の中はもうくちゃくちゃ、、、。
そういう状況もたまには記録しておくべきだと思い、数枚シャッターを切る。
そこで突然写欲に火がつき、Casa de Fotografia(家で写真) あ、こんなスペイン語はないか、、、。












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靴の話をしたかったのに、家の中の写真を撮っているうちに話の着地点を忘れてしまった、、、。
家の中も頭の中も、只今混沌としています。













靴の写真以外は全てX100

























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by somashiona | 2012-09-24 16:32 | デジタル

平均睡眠時間




朝、目が覚め、寝ぼけ眼で目覚まし時計を見て驚いた。
あれ、10時間も寝ちゃった!
僕の平均睡眠時間は6時間、10時間睡眠というのは病気などで寝込んだことを除いては、ここ数年なかったと思う。
今週はずっと休みなしで働いているので、疲れがピークに達しているのだろう。

オーストラリアの人は、いや、この言い方はちょっと違う。
タスマニアの人は、このほうが正しい。
タスマニアの人はタップリと睡眠をとる、と断言しても間違いじゃないと思う。
僕は誰かと話をするとき一日の平均睡眠時間をたずねる癖がある。
タスマニアで生まれ育った人にそれを訊ねるとき、8時間を切るという答えをあまり聞いたことがない。
毎日10時間近く寝る人もざらにいる。
しかし、メインランド(シドニーやメルボルンなどのオーストラリア本土)からタスマニアに移り住んだ人は8時間を切る答えが多い。

ふと気になって、さきほどちょっとネットで調べてみた。
2006年のオーストラリアの国勢調査によると国民の平均睡眠時間は8時間31分で1997年と比較すると5分も減ってしまったと嘆いていた。
8時間31分、これってちょっと多すぎないか、、、?
2012年の新聞The Ageにおいて睡眠時間を取り上げた記事では14歳から70歳までの1500人を対象にした調査によると、平均睡眠時間は7時間だと言っている。
あれ、国勢調査とぜんぜん違うじゃない!
こんなのタスマニアじゃありえない!
もう少し調べると、オーストラリアのナショナル・スリープ・リサーチ・プロジェクトというサイトに辿り着いた。
このプロジェクトの調査によると男が平均7時間59分で女が平均8時間3分、そしてオーストラリア人の平均睡眠時間は8時間1分ということになる。
うん、やっと納得。
ちなみに、ブリスベンなどの都市があるクイーンズランド州は7時間56分、シドニーがあるニューサウスウェールズは7時間58分でメルボルンがあるヴィクトリア州は8時間5分だ。
では、オーストラリアで一番ぐぅ〜ぐぅ〜と寝ている州はどこだろう?
アボリジニの人たちが多く住むノーザンテリトリーが8時間16分、我がタスマニアは8時間14分、続いてアデレードがあるサウスオーストラリアが8時間10分だ。

さて、日本はどうなのだろう?
2010年のNHK国民生活時間調査によると日本人の平均睡眠時間は7時間14分。
10代 男 7時間36分 女 7時間38分
20代 男 7時間18分 女 7時間24分
30代 男 7時間11分 女 7時間00分
40代 男 6時間43分 女 6時間28分
50代 男 6時間58分 女 6時間45分

女性のほうが睡眠時間が少ない。
これはオーストラリアと逆だ。

僕もそうだけど、もっと毎日ゆっくり寝ていてもいいのではないか?
そうそう、ゆっくり寝るというと朝寝坊をイメージするかもしれないが、オーストラリア人の朝はや早い。
つまり、彼らは早くにベッドに潜り込むのだ。
夜の8時、9時にはもうベッドに入っている友人が沢山いる。
え、日本じゃまだ仕事している時間?
早く帰って、奥さんとベッドの中で手をつなぎましょう。













ちなみに、ナショナル・スリープ・リサーチ・プロジェクトによると、不眠の記録は18日間で21時間40分ということ。ほとんどの時間をロッキングチェアで過ごしたらしい。


















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ああ、いい加減、綺麗なビーチに行ってブランケットにくるまって、波の音を聞きながら昼寝がしたいなぁ。

























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by somashiona | 2012-09-23 12:05 |

タスマニアのビーチ



気分を変えたい時、心のなかをスッキリさせたい時、ゆったりとした時間を過ごしたい時、そんな時、僕の足が自然と向かう場所はなぜだかビーチ。
僕の住むホバートからは15分も車を走らせれば、海、山、丘、公園、繁華街、CBD(中心業務地区)など、ほとんど何処にでも行ける。
ぼんやりしたい時、ある友人はぶらりと街のカフェに行くし、またある友人は山の中のトラックを歩く。
僕は圧倒的にビーチなのだ。
海を見ながらポットに入れたコーヒーをマグカップに注ぎ、読みかけの本のページを開くときは、たぶん、僕にとってもっとも至福の時かもしれない。
あ、もちろんカメラはいつだってそばにある。

ビーチと一口に言っても、タスマニアのそれは僕がよく通ったカリフォルニアのサンタモニカビーチとも、北海道の石狩浜のビーチとも、沖縄の石垣島のビーチともまったく似ていない。
例えば、ビーチで聞くにはもってこいの音楽を考えてみる。
ビーチボーイズ、サザン、チューブ、ジャックジョンソン、渡辺貞夫、高中正義、北島三郎、、、いや、どれも違う。
結果的に、タスマニアのビーチでひとり時を過ごすとき、音楽など必要ないという答えにたどり着く。
タスマニアのビーチとはそういう場所なのだ。












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by somashiona | 2012-09-20 13:10 |

ニューノーフォーク、朝の散歩




週末の朝、いつものように子供たちを迎えに彼らの住むニューノーフォークへ行く。
ニューノーフォークで子供たちに会うのはもちろん嬉しいが、彼らの愛犬であるラブラドゥードルのアプリコットに会えるのも楽しみの一つだ。
今日の朝は子供たちを連れて僕の住むホバートへ行く前に、ニューノーフォークでアプリコットの散歩した。
ほんの40分くらいの散歩だが、春のニューノーフォークはなんだかとてもみずみずしかった。
X100のファインダーを覗いても、どういう訳か今日は完全にお気楽モードで、シャッタースピードや絞りの設定を珍しくオートにし、まるで使い捨てカメラの「写ルンです」で撮るようにパチパチとシャッターを切った。
たまにはこういう肩の力を抜いた写真もいいものだと思う。













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by somashiona | 2012-09-15 20:51 | ソーマとシオナ

グローブ・コレクター


今にも雨が降り出しそうな、重く灰色の雲に覆われた午後だった。
X100を自分の体の一部にする月間は一時間でも時間があれば必ず外で写真を撮ると決めたので、気が進まない天気でも、いい写真なんか撮れっこないさと内心思っていても、自分にムチ打ち歩かなくてはならない。
ノッてない時でも、調子の悪い時でも必ず合格点の写真を撮って家に帰ること、少なくても次の何かに繋がる被写体を見つけること、こういう気持ちで写真に向き合わないと仕事でいい結果を出せない。
しかし、思ったとおりいい被写体にも巡りあえず、自分足元を見ても影のかの字も見えないほど冴えない光で、テンションは下がる一方だった。
おまけに少し雨が降ってきた。
こういう時は、とりあえず民家の塀や壁などを撮る。
どういう訳か、僕は民家、建物の佇まいにひどく惹かれる。
建築写真的観点で見ているのではなく、まるで人の顔を見るようにそれらを眺め、そしてポートレイトを撮るような気持ちで人が住んでいる場所の気配をフレームに収めようとする。












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塗装がはげた民家の家の壁を撮っていると、その家に住んでいる人が家から出てきた。
「なぜ僕の家を撮っているんだ?」と男は僕に尋ねる。
当たり前の質問だ。窓の外に自分の家に向かってカメラを向け、真剣に写真を撮っている人間を発見すれば誰だって不審に思う。
「いやぁ、壁のペンキのハゲ具合とか、窓枠や緑色のこのラインがとても素敵だったものだから、思わず夢中で写真を撮ってしまいました。もう少し続けてもかまいませんか?」こういう時はシャッターを切った理由を素直に語るのが一番。
嘘は結局バレるし、多分自分の顔も卑怯者の顔になると思うので信頼されない。
「この壁が魅力的、、、そうかなぁ、、、僕は早く何とかしなきゃとおもっているんだけど、、、」と男は言う。僕のスイートスポットを彼が理解できなくても責めるつもりはない。
「ところであんた、日本人かい?実は僕、グローブ・コレクターなんだけど」と言って彼はいろいろな話を始めるが、出てくる単語、出てくる単語すべて僕には馴染みがないもので、話の内容がつかめない。
そもそもの誤りは「グローブ・コレクター」という単語を聞いて、僕はすぐに野球のグローブを集めているイメージを頭に浮かべてしまったことだ。
野球のグローブはGloves、彼が話しているのはGlobe、そう、「Light Globe」のことで、これは電球を意味する。
「君は日本のどこ出身だ?」と彼。
「知らないと思うけど、北海道っていう北部の島だよ」と僕が言うと、「それはいい、とってもいい!」と彼は突然、電球のように顔を輝かせる。
彼によると北海道のような寒冷地は(昔)水銀やタングステンなどをミックスさせた特殊な電球を公園や建物の野外で使っていたそうだ。
今ではとてもレアな電球らしい。
彼はマシンガンのように様々な電球の話をするのだが、僕にはどうもイメージわかない。
そんな僕の顔を見て「僕の庭に置いてあるコンテナの中には僕の電球のコレクションが1万個以上あるんだけど、見てみるかい?」と言う。
もちろん、YESだ。

家のゲートを開けてもらい、彼の庭へ行く。
庭と言ってもまるでジャンク置き場のようで、廃品になった洗濯機、冷蔵庫、何かの電化製品の部品のようなものが何台も所狭しと置かれていた。
大きなコンテナのドアを開けると中は段ボール箱だらけ。
僕はまだぜんぜんピンと来ない。
ダンボールのフタを慎重に開け、まるで中から生まれたばかりの赤ん坊を取り出すように、僕が今まで見たこともないような変わった形の電球を彼は披露してくれる。
電球の中はとても繊細に出来た化学工場のミニュチュアのようで、ガラスの外から眺めているだけでも美しい。
「こんな電球、見たことないよ!」と僕が言うと「今君が手にしているのは北海道で使われていたものだよ」とニコニコ顔で彼は言う。
そして、またマシンガンのような早口で電球の話が始まる。
僕が理解できるのは20%くらいなのだが、それでも僕は楽しかった。
僕は誰かが自分の好きなことについて語っているのを見るのがとても好きだから。
そういう人の話は内容も興味深いけれど、なによりも顔がいい。
眼をキラキラさせ、頭で考えるよりも先にパッションが口や身体全体からこぼれ落ちる、そんな人の表情は美しい。
写真を撮らせて欲しい、と頼むと「じゃ、大きな電球を取ってくるよ」と彼。
そこで、僕たちはお互いに自己紹介をし合った。
彼の名前はアンドリュー。
彼が箱から取り出したのは、日本のイカ釣り漁船で使う電球らしい。
日本とアンドリューは、しっかりと美しい電球で繋がっているのだ。












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実は彼には障害がある。
アスペルガー症候群だ。
アスペルガー症候群は広汎性の発達障害で一般的には社会性、コミュニケーション、想像性などの欠如が障害として認められる。
しかし、限定された物事について信じられないほど高い水準の興味や感心を示すことも知られている。その性質を活かして大成功を収める人も多い。
アスペルガー症候群だといわれている著名人に織田信長、坂本龍馬、ビルゲイツ、アインシュタイン、ダ・ヴィンチ、エジソン、ゴッホ、スピルバーグなどの名前があげられる。
アンドリューの場合、その関心事は電球に一直線だ。
コミュニケーションに問題があるとは思えない。

アンドリューのポートレイトを写していると幼い頃からの付き合いだという友人がやってきた。
「一緒に写真を撮ろう」と僕が言うと、一度は断られたが、最終的には友人も参加した。
アンドリュー曰く、友人の写真嫌いは有名で、この10年来で彼が写真に撮られるところを見たのはこの日がはじめてだと驚いていた。
アンドリューと友人の貴重なツーショットを撮れただけでも、アンドリューには良いプレゼントになりそうだ。

この二人の会話、科学、言語学、生物学、話の内容が半端じゃない。
ひとつの話題が次から次へとあらゆる分野に連鎖し、聞いていて本当に感心してしまった。
見せたいものがあるから家の中に入れとアンドリューが言う。
彼の部屋に入って、僕はまたぶったまげた。
いち個人の部屋とは思えない。
まるで電気修理屋さんか発明家の実験室のよう。
半分壊れかけたパソコンで今彼が手に入れたいと思っている電球の写真や、いままで彼がコレクションした電球の写真を見せてもらう。
半端じゃない、、、。












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帰り際、アンドリューは「僕のドキュメンタリーフィルムがあるんだけど、見てみるかい?」という。
「僕のドキュメンタリーフィルム、、、それって君が主人公の映画ってこと?」と聞くと、まるで昨日の天気予報では雨が降るって言ってたよねという質問に答えるように「うん、そうさ」と彼は言った。

ポスターと映画のコピーをもらい、僕は家に帰った。
ドキュメンタリーフィルムはソーマと一緒に観た。
なかなか面白かった。
ソーマもかなり気に入っていたようだ。
映画の中で彼は「僕は障害者という言葉が好きじゃない。これは僕の障害じゃなく、違う種類の個性、違うタイプの人格なのさ」と言っていた。
そう、彼はたまらなく楽しくて、個性的な男だった。












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ザ・グローブ・コレクターのトレーラーはここで
「The Globe Collector (Trailer)」


















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by somashiona | 2012-09-12 21:52 | 人・ストーリー

自分の顔




最近、友人のピーターの家に行くと、彼は必ず僕のX100を奪ってパチパチ写真を撮りはじめる。
彼もこのカメラを購入予定なのだが、とにかく少しでも多く触りたくて仕方が無いのだ。
家に帰ってX100の中の写真をパソコンに移動すると、ピーターが撮った僕の姿と出会うことになる。
そしてMacの27インチモニターに映し出される自分の顔を見るたび、正直、僕は心から驚き、ガッカリしてしまう。
昔からハンサムだった記憶がないので自分の顔にまったく期待はしていないのだが、それにしても最近の僕の顔はひどすぎる。
人はどんな人生を送ったのか顔を見れば分かると言うが、そういう観点で僕の顔、いや、人生を評価するなら、写真から見える僕のそれはまったく疲れきって、明日の望みなど無さそうに見える。
レーシックの手術を受ける前、母や妹はお「兄ちゃんお願いだからヤメてちょうだい」と僕に懇願した。
眼鏡なしのお前の顔は見られたものじゃないと、冗談抜きに僕に言った。
レーシックの術後も、母や妹はスカイプで僕の顔を見るたび、伊達メガネでもいいからかけてくれと僕にいう。かなり本気で。
僕は普段あまり自分の顔を鏡などで見るタイプの人間じゃない。
だからなのかどうか分からないが僕がシャワーを浴びた後チラリと見る自分の顔の印象と写真としてモニターに映しだされる自分の顔はぜんぜん違う。(ような気がする)
顔全体に覇気がなく、とても疲れて見えるのだが、一番ひどいのは、母のセリフじゃないが、やはり目元だ。
もともと一重まぶたのタレ目ちゃんだが、今の僕は前の晩にたっぷりと泣き明かした人の寝起きのように腫れぼったく、しかも瞼の皮膚がどっさりと眼にかぶさり、瞳がよく見えない。
さらにショッキングなのは目の下だ。
まるで目の下にもう一つ目があるようにボッコリと腫れ、しかもゴルゴ13に出てくる殺し屋のようにくっきりと紫色のクマができている。
この目の下のクマの部分の皮膚も池に石を投げ込んだような波紋状のシワが広がり、遠くからみると眼が四つある昆虫のようだ。
ああ、自分の顔をこんなふうに文章で説明していると、悲しくなる。
たぶんメガネをしている時もこんなふうに瞼や目の下の状態が進んでいたのだろうが、僕は正直言ってまったく気がつかなかった。
妹や母親、いや、僕の周りにいるとたちはきっと皆とっくの前から知っていたのだろう。


思うに、自分の一日の行動を動画でチェック出来るととてもいいと思う。
あらゆる角度から見る自分の表情だけでなく、頭髪の薄さ具合、歩く姿勢の悪さ、品のない身振り手振り、人と話しているときの話し方やピッチなどを客観的に観察すれば、同じ年を取るにしてももう少しいい感じのジェントルマンになれたかもしれないし、コミュニケーションの能力ももっと上がっていたかもしれない。
芸能界にデビューしたばかりの垢抜けない女の人が、テレビの露出頻度が上がるに従って洗練されていくことに頷ける。

まあ、今さらこんなことを言っても手遅れというものだ。
僕は自分を放っておき過ぎた。
もし整形手術をしたら、皆さんに報告します。
















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特に狙ったわけではないのだが、斜めから射しこむ良い光の時に写真を撮っていると、どうしても自分の影が入ってしまう時がある。
写真はどうこう考える前にいいと思った瞬間にまずは打つ(撮る)ことが大切だ。
あとで撮ったファイルを整理していると自分の影入りの写真が時々出てくる。
思うに、これはこれとして自分の記録写真としてはいいのではないかと思う。
えっ、ゴルゴ13の殺し屋の顔写真?
そんなの出すわけないじゃない!




























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by somashiona | 2012-09-10 17:56 | デジタル

ひとりごと







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僕がまだ18歳くらいだったっときに友人から聞いた話がなぜか忘れられない。
僕も彼も当時札幌で暮らしていたが、その友人は難しい国家試験の合格を目指し、単身東京に出て一人暮らしをはじめた。
憧れの東京。
裕福だった彼の家庭は都心にある豪華なマンションの一室を彼に用意した。
最初の数カ月は夢のような暮らしだったらしい。
勉強もはかどった。
東京に知人、友人は一人もいず、朝から昼までマンションにこもり猛勉強をし、外に出て少し散歩をしてからレストランで食事を済ませ、またマンションで夜中まで勉強をする生活が続いた。
もともと独りの時間が好きだった彼だが、毎日誰とも話さない生活が何ヶ月か続くうちに、何かが彼の中で変化していった。
試験の日は刻一刻と近づき、プレッシャーも大きくなる。
真夏の真昼間、いつものように午前中の勉強を終え、公園の道を彼は歩いていた。
頭をじりじりと焼く太陽の強い光が、真っ黒な影を彼の足元に投影し、そのとき彼は自分の歩調と合わせて動くその影の動きを、まるであかの他人を見るように眺め続けていた。
しばらくしてから、彼はふと気がついた、影を見つめながらずっとひとりごとを言っていることに。
最初は誰かがすぐそばで話をしているのだろうと思ったのだが、そのハッキリとしたかなり大きな話し声が自分のものだと知ったとき、彼はかなりショックを受けた。
すぐに札幌の実家に戻ることに決めた。













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話はまったく変わるのだが、僕がしばらく通っていたホバートの大きな病院で毎回顔を合わすスタッフがいる。
彼女はドクターでも看護婦でもなく、患者の介護やその他の雑務のようなことをその病院でやっていた。
ものすごく細身で顔や、たぶん体中にもソバカスのある50代前半と思われる白人女性だ。
彼女は僕を見るとマシンガンのように話しかけてくる。
しかも、僕が彼女の話に答えようと頭を動かしている間も続けざまに彼女は話し続け、僕が答えようとする内容はすでに今彼女が話していることとは合わなくなってしまっているので、結果的に僕は黙って頷く役に徹することになる。
話しかけられることが少しうざったい気分の時は雑誌を読んだり、本を読んだりする振りをしてみるのだが、それでも彼女はお構い無く話し続ける。
しばらくして、それが彼女のひとりごとだということに、やっと僕は気がついた。
その後からは僕も気楽に、話したくないときは無視、話したいときは彼女の話に耳を傾けるという態度に変えた。












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ある日、子供はいるのか?と聞かれ、二人いると答えた。
この国でよく知らない相手となにか話をするとき、天気の話やフットボールの話題をふるように「子供はいるのか?」というのはメジャーな切り口だ。
自分の子どもについて話すことが皆大好きだし、子供がいる人にとっては共通のテーマがたくさんある。
彼女にも同じ質問をした「で、あなたも子供はいるの?」と。
「息子が二人いたわ」と彼女は早口で言った。
息子がいた、、、いるではなく、いたという間違いなく過去形だった。
僕はしてはいけない質問を彼女にしてしまったと気がつき、何かフォローしなくてはと考えていると、彼女はいつものように早口でその話題についての話しをはじめた。












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最初の息子さんは幼い時まで他の子供達とまったく同じように明るく元気ハツラツで成長した。
ただ少し他の子どもと違ったのは、よく転ぶことだった。
まったくおっちょこちょいなんだから、と最初は笑っていたが、転ぶ頻度があまりにも多く、膝や手のひらに傷が絶えなかったので病院で検査してもらうと、筋ジストロフィー病のデュシェンヌ型だと診断された。
筋萎縮と筋力低下が徐々に進み、次第に車椅子生活を余儀なくされ、20歳前後に心不全や呼吸不全のために死んでしまう病気だ。












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彼女の息子さんも同じ道をたどった。
息子さんの闘病生活の最中、彼女は新たに生命を得た。
二人目の息子さんは彼女や病気の長男にとって希望の星だったが、この子も、成長するに従って転ぶ回数が増え、彼らの前にまた黒く分厚い雲が浮かびはじめた。
一番考えたくない事態が彼らを待ち受けていた。
長男、次男ともにまったく同じ病気だった。
長男は19歳で、そして次男は1年記録を更新し、20歳まで生きたわ、と彼女は笑った。
彼女があまりにも悲壮感なく、あっけらかんとまるで何か楽しい出来事でも教えてくれるように話すので、僕は彼女がなにか冗談を言おうとしているのか、それとも、僕の英語力のせいで、話の筋を間違って解釈しているのではないかと自分を疑っても見たが、僕の理解はやはり正しかった。
僕はすっかり彼女の話の世界に入り込んでしまい、失礼を承知で「もし僕が二人の子供たちを失ったら、その後生きていく自信がない」というと、「大丈夫、私だってそう思っていたけど、ホラ見て、こんなに楽しそうにピンピンと生きてるわ」と僕にウィンクまでしてみせた。
「でも、じわじわと自分の子どもが病気に冒されるのを見て、青春まっただ中の20歳前にその一生を終えるなんて、まるで拷問のようだよ」と僕は目の前にいる実際にそんなふうに息子たちを失った女性に、それこそ拷問のようなセリフを吐いていた。
自分が同じ状況に置かれてしまっている想像の世界に短い時間でどっぷりと漬かってしまい、相手の気持ちなど考える余裕がなかったのだ。
「でもね、私にとっては交通事故や殺人なんかである日突然息子たちを奪われるより、こっちのほうがよっぽど良かったと思っているのよ」と彼女は早口で言う。
「彼らは彼らなりに青春を謳歌したわ。わたし驚いちゃったのよ、葬式の時に。車椅子の息子がいったい何処で作ったのか、私のまったく知らない400人以上の人たちが息子のために葬儀に参列してくれたのよ。こんな歳まで生きた私が死んだって、たぶん20〜30人くらいしか集まってくれないわよ」と言って彼女は大声で笑ったが、僕は全く笑えなかった。
「でも、息子さんたちが亡くなった後、どうやってその悲しみを乗り越えたの、、、っていうか、乗り越えられないよね、そんなこと。今みたいに笑って話ができるようになるまで時間がかかったでしょう。どうすれば、そういう苦しみから這い上がることが出来るの?」と僕は相変わらずぶしつけな質問をする。
「あの頃の私はね、あんた、冗談抜きに、真っ暗闇の洞窟で膝を抱えて、ろくすっぽ食べもせず、息をするのも苦しい状態だったわ。一口でいえば、私はズタズタに破れたボロ雑巾みたいだった」
「でも今はボロ雑巾にはみえないよ」と僕。
「やっぱりね、家族よ。父や母、兄や妹、彼らがいつも私のそばにいてくれたわ。本当にいつも、いつも。そういうときって、それしかないよ」と言って僕がそういう状態を想像している間に、彼女はまたひとりごとモードに入り、違う話題へと移っていた。
看護婦さんからお呼びがかかり、僕も診察室へ移動した。












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人はどうしょうもなく辛く悲しい問題ぶち当たったとき、二つの選択肢から自分の取るべき態度を選ぶと思う。
一つはどっぷりとその悲しみに漬かってしまうこと。
もう一つは、できるだけそのことは考えないように努力すること。
いや、その二つの間を行ったり来たりするのかもしれない。
息子さんを失った後、彼女の頭の中にどれほどの言葉が流れ続けただろう?
どれほどこの出来事に飲み込まれないよう、戦ってきたのだろうか?
ああ、神様、どうしてこんな仕打ちを、こんな試練を私に与えるのですか?
私はあの子たちのために、最後まで精一杯尽くせただろうか?
ああ、もう一度会いたい、一目でいいから息子たちにあって、その体を抱きしめたい。
だめ、私はもうダメ、生きていけない、、、だいじょうぶ、私はきっと大丈夫、今は辛いけどきっといつか光が射す。
こんな言葉たちが四六時中彼女を襲ううちに、きっと頭の中でその言葉が収まりきれず、知らず知らずのうちに彼女の口から溢れ出ていたのだろう。
彼女にとってひとりごとは、自分を守る最大の防衛手段だったに違いない。












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by somashiona | 2012-09-08 14:34 | 人・ストーリー

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